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学名の出発点『植物の種』(1753) 以前の記載 |
正名・異名の対象外 |
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バンレイシ属はリンネ以前の17世紀に多くの植物学者によって、Anona あるいは Corossol など、別の名称で記載されていた。それらの記述はここでは省略する。 | | |
| 年 | 名 称 | 命名者 | 属名・備考 など |
❶ |
1688 |
Modira-Valli |
リード |
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Hendrik van Rheede (1636–1691) はオランダの博物学者で、オランダ東インド会社その他に関係した。1678年から豊富な図版のある『インド
マラバール地方植物誌 Hortus Indicus Malabaricus』の出版を始め、彼の死後の 1703年までに12巻を数えた。
その第7巻はつる植物で、84ページに、本種の記載がある。 |
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以下 略 |
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ラテン語が訳せないので、鉤のあるこの図がなければ、本種であることがわからない。Modira-Valli はマラバールの地方名だろう。 |
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年 |
学 名 |
命名者 |
属名・備考 など |
➋ |
1735 |
Anona |
リンネ |
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Carl von Linné (1707-1778) はスウェーデンの博物学者。
リンネの『自然の体系 Systema naturae, ~』第1版、および『植物の属 Genera Plantarum ~』第1版に記されたのは、古くから使われていた、「n」がひとつの
Anona だった。 |
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これは『植物の属』の 158ページ 。
プルミエが Guanabanus としていたものを、ANONA とした。
W. E. Saffordの『The genus Annona:~』(1911)によると、「Anonaはバンレイシ属のある種にあてられていた現地名 anon または hanon に由来する」という。 |
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❸ |
1737 |
Annona |
リンネ |
属名を変更 |
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1738
発行 |
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ところが『クリフォード氏の庭園誌 Hortus Cliffortianus:~ 』以降では、Anona に変えて Annona を採用した。以下はその 222ページ。 |
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3種が記載されているが、以下 略。 |
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annona は古いラテン語でくだものやワインの「年間収穫量」を意味する言葉で、研究社『羅和辞典』にも載っている。
前出の W. E. Safford (1911) によると、「リンネは anona を外国語・現地語(barbarous word)と考えて不採用とし、これらの果実を現地の人々がおいしく食べている状況から、(筆者注、
anona に似た綴りでラテン語の) Annona がふさわしいと考えたのだろう」としている。
リンネのこの【属名にはできるだけ ギリシア語やラテン語を使う】方針は 『Philosophie Botanique (1788)』で表明されていて、Annona
もその例のひとつとして挙げられている。以下はその 208ページ。 |
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『植物の種』以降の出版、記載た |
基準日:1753年5月1日 |
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様々な形で記載されてきた植物の名前を「属名と種小名」で表す二名法には一部で以前から使われていたが、『植物の種』で記載の全ての種についてこれを定めたことで、後に学名の出発点として選ばれた。 |
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| 年 | 学 名 | 命名者 | 属名・備考 など |
| 1753 |
Annona |
リンネ |
バンレイシ属の正名 |
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Carl von Linné (1707-1778) はスウェーデンの博物学者。
『植物の種』第1版 にバンレイシ A. squamosa、トゲバンレイシ A. muricata など7種、同 2版(1762) に1種を追記し、現在でも正名となっているものがある。 |
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① |
1782 |
Annona hexapetala |
リンネの息子 |
異名 本種の元の名 |
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父と同名の Carl von Linné (1741-1783) はスウェーデンの博物学者。 1778年の父の死後その仕事を引き継いだが、比較的短命だったために、活躍した期間は短かった。
本種を記載したのは『植物の種 補遺 Supplementum plantarum』。それに続くタイトルは「Systematis vegetabilium
第13版、植物の属 第6版、植物の種 第2版」で、これらの3冊を追補したものである。 |
小リンネ |
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なお「Systematis vegetabilium 第13版」は、J. A. ムレイ(1740- 1791) が出版したもので、リンネの『自然の体系
第12版』を引き継いだものとされる。表紙には 1781 とあるが、実際には 1782年に発行された。 |
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| | 本種の記載はその270ページ。
記述は数行しかなく、果実は未確認 とある。産地は中国となっているが、この記述だけでは誰が採取したものかはわからず、図も無い。 |
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年 |
学 名 |
命名者 |
属名・備考 など |
② |
1786 |
Anona uncinata |
ラマルク |
uncinataは鉤のある |
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Jean-Baptiste P. A. de M., Chevalier de Lamarck (1744–1829) は、フランスの博物学者で、初期は植物学、後半は生物学者に転じ、無脊椎動物の研究を通じて生物進化の考えを示した初期の人物だった。ラマルクが研究に従事したパリの自然史博物館・植物園の正門には、大きな座像がある。
『Encyclopédie méthodique. Botanique』は8巻からなり、その第2巻 127ページに本種の記述がある。 |
Lamarck |
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後略 |
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バンレイシの一般名? Corossol の第14種で、crochet は「かぎ針編み」、種小名の uncinata は「鉤のある」で、本種を見れば誰でもそう名付けたくなる。属名は古い方の綴り Anona としている。
参考文献に リードの『マラバール地方植物誌』❶ 図46 があることで、本種であることがわかる。これに続く説明文はフランス語だが、拾い読みすると花や果実の記述があり、生育地にはイルドフランス・マダガスカル・インドオリエンタル
が挙がっている |
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③ | 1790 |
Uvaria uncata |
ルーレイロ |
uncataも鉤のある |
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João de Loureiro (1717-1791) はポルトガルの宣教師で 医師、植物学者。宣教師としてインド、マカオを訪れ、その後コーチシナ(現在のベトナム南部)に35年間滞在した。1781年頃に帰国して『コーチシナの植物
Flora Cochinchinensis』(1790)を出版した。 |
1777年の広東旅行で観察したもので、本種の果実が心皮が離生する集合果であるために、Annona属ではなく Uvaria属とした。図版 略。 |
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年 |
学 名 |
命名者 |
属名・備考 など |
④ |
1814 |
Uvaria odoratissima |
ロクスバラ |
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William Roxburgh (1751- 1815)はイギリス人植物学者。
エジンバラで植物学も学んでいたが、初めは船医助手の資格で東インド会社の航海に参加していた。30歳で船医となるが マドラスで植物学に目覚め、後半生はインドの植物園管理者・植物の研究者として植物図を本国に送るなど、多くの業績を残した。
『Hortus Bengalensis』は植物名のリスト形式で記載したものだが、その中で ブラウンに先んじて odoratissima の種小名を使っている。 |
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1819 |
Artabotrys |
R. ブラウン ex Ker |
オウソウカ属 新規 |
⑤ |
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A. odoratissimus |
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本種の異名 |
↑
④ |
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Robert Brown (1773-1858) はイギリスの植物学者。ブラウン運動の発見者としても知られている。19世紀初頭からオーストラリアの植物を調査し、1200種近くの学名を記載した。
イギリスの庭園に植栽されていた外来植物を、カラー図版とともに載せた『The Botanical register』第5巻 423ページに、新属を定義して記載した。 |
Brown |
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中略 |
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本書は通称「Edwards's Botanical Register」と呼ばれ、第5巻までは、様々な植物学者や採取者がイギリスに導入したものに対して、Sydenham Edwards が図版を作成し、J. B. Ker Gawler が本文を書いたものである。 |
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学名リストのトップにブラウンが新たな属分類した名があり、本文には「ブラウン氏によると」という記述がある。
ほかにも多くの引用文献が挙げられている。④の文献名は間違いのようだが、種小名はロクスバラが用いた odoratissima とても香りの良い を引き継いでいる。小リンネの A. hexapetala (緑の下線)もあるのだが、学名の先取権の考えが固まる 約1世紀も前だったために、ブラウンも自由に 新しい種小名を付けたもの。
図はクリフォード氏庭園の温室の個体を書いたもののようで、花はまだ黄色くなっていない。 |
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年 |
学 名 |
命名者 |
属名・備考 など |
⑥ |
1868 |
Artabotrys uncatus |
バイヨン |
本種の異名 |
↑
③ |
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Henri Ernest Baillon (1827-1895) はフランスの植物学者、医師。
30巻を数えた『Histoire des plantes』の第1巻で、③の属名を変更したもの。 |
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⑦ |
1912 |
Artabotrys uncinatus |
メリル |
本種の異名 |
↑
②
⑤
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Elmer Drew Merrill (1876年-1956) はアメリカの植物学者。戦前の1902年から1923年までは、アメリカ合衆国農務省(USDA)の職員としてフィリピンに滞在した。 戦後はコロンビア大学の教授、ニューヨーク植物園園長、ハーバード大学アーノルド植物園の園長を勤めた。
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Merrill |
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フィリピンの公的機関による刊行物『The Philippine journal of science』第7巻に寄稿した「マニラの植生ノート」に、新しい学名の組み合わせで記載した。 |
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20世紀になって「学名の先取権」の規定が確実なものになるに従って、古い記載をもとにした学名の変更が盛んになっていく。このメリルの提案もその一環だと思われ、多くの学者の支持を得た。
しかし、⑤でブラウンが折角引用していた 小リンネの記載 ①は取り上げられず、この後 約半世紀の間、この学名が使われることになる。 |
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年 |
学 名 |
命名者 |
属名・備考 など |
⑧ |
1965 |
Artabotrys hexapetalus |
バンダーリ |
本種の正名 |
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M. M. Bhandari (1929- ) はインドの植物学者。インド北西部 ラージャスターン州の旧ジョードプル大学教授を務めた。
忘れ去られてしまっていた 小リンネによる Annona hexapetalus に先取権があることを指摘したのは、今から60年前のことである。 |
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中略 |
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『Baileya』は、アメリカの農学者・植物学者である L. H. ベイリーを顕彰して1953年から発行された季刊誌で、バンダリーが寄稿したのはその
第12巻 147~150ページ。右上に 1964]とあるが、実際に発行されたのは 65年1月。148ページにはそのタイプ標本の写真も載っている。 |
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1945年に S. Savage によって整備されたリンネ標本のコピー。左中央には 開きかけの花がある。
バンダリーによると「標本は J. G. Koenig (1728-85) がマドラスで採取したもので、左下のメモは〈Anona Chinensis
hospitatur in hortis ad Madarsam ; N. B. Fructus separatus 〉(注:後半は写っていない)
とあるので、中国産でマドラスで栽培されていたものであり、果実は別に送られたことを示唆している」とある。 |
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小リンネがこの標本をもとに以下の記述を書いたことは、最後の行(下図 緑の下線)が「果実は未確認」 となっていることで裏付けられる。 |
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ANNONA hexapetala 6弁の花をもつバンレイシ属
・中国原産、木本
・インド東部で栽培
・バンレイシ科の数種とよく似ている
・葉は楕円形で無毛
・萼は3葉で小さい
・花弁は6枚、長楕円形
・果実のことは 私(mihi=ego)は わからない |
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最後にバンダーリが整理した、本種の命名の経緯の一部を。 |
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後略 |
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