ケクロピア・パルマタ
Cecropia palmata Willd. (1806)
科 名: イラクサ科 Urticaceae
旧科名: ケクロピア科 Cecropiaceae
        C. Berg. (1978)
属 名: ケクロピア属 Cecropia nom. cons.
         Löfling (1758)
原産地: スリナム、仏領ギアナ、ブラジル、ボリビア (GRIN による)
備 考: 雌雄異株、アリ植物。
一時期ケクロピア科がたてられたが、現在は元のイラクサ科となっている。
撮影地: 小石川温室
 参 考:  同属 近縁種 C. peltata


小石川温室 第2室
2022.4.7
中央でヤツデのような葉をつけている鉢植え。高さ3m以上。
根 本
径はわずか 17~20mm。托葉の落ち痕が茎の周りを一周する。
右:植木鉢の直径は40cm程度。
成長が早いために樹高が高くなりすぎて、何度も切ったものと思われる。本種がアリ植物なら、枝が中空となっていてそこにアリが棲みつくはずだが、幹は詰まっている。基部は中空にならないのかもしれない。枯れた葉の裏が白い。
葉の 表 と 裏
単葉だが 切れ込みが深い。裏は綿毛?が張り付いていて淡い黄緑色。右の葉は先が尖り気味で、ヤツデの葉によく似ている。裂片数は9個が多いが、左は10個。柄が盾着なので、葉の左右対称性は必要ないようだ。

裏と表のコントラストがいまいちだが、葉の周位が白く見えるのが美しい。
托葉 アリの餌
托葉が次の葉(および花序)を包んで保護している。モクレン類と同じで、托葉痕は茎の周りを一周する。
右:葉柄基部に白い粒がある。事典によると グリコーゲンを含んでいて、アステカアリの餌となるそうだ。餌と棲み処を提供する代わりに、葉を食害するほかの蟻を追い払ってもらう共生関係だが、アステカアリがいないこの温室では必要ないにもかかわらず、たくさんの粒ができている。
C. peltata は本種と異なり、托葉や葉脈が赤いのが特徴。
参考:C. peltata

雌 花          2022.8.23.
ようやく花序がつき、雌株であることが確認できた。



名前の由来 Cecropia palmata
 和名: 無し
C. peltata に「ヤツデグワ」の和名があるようだが、ヤツデの葉には、本種の方が似ている。
ただし、本種もヤツデグワも葉は盾着だが、ヤツデは縁着である。
 Cecropia ケクロピア属:人名に由来する
属名は、紀元前 16世紀後半 ギリシア・アテネの最初の王とされている、Cecrops を顕彰したもの。ただし、なぜ南米の植物にアテネの王なのか? その理由は不明。
保留名の情報が載っている『園芸植物大事典/小学館』には無かったため、長らく、Cecropia が保留名であることを知らなかった。
その経緯は、次の「属名の命名物語」で。
 種小名 palmata: 掌状の の意味
実際は「盾着」にもかかわらず「掌状」と名付けたわけだが、それは現代の定義であって、命名当時の19世紀初めがどうだったのかはわからない。
palmata、palmatum、palmatus、palmat~ が付けられた植物は数限りなくあるが、代表選手はイロハモミジだろう。
Acer palmatum
ラテン語の palma (名詞) には、「手のひら」、「(植物の)シュロ」のほかに、優勝、名誉、小枝、箒、櫂の水かき など、様々な意味がある。
 英語名 trumpet tree:
かつて現地で、中空の茎を使ってラッパ (trumpet) や各種の楽器を作ったため。
現代のトランペット(金管楽器)とは違うようだ。

 旧ケクロピア科 Cecropiaceae:
学者の見解によって、クワ科とイラクサ科の間をさまよっていたケクロピア科は、1978年にノルウェーの植物学者ベルグの研究によって纏められ、分類学者のクロンキストも「科」として採用している。その時点では6属 約 200種があるとされたが、一般にはほとんど知られていない属である。
最近の遺伝子解析による APG植物分類体系で、イラクサ科に含まれることになった。


 
Cecropia属 が 保留名となった経緯

は正名、 は異名
内は 推定事項
  図版は、Biodiversity Heritage Library より


『植物の種』以降の出版、記載  基準日:1753年5月1日
学 名 命名者 属名・備考 など
1756  Coilotapalus 属  P. ブラウン  却下名 (nom. rej.)
10th
Mar.
本属についての最初の命名。
Patrick Browne (1720-1790) はアイルランド出身の医師、植物学者で、1746年からはジャマイカに移り住んだ。
Coilotapalus 属を記載したのは『The Civil and Natural History of Jamaica』で、英語で書かれている。属名についての説明は無く、その意味はわからない。
先取権があるので本来ならば正名だが、国際植物学会議 命名部会が20世紀初頭に審議した結果、Cecropia が保留名となった。
1758  Cecropia 属  レーフリング  保留名 (nom. cons.)
Pehr Löfling (1729- 22 Feb 1756) はスウェーデンの博物学者で、リンネの弟子のひとり。ベネズエラを探検し、同地で27歳で病没した。
ケクロピアを記載したのは『Iter Hispanicum, eller resa til Spanska Länderna uti Europa och America 1751 til 1756』で、レーフリングの没後にリンネが出版したものである。

同書 272ページ、アンダーラインは筆者が加筆
同書の「アメリカの植物」の章では日付を追って観察植物を記載しており、ケクロピアは 1755年2月25日に、ベネズエラの Floden Araguaで見たものである。「雌雄異株」の記述次に「* Masc. 雄株」の詳細が続いている(その後半と 次ページの雌株部分は省略)。
上図で、CECROPIA. に続いて「Coilotapalus. Brown. jam. 111」の記載がある。①を記載したブラウンの『~ Jamaica』は 1756.5.10 ロンドンでの出版なので、この原稿はレーフリングの生前 1756.2.22 以前のものではなく、死後に書かれたもの、少なくとも Coilotapalus ~ の部分は、" 恐らくリンネによって" 書き加えられたものとなる。
この本の著者や、属名の命名者が問題になりそうだが、GRIN のデータベースでは、命名者は「レーフリング」単独 となっている。
本書では属の記載だけで、種は特定されていない。また クワ科とイラクサ科のどちらとして記載したのかは、はっきりしない。
1759  C. peltata  リンネ  ケクロピア属の基準種
『Systema naturae per regna tria naturae Secundum Vol.2』自然の体系 第10版 第2巻 p.1286。
Cecropia には属の通し番号が付されていない。正式な属として認知していなかったということか? 
種の記載部分には、① ② の参考文献名しかない。
1806  C. palmata  ヴィルデノウ  本種
Carl Ludwig Willdenow (1765-1812) はドイツの植物学者で、晩年はベルリン植物園園長を務めた。フンボルトの師。
記載は『SPECIES PLANTARUM Ed. QUARTA』第4巻 第2部、652 ページ。自生地はブラジルアマゾン川流域のベレンを州都とする パラー州となっている。
1893  Coilotapalus peltata  ブリトン  
Nathaniel Lord Britton (1859-1934) は米国の植物学者・分類学者。ニューヨーク植物園の初代園長。
Coilotapalus属に種を記載した二人のうちのひとり。『Annals of the New York Academy of Sciences』第7巻 p.230 に記載した。
パラグアイで採取したものだが、その記述によると「芽を包む大きな仏炎苞状の托葉は、やはり白い毛で覆われてよく目立つ」とあるので、
Peltata ではなくて palmata の可能性がある。
1914  Coilotapalus peltata  マーサー  
Coilotapalus属に種を記載した二人目、Manuel Gómez de la Maza y Jiménez (1867-1916) はキューバの植物学者。『Flora de Cuba』に記載。本書には「写真」による説明が登場している。

以上のように、Coilotapalus属に種を記載したのはわずか二名だけだった。
レーフリングの遺稿を2年後にまとめ上げて出版したのが、当時の「時の人 リンネ」だったこと、その後すぐに Cecropia peltata を記載したことなどが Cecropia が広まった原因だろう。


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