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植物名 |
命名者 |
科名・属名・備考 など |
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学名の出発点『植物の種』(1753) 以前の記載 |
異名の対象外 |
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| 学名の出発点に定められたリンネの『植物の種』には、それ以前に掲載していた自書とともに、参考文献が挙げられている。これによってリンネ以前の命名の様子を覗うことができる。 |
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1576 |
Populus Novi Orbis |
ロベル |
多名法による |
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Mathias de Lobel はフランドル地方の医師・植物愛好家で、イギリスに渡って国王 ジェームス一世の侍医となった。
ロベルによる植物誌『Plantarum seu stirpium historia』は葉の形で分類され、過去の著作物から2千以上の図版が掲載されている。図には、あたかも
Populus(ハコヤナギ)属のようなタイトルがついているが、ハコヤナギ属は数ページ前に別に記載されている。 |
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ロベル |
 (1538-1616)
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| 上図は本種を記述した部分の一部だが、欄外に記載した多名法による植物名(赤のアンダーライン)は「Praegrandis folio rotundo
novi orbis populus」で、始めの3語は「極めて大きい丸い葉、」。次の3語がうまく訳せないが、 |
| 葉の形を「円形のポプラのように見える」と表現したものと思われる。 |
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| ❶ |
1696 |
Uvifera littorea |
プルークネット |
ウウィフェラ属 |
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Leonard Plukenet はイギリスの植物学者。珍しい植物を集め、王室植物官になった後は、ジョン・レイの『植物史』第2巻などの出版を協力。彼が集めた標本は、自然史博物館のコレクションとなっている。
Unifers littorea は『Almagestum Botanicum』 p.394 に4種のUnifers属を記載したうちのひとつ。属名は現在の種小名、「ブドウ状の部分がある」の意味、littorea
は「海浜性の」であり、まさに「ハマベブドウ」でる。さらに「Sea-side Grape」の別名も載っている(右側の赤線)。
また同書には無数の参考文献が列挙されており、古くからよく知られた植物であることがわかる。 |
プルークネット |

(1642-1706)
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| ❷ |
1696 |
Prunus maritima racemosa. |
スローン |
プルヌス属 |
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Sir Hans Sloane (1660-1753) は アイルランド出身の医師・博物学者・収集家で、その7万1千点ものコレクションはイギリス政府に遺贈された。それらを基に大英博物館が開かれ、後に自然史博物館の基礎となったと言われている。
❷は『Catalogus Plantarum quae in Insula Jamaica』p. 183 に記載したもの。その意味は「総状花をもつ海のプルヌス属」。小さなスモモのような実が総状につく様を表したものだろうか?ここにも無数の参考文献が列挙されており、のちにミラーが記載する Guaiabara の名称が多数みられる。 |
スローン |

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| スローンの命名時にはまだ「二名法」が確立しておらず、複数の形容詞を列記して植物名としていたのだが、本種の特徴である「海辺」が ❶ ❷ともに、300年以上前の時代から付けられていたことがわかる。 |
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| ❸ |
1731 |
Prunus maritima racemosa |
ケイツビー |
同上 |
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Mark Catesby (1682-1749) はイギリスの博物学者。自然史を学んだあと 二度アメリカに渡り、動物・植物・鳥類・爬虫類などの標本を本国に送った。その後カロライナ植民地の採集計画に参画し、標本はハンス・スローンに送られた。
帰国後にカラー図版入りの『Natural History of Carolina, Florida and the Bahama Islands』2巻を出版した。スローンとの関係からか、本種の名称は❷と同じである。 |
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| 同書による t.96 ハマベブドウの図 |
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| 1735 |
Polygonum 属 |
リンネ |
タデ科・タデ属 |
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| Carl von Linné (1707-1778)は『自然の体系 第1版』(1735) および『植物の属』(1737) にタデ属を記載した。『植物の属』では、トゥルヌフォール
(1656- 1708) をはじめ、多くの先駆者の名称を参考にしながら、独自のものも合わせて1,105属を記載した。ただし、この本は命名基準前の刊行。 |
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年 |
学 名 |
命名者 |
科名・属名・備考 など |
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1753 |
『植物の種』以降の出版、記載 |
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| 様々な形で記載されてきた植物の名前を一本化するためには、どこかに線を引いて基準を定めなければならない。名前を「属名と種小名」で表す二名法は、一部ではそれ以前から使われていたが、『植物の種』では全ての種について定めたことが、後に学名の出発点として選ばれた最大の理由である。 |
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1753 |
Polygonum 属 |
リンネ |
タデ科・タデ属 |
| ① |
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Polygonum uvifera | |
本種の元の学名 |
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『植物の種 Species Plantarum』第1版 p.365 に記載したもの。
属名が有効となっているのは学名の出発点である『植物の種』に記載があったため。❶~❸ は筆者が加筆したもので、前掲の参考文献を示している。 |
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リンネはタデ属として26種を記載しており、その最後に「木本 (Caule arboreo 茎は樹木)」として本種を載せている。本種はのちにハマベブドウ属に変更される。
種小名は ❶で プルークネットが属名としていた、そしてすでに自身が『クリフォード氏植物園誌』(1737) で使っていた uviferum を採用し、200年前の
ロベルのスタイルで、欄外(右の赤線部 筆者加筆)に記されている。 |
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| ② |
1754 | Guaiabara | ミラー |
nom. rej. 異名 |
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| Philip Miller (1691-1777) はスコットランドの植物学者・園芸愛好家で、ロンドン チェルシー薬草園の園長を務めた。植物をアルファベット順に並べた『園芸事典
The Gardeners Dictionary』を刊行し、改定を重ねた。その第4版に本種を別の属名 Guaiabara で記載した。 |
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| ミラーは当時隆盛だったリンネに対抗心があったか、あるいは保守的な考えだったようで、『園芸事典』では、トゥルヌフォールやジョン・レイなどの先人が決めた属名を使っていた。このため『植物の種』の翌年に刊行された『園芸事典
第4版』に記載された学名のうち、『植物の種』で使われていなかった属名だけに「先取権」が生じ、たとえば Acacia属、カラマツ Larix属、バニラ属
などにミラーの名が付いている。 |
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本書では明確な二名法は使われていないが、後半の解説では、ロベルの植物名も見受けられる(右側の赤線)。Guaiabara は新たに「ハマベブドウ属」として記載されたものなので、正名とされるべきと思われるが、現在は採用されていない。
これは、国際植物学会議の 2017年 深圳会議で、再度?「heterotypic synonym 異タイプ異名」ととして却下されているためである。
なお Guaiabara属は もともとプルミエ(1646-1704) が提唱していたものだが、その意味は不明。 |
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| 1756 |
Coccolobis 属 |
ブラウン |
ハマベブドウ属の異名 |
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| Patrick Browne (1720-1790)は、アイルランドの医師で植物学者。1746年にジャマイカに移り住み、『The civil
and natural history of Jamaica』p.209 に、Coccolobis属の第1種目として本種を記載した。 |
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丸付き番号は筆者の加筆。 参考文献は限られた数だけだが、リンネの『植物の種』やそれに載っていた ❶~❸、その他がある。しかし二名法による明確な種小名を記載しておらず、ブラウンとしての種小名は無いように見える。
この本には 104もの新しい属名が挙げられているそうだが、現在も有効な名がどれだけ残っているかは不明。ブラウンはリンネと連絡を取っていたようだ。 |
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| すでに ② Guaiabara属の発表後だが、結果的に保留名のきっかけとなった。 |
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| ③ |
1759 |
Coccoloba uvifera |
リンネ |
現在の正名 |
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ロンドンで1756年に出版された前記ブラウンの著書『The civil and ~ of Jamaica』は、リンネのもとに送られた可能性がある。
穿った見かたかもしれないが、これを見て ハマベブドウがタデ属でないことに気が付いたリンネは、ブラウンの属名をそのまま使わずに、あえて少し綴りを変えた Coccoloba属としたのではないだろうか。 |
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『自然の体系 第10版』第2巻の p.1007。
リンネは『植物の種』でタデ属としていた属名を COCCOLOBA に直して、A. ~ E. の5種を記載している (A.が本種)。ここで注目すべきは、COCCOLOBA
には頭に「通し番号」が振られていないことである。次の PAULLINIA属(ムクロジ科ガラナ属)には 446.の属番号があり、ひとつ前の POLYGONUM
が 445.となっている。つまりリンネは、ハマベブドウ属を正規の属とは見なしていなかったことになるが、のちに学名は広く使われ、現在も認められており、ハマベブドウは
Coccoloba uvifera ( L. ) L.
と表記される。 |
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| ④ |
1766 |
Coccolobis uvifera |
クランツ |
本種の異名 |
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| Heinrich Johann Nepomuk von Crantz (1722-1799) は、ルクセンブルク生まれの植物学者・医師。ブラウンが記載した
Coccolobis属に、正式に種小名が載っていないので、『Institutiones Rei Herbariae juxta nutum Naturae
Digestae ex Habitu』第1巻 p.132 にこれを記載した。 |
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