ドキニア・インディカ
Docynia indica Decaisne (1874)
← Pyrus indica Wallichi (1831)
科 名: バラ科 Rosaceae
属 名: ドキニア属 Docynia (1874)
中国名: 栘 木偏に衣 yi yi
原産地: 中国 四川省 南西部・雲南省 北東部、
インド、ネパール、ブータン、パキスタン、ミャンマー、タイ、ベトナム
用 途: 樹皮と果実を薬用に、また果実酒を作る
特 徴:  大きく異なる2つの形の葉がある。

本種は日本の図鑑類に載っていないばかりか、ネット上でも情報が少ない。もしかしたら、国内唯一の植栽かもしれないので、写真が少ないが掲載する。
植えられている場所はハンカチノキの横で、自生地の中国 四川省・雲南省が共通するためだと思われる。

2019.2.24              樹 形             2024.2.12
ほぼ 同スケール。5年間で梢が高くなり 11.4m になっているが、何度かの雪害で枝が折れてしまっている。特に下位の ある程度太くなった枝の被害が大きい。このため、周囲に木があるわけではないのにひょろ長い印象の樹形となっている。
半常緑で、昨春の葉も紅葉・落葉しているものがある。

幹の様子            2024.2.12.
幹の根元付近で 径25cm。樹皮はざらつくが縦にひび割れることはない。右はその上部で、皮目が多い。写真中央部の太さは 約18cm。徒長枝の部は、2024.2.5 の雪で折れたもの。
徒長枝のトゲ カリン Pseudocydonia sinensis
上部の普通の枝には見られないが、徒長枝基部の側枝はほぼすべて刺化して、それ以上伸びることはない。バラ科で近縁の
カリン(写真 右)でもよく見られる。

雪 害
ほかにも多くの枝が折れてしまい、一時的に集積されていた。撮影したのは降雪の一週間後だが、折れた時に雪や雨の水分が補給されたためか、葉は干からびてはいなかった。
トップの葉の写真と、以下の写真でタイトルの地を黄色くしたものは、この折れていた枝を撮影したもの。

半落葉樹       2024.2.12.
枝先の葉はすべて落ち、それに続く部分がきれいに紅葉している。緑の葉も恐らくは前年の春に芽吹いたもの。
芽吹き
頂芽の芽鱗は真っ赤で、すでに白毛をまとった芽が伸び出していた。芽鱗の数は少なそうだ。
この小枝に関しては前年の伸びはほんの数センチで、低出葉はあっただろうが、3枚しかつけなかった葉は ほぼ束生状態。

2形の葉
本種の特徴は、普通の枝につく葉と徒長する枝につく葉の形が大きく異なる点にある。
成葉の様子
先の尖った楕円形。葉の下半分は鋸歯が無く、上部の鋸歯も極く浅く、全縁に近いものもある。
前年に伸びた頂芽と頂側芽は前掲写真よりも伸びが大きく、それぞれ5枚の葉をつけている。最後の2枚は先端のほぼ同じ位置につき節間がない。先端には頂芽があり、刺化していない。
葉 裏          2024.2.12.
葉柄や葉裏には軟毛が残るが、葉裏のものは次第に落ちていく。長さは7センチ程度。

徒長枝の幼葉        2024.2.17.
大きく浅い切れ込みがあり、同じ木とは思えないほどの違いがある。枝と葉裏には真っ白い毛があるが、表面には初めからついていない。
徒長の様子
葉柄の基部に小さな托葉がついている。上位の葉になるほど、切れ込みが少なくなるようだ。
ジョセフ・ドケーヌ(1807-1882)によって現在の学名が記載された『Nouvelles archives du Muséum d'histoire naturelle』第10巻 第14図には、これに似た状態の絵が載っている。
幹からの徒長枝ではなく、かなり細い枝から伸び出している。左右の着果と着花枝の葉は小石川のものよりすこし細長いが、葉の下部には細かい鋸歯がない点は共通している。

新 梢               2024.7.28.
春に伸びた栄養枝の葉は成葉になり、表の毛はすっかり落ちていたが、葉柄や枝には残っていた。


花の写真が無いので、本種を最初に記載したナサニエル・ウォーリッチ(1786-1854)による『Plantae Asiaticae rariores』(1831) に記載された 第173図を借用する。


浅裂した葉は1枚だけが付け足しのように書かれており、「幼葉」と説明されている。認識はしていたものの、際立った特徴とは考えなかったようだ。
絵を見る限り、新梢の葉腋に散形の花序をつけているように見えるが、未確認。小花の数は1個または2~3個。この図でも前図でも、花は平開している。


幼 果        2024.7.28.
実は高いところにしかなく、ズームアップして、なんとか幼果に毛が密生していることを確認した。

果 実             2024.2.17.
まさか真冬まで残っているとは思っていなかったので、初めは見過ごしていたが、偶然、落ちているのを見つけた。
探してみると5つあり、大きいもので 径25ミリほど。割ってみると「カリン」の香りがあり、甘酸っぱさがあった。果実酒に使われるようだ。
果実は花托筒が肥大した「偽果」で、頂部に萼片が宿存している。


 
ドキニア・インディカ の 位 置
D8 d

ハンカチノキの西側、ロープ際

名前の由来 ドキニア・インディカ Docynia indica

 種小名 indica:インド産の
アメリカ農務省のデータベース『 GRIN 』によると、原産地は中国・東南アジア・インド・ヒマラヤ地方と、広い範囲が記されている。
最初の命名者 ドケーヌが、インドのベンガル地方で観察したため。
 中国名 栘 木偏に衣 yi yi :
小学館の『中日辞典』によると、両字ともに 本種にのみに使われる字となっている。
 属名 Docynia
由来や意味は 不明。『植物學名辞典/牧野』に無し。
日本語で考えると「ドキニア」は、命名者自身の名前 ドケーヌ によるのではないかと思ってしまうが、その綴りは「Decaisne」、学名は「Docynia」で全く違う。
これは単なる思いつきだが、命名者 ドケーヌ は自分の名前の頭文字「D」に絡めて、
マルメロ属 Cydonia をもとにして、言葉遊び「アナグラム」で新しい属名を決めたのではないだろうか?
CYDONIA → DOCYNIA
Cydonia マルメロ属 と Docynia 属とは近縁で、その分類は Amygdaloideae(亜科)・Maleae(連)・Malinae(亜連)のレベルまで共通している。
参考 マルメロ Cydonia oblonga

 バラ科 Rosaceae :
ケルト語の 「赤色 rhod あるいは rhodd」 を語源として、すでに古代にバラのラテン名となっていた。


 
ドキニア・インディカ の命名物語
は正名、 は異名、
  図版は主に、Biodiversity Heritage Library より
肖像写真は Wikipedia より

『植物の種』以降の出版、記載  基準日:1753年5月1日
学 名 命名者 備 考
1831  Pyrus indica  ウォーリッチ  D. indica の異名
Nathanael Wallich (1786-1854)は オランダ生まれ、インドで働いた植物学者・外科医。
当初はカルカッタ近郊のオランダの入植地で、次にオランダの東インド会社、その後イギリスの東インド会社で働いた。
カルカッタ植物園の初期の発展に関わり、多くの新種を記載し、膨大な数の標本を採取した。その標本はヨーロッパにも送られている。
Wallich
本種を初めて記載したのは『Plantae Asiaticae rariores』第2巻 p.56 および 第173図。
再掲(部分)
果実に石細胞(ナシ類の果実内のツブツブ)のようなものがあるためか、ワォーリッチは本種を「ナシ属 Pyrus」とした。
学 名 命名者 備 考
1853  Pyrus lobat  K. コッホ  ①を訂正した異名
Karl Heinrich E. Koch (1809-1879)は ドイツの植物学者で、コーカサス地方、北部トルコの植物調査を行ったことで知られている。
ベルリン園芸協会の事務局長を務め、『園芸植物週刊誌』(1858-1872) を出版した。
K. Koch
本種を記載したのは『Hortus Dendrologicus』の182 ページで、当時の POMACEAE リンゴ・ナシ科に分類されている。
種小名の lobata は「浅裂の」の意味で 幼葉の形に注目して①を訂正したものだが、当時はまだまだ、学名の先取権についての認識は無かった。
1864 植物命名法の国際基準化を目指して、第1回ブリュッセル年会が開催される
1867  同上 第4回パリ年会、ド・カンドル法が発行される
学 名 命名者 備 考
1874  Docynia  ドケーヌ  新しい属名
 Docynia indica  本種の正名
Joseph Decaisne (1807-1882) は現在のベルギー生まれのフランスの植物学者。フランス自然史博物館の庭師から始めて、パリ植物園の栽培部門の長になり、フランス植物学会の創設にも関わった。

本種は自然史博物館の機関誌『Nouvelles archives du Muséum d'histoire naturelle』第10巻に寄稿した
Decaisne
「Famille des Pomacées ポマ(リンゴ・ナシ)科」の中に、第 III 属 DOCYNIA (新属) として記載した。
中 略
ドキニア属の一般的な説明の最後のセンテンス、緑のアンダーラインで示した部分に、葉が inciso-lobatis 欠刻状に浅裂している と書かれ、サンザシ属の Crataego Oxyacantha のようだ、とある。過去の文献のひとつとして ①を記載している。
C. Oxyacantha L. は 現在 Crataegus rhipidophylla Gand.とされ、サンザシよりも尖った欠刻の葉をもつ。
Docynia indica Crataegus rhipidophylla

Wikipedia より
同書 第14図 (再掲)
 以後の命名は、結果的にすべて異名となる。
1900 国際植物学会議 第1回 パリ会議。命名規約の改定なし。
1905  同 第2回 ウィーン会議。新規約発行。
1910  同 第3回 ブリュッセル会議。
学 名 命名者 備 考
1915  Pyrus rufifolia  レヴェイエ  D. indica の異名
Augustin A. Hector Léveillé (1864-1918) はフランスの植物学者で聖職者。
インド東海岸のフランス植民地に教師として派遣されたがフランスに戻り、雑誌『Le Monde des Plantes 植物の世界』を創刊、また植物地理学会を設立して、雑誌『Bulletin de l'académie internationale de botanique』(1900年からは『Bulletin de géographie botanique』と改名)も創刊。
Léveillé
本種を記載したのも その『Bulletin de géographie botanique』第25巻で、同じく聖職者で植物採取者の É. F. E. Maire (1848–1932) が中国雲南省の3,050mの高地で採取した標本に名付けたもの。

新しい標本に新種として?名付けたようだが、本種と同じものだった。
rufifolia は、赤い葉の という意味である。
学 名 命名者 備 考
1917  Malus docynioides  C. K. シュナイダー  D. indica の異名
Camillo Karl Schneider (1876–1951)はドイツの植物学者 景観設計者で、ベルリン、ウィーンで働き、中国への採取旅行の後、1913~19年まで、ボストンのアーノルド植物園でも働いた。帰国後は長く雑誌の出版の仕事を行った。
本種を記載したのは、雑誌『Botanival Gazette』第63巻に寄稿した「Arbores Fruticesque Chinenses Novi 中国の灌木の新種、その1」の 400ページで、Malus リンゴ属の新種として掲載している。
Schneider
四川省の 標高約2,700mの山中で採取した個体では、各心皮に2胚珠しかないのに対して、Docynia indicaD.delavayi は 4~6胚珠をもつとして、リンゴ属に新しい「節 Docyniopsis」を設け、新種として記載したもので、名称はともに Docynia属 を意識している。
現在の GRIN(*)の見解では、D. indica の異名となっている。
命名時には新種と考えたため、①の種小名を引き継いでいない。
なお、リンゴ属 Docyniopsis節 の分類区分は健在で、たとえば オオウラジロノキ M. tschonoskii はここに置かれている。
*) GRIN:アメリカ農務省のデータベース Germplasm Resource Information Network
学 名 命名者 備 考
1920  Docynia docynioides  レーダー  ⑤を訂正したが異名
Alfred Rehder (1863-1949) はドイツ生まれで、ボストンのアーノルド樹木園で働いた植物学者。
大学は目指さずに、ベルリン植物園を手始めに各地の植物園で働き、樹木・果樹の研究のために 1898年にアメリカに渡った。アーノルド樹木園で調査している時に園長のサージェントに認められて、園にとどまるように説得され、1904年にはアメリカに帰化した。
Rehder
このため、⑤の命名者 シュナイダーの在園時(1913~19年)には一緒に働いていた。彼がアーノルドの滞在中に寄稿した Malus docynioides を3年後に訂正することになったのは、机を並べて? ドイツ語で会話しながら、ともに中国の樹木を研究していたためだろう。
本種を記載したのは、レーダーが発刊を開始した季刊の機関誌『Journal of the Arnold Arboretum』の第2巻 58ページである。
⑤を記載したシュナイダーは、そのタイプ標本をアーノルドの標本館に納めていた(標本番号1349)。レーダーがこれを改めてチェックしたところ、各子房室には3~5個の胚珠があったために、リンゴ属ではなくドキニア属に変更したもの。
ハーバード大学によるデータベース『Flora of China』の図版を見ると、確かに各子房室に複数の胚珠・種子がある。


①と同じ種であることは確認しようがなかったと思われる。
改めて ① ウォーリッチの第173図を拡大してみた。上図ほどの「毛」は描かれていないが、細かな黒点がある。
小石川植物園で見つけた果実には まったく毛がなかったが、初夏に確認したところ、幼果には毛があるようだった。
学 名 命名者 備 考
1932  Docynia rufifolia  レーダー  ⑤を訂正したが異名
同じく『Journal of the Arnold Arboretum』の第13巻 310ページで、④のPyrus rufifolia を訂正したもの。図版は省略。

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