Kalopanax septemlobus の 命名物語
2010.11 ハリギリを掲載
2013.12 訂正版 掲載
2014.6 命名の経緯を修正
2017.7 命名の経緯を 再構成
2018.8 命名の経緯を 再修正

 1 学名の混乱
研究者の見解による違いで、ハリギリの学名として
  Kalopanax septemlobus Koidzumi
  Kalopanax pictus Nakai
のふたつの学名が使われている。両者の元の名前の(事実上の)命名者は、18世紀に日本にやってきた「カール・ツンベルク」である。その 元の命名は、
   Acer septemlobum
   Acer pictum
であり、後にハリギリは、Acer属から ハリギリ属に分類し直された。

植物事典・図鑑などで septemlobuspictus のどちらが使われているか、対決状況をチェックした。

 Kalopananax
  septemlobus
『園芸植物大事典』 / 小学館 コラム
 "ツンベリー著『日本植物誌』の学名" 大場秀章
『植物の世界』 / 朝日新聞社
『樹に咲く花』 / 山と渓谷社
『原色樹木検索図鑑』 / 矢野 佐・石戸 忠
 京都植物園 名札(2001年時点)
 ボストン アーノルド植物園 名札(2000年時点)

 Kalopananax
   pictus
『園芸植物大事典』 / 小学館
本文 : 担当 横井政人
『新訂 牧野新日本植物圖鑑』/牧野富太郎
『図解植物観察事典』/ 室井 ほか
『Index Kewensis』 / Oxford Univ. Press
『日本の樹木』 / 山と渓谷社
『日本の樹木』 / 中川重年
『樹木』 / 永田芳男
『葉でわかる樹木』 / 馬場多久男
『世界の木材』 / 小学館
『木の写真図鑑』/Allen J. Coombes
 小石川植物園 名札(2007年時点)
 北大付属植物園 名札
 神戸市立森林植物園 名札(2007年時点)

こうしてみると pictus派が優勢だが、自分で検討した結果ではなく、牧野博士の見解にならって名前を決めた著者もいるに違いない。

しかし、牧野博士は『日本植物誌』の原書や「復刻版」を所蔵しており、必ずやその記載内容を調べていたはず、である。


『園芸植物大事典』での内部対決
驚くべきことだが、『園芸植物大事典』では同じ本の中で、本文担当の横井氏とコラム担当の大場氏との見解が異なっている。
当然、事典の編集会議の時には話題になったことだろうが、両人とも、どうしても譲れない事項だったのだろう。

自分で確かめるまでは、大場博士の『日本植物誌』に関するコラムに敬意を表して Kalopananax septemlobus としていた。大場博士は、オランダ国立植物学博物館の歴史的な植物標本の研究も行っている。

ほかの種の名にも影響する
各自それぞれの立場で「ハリギリの学名」が決まると、以下のように、関係する別の植物の学名に対する和名も変わってくる。

それは、先に述べたツュンベリーの「カエデ属として定義した学名」の種小名が、現在でも両方とも「有効」であり、どちらをハリギリとするかによって、もう一方の解釈が違ってくるためである。

■ハリギリを Kalopananax septemlobus Koidz. とする場合
ツュンベリー
『日本植物誌』の学名
現在の学名 和 名
 Acer septemlobum  Kalopananax septemlobus  ハリギリ
 Acer pictum  同左  イタヤカエデ

■ハリギリを Kalopananax pictus Nakai (1927) とする場合
← Acer pictum Thunberg ex. A. Murray (1784)
ツュンベリー
『日本植物誌』の学名
現在の学名 和 名
 Acer septemlobum  ← Acer palmatum イロハモミジ
の異名
 Acer pictum  Kalopananax pictus  ハリギリ
 -  Acer mono ssp. marmoratum  イタヤカエデ

ハリギリの種小名が pictus の場合は、「色がある」という形容詞が何を指すのかを考える必要がある。
確かに ハリギリの葉は秋には黄色くなる。実は熟すと黒くなる。しかし、どちらにしても しっくりしない。

 2 なぜ Acer属 か?
ハリギリが Acer septemlobum か pictum のどちらなのかとは別の問題として、大きな疑問なのは、「Aralia タラノキ属」 を認識していたツンベルクともあろう学者が、トゲだらけのハリギリを、なぜ 「Acer(カエデ)属」に分類したのかという点である。

カエデ科は中国や日本の特産ではなく、ヨーロッパやアメリカ大陸にも分布している。ツンベルクの師 リンネ の『植物の種』が刊行されたのは、彼がヨーロッパを発つ 26年前で、そこにはすでに 10 種のカエデ属が記載されている。また重要な参考文献として、85年前にオランダ商館付きの医師として来日した、エンゲルベルト・ケンペル (1651-1716) が著した『廻国奇観』も熟読していた。
C. Thunberg
ツンベルクが『日本植物誌』(1784) のAcer属に記載した、6種を見てみよう。
64歳の肖像画 Wikipediaより
記載名 同書記載の日本名 現在の学名 和名
 A. dissectum  モミジ  A. palmatum 'Dissectum'  チリメンカエデ
 A. japonicum  モミシ、ハナモミシ   同学名  ハウチワカエデ
 A. palmatum  Kekvan Mokf、
  カイデ、モミジ
  同学名  イロハモミジ
 A. septemlobum   -  Kalopananax septemlobus  ハリギリ
 A. pictum  モミシ、Kekvan eadem   同学名  イタヤカエデ
 A. trifidum  カクレ ミノ  Dendropanax trifidus  カクレミノ
  septemlobum:七浅裂の、trifidum:三中裂の
記載順。「同書の日本名」はツンベルクが日本人から聞き取ったもの、あるいはケンペルの『廻国奇観』から転記したものである。
しかし、緑の網掛け2種は カエデ属ではなかった。文中に「カエデ属」という言葉も使っているので、ウコギ科の2種をカエデ属と勘違いして記載したようだ。

両方共に、江戸参府途中の箱根で見かけたもので、花や実を観察・採取できずに、葉だけで判断したのではないだろうか?

 3 ハリギリの学名 の解明
すでに結論を書いてしまったが、これからが肝心の ハリギリの学名がどちらか、の解明である。

ハリギリの学名 その1
ツュンベリーの Acer pictum が「ハリギリではない」という、決定的な資料を見ることができた。

次の写真は、1805年に発行された『ICONES PLANTARUS JAPONICARUM』 日本植物図 という元版を、植物文献刊行會が1934年に復刻したものである。

B4版大の5巻からなる図版で、表紙には ツュンベリーが1775年と1776年に日本で採取し記載した、と書かれている。
残念ながら Acer septemlobum の図はないのだが、Acer pictum の図が その第5巻にあった。目次に、確かに Flor. Jap. 『日本植物誌』 162ページ と ある。
5巻の目次 Acer pictum
図中の赤線は筆者が加筆したもの
その図はハリギリではなく、イタヤカエデである。

この結果、Acer septemlobum がハリギリということになる。


ハリギリの学名 その2
ツンベルクの『日本植物誌』 162,163 ページの内容を確かめてみた。羅和辞典と首っ引きで検討した結果、私の結論も、
   Kalopanax septemlobus
となった。
『日本植物誌』 162 , 163 ページ

図中の赤線は筆者が加筆したもの
本書には「Iaponice:日本名」が載っていることが多いのだが、残念ながら septemlobum の項には「呼び名」はなかった。また、Acer septemlobum および pictum のどちらにも、花や実についての記述がない。

両者の記述には似たような部分も多かったが、葉の記述などで判断した。

 ■ 根拠 1
それぞれの「種の記述」の初めの部分は同じで、「Acer foliis septemlobis glabris : lobis acuminatis」 となっている。これを訳すと「カエデ属、葉はほとんど無毛で七浅裂、裂片は鋭尖」である。

それに続く部分が決定的に異なる。
septemlobum の方は、aequaliter argute serratis
「同じ形の尖った鋸歯のある」
一方 pictum の方は、integris全縁の」、である

今 septemlobum と pictum のどちらが「ハリギリ」かを決めるわけであるから、答えは明白である。
ハリギリの葉には鋸歯がある

 
全縁のイタヤカエデ
イタヤカエデの黄葉した右の写真では、縁が波打っていているが、鋸歯ではない。
つまり「全縁」と記載されている Acer pictum がハリギリということはあり得ないのである。

このことがわかれば、2つの見解が生じる事などはない。なぜ牧野博士は Acer pictum をハリギリとしたのか? 不思議である。博士に その根拠を伺いたいところだ。

 ■ 根拠 2
同書の Acer pictum の方には、2項目に ” 日本名 ” の記述があり、「Momisi 同様に Kekvan (筆者 注)」 となっている。これだけでは、どんな種類のカエデ類かはわからない。

続く「Kaempf. Am. ex. Fasc. V. p.892」は、ケンペルによる『廻国奇観 (原題/異邦の魅力/1712) 』 第5部の 892ページに記載されている、という意味である。そこには、カエデ属と思われる、二種の「モミジ」 が記載されている。
Eadem は「同様に」の意味で、同種 を指すものと思われるが、ともに紅葉することが書かれているので、ハリギリではない。
また後の『異邦の魅力』の解説書には、「ハリギリ」の記載はないことになっている。
すなわち、Acer pictum はハリギリではないことになる。
注:「Kekvan」は、原著の「鶏冠 / Keequan」の綴りが変形してしまったもの(上図 赤線部分)。
なお、ケンペルの時代には、2名法 (属名と種小名) による学名という考え方は確立されていなかった。

 ■ 根拠 3
3つ目は 根拠とまでは言えないが...。

チュンベリーの『日本植物誌』 Acer pictum の第5項には ” Rami et Ramuli : 枝と小枝 ” の記述があるのだが、そこに「刺」の記載がない。
私だったら もし Acer pictum がハリギリの場合、必ずその大きな「トゲ」について記載する。

恐らく、Acer pictum はハリギリではない。


同じような植物がある場合には、いくら詳細に言葉を並べてもそれだけでは種を特定しにくい。今回 ツンベルクの何種かの記述を調べて、改めて「標本や図版」の重要性を認識した。


  4 原因の追及
なぜこのような混乱となったのか?

きっかけとなったのは、新田東洋彦氏に教えていただいた オレゴン州立大学 『Landscape Plants』 のページである。その Acer pictumの項に
 "The nomenclature story 命名物語 "
という文があり、経緯がまとめられていた。その説明には納得いかない部分があり、自分なりに考えてみた。

以下に 関係する学名の記載を一覧表とし、説明を加えた。

発表年月 学名 命名者 書名 現在の和名 等
a.  1784年
  5~7月
 Acer septemlobum Thunb. ex Murray  植物分類体系14版 ハリギリの元の学名
b.   同上  Acer pictum Thunb. ex Murray    同 上 イタヤカエデ(広義)
a'.  1784年 8月  A. septemlobum  C. P. Thunberg  日本植物誌  発表が遅れ 無効
b'.   同上  A. pictum  C. P. Thunberg    同 上  発表が遅れ 無効
解説: a、a’ が ハリギリ、b、b’ が イタヤカエデだったことは、本文で説明したとおり。両者の内容は同じものとして考察する。近年までツンベルクの『日本植物誌』が正式版として通用していたが、実はムレイの出版が先だったことがわかり、学名の「先取権」を持つことになった。
c.  1784年
  10月以降
 Acer pictum  C. P. Thunberg  王立ウプサラ
   科学協会報
 無効な同名意義語
c . は異名として GRIN に載っており、コメント と 掲載書名があるおかげで、経緯解明の手がかりとなった。

ツンベルクが同じ1784年に記載した カエデ属の A. pictum が、3行目で ハリギリの異名と明記されているので、この出版の A. pictum はハリギリだったことがわかる。
コメントは「後から命名した無効な同名であり、使用することができない。ツンベルク(ex.ムレイ)が記載した A.pictum はカエデ属の別種。」

そこで、この学名が記載された図書『王立ウプサラ科学協会報(仮名)』4巻の、36ページ、40ページを調べた。
タイトルは「ケンペルの業績(仮名)」。会報の31ページから始まっている。
36ページは前半部分で、『廻国奇観』の種に対応する 学名の一覧表である。左側が『廻国奇観』に記載されている種の名称と掲載ページ、右側にツンベルクによる学名が併記されている。同様の対照リストはすでに『日本植物誌』の巻末にも掲載されていた。ツンベルクがいかに『廻国奇観』を参考にしていたかがわかる。ここでは、 後半部分の40ページには、それぞれの種の簡単な説明が書かれている。

A. pictusを『日本植物誌』の記述と較べると、
鋸歯がある serratis と修正されている。
 10行目 Keequan(鶏冠) ・・・を A. palmatum
 14行目 Eadem を A. pictum (筆者 線) とし、
 15行目には Aralia pentaphylla (タラノキ) がある。
しかし あくまで Acer属 のままであり、単純に考えれば、(全縁ではなく)「鋸歯があるカエデ属の pictum」に訂正しただけ、となる。
考 察 (推定):
ツンベルクが 、ケンペルが記載した二つ目の Eadem (カエデ属)をハリギリとしたのは、大きな間違い、勘違いだった。なぜなら、ケンペルの『異邦の魅力 』の Eadem の項には、「葉は秋に紅紫色・サフラン色・赤などに紅葉する」とあり、ハリギリの黄色~褐色とは合わないためである。

もし『日本植物誌』の A. septemlobum ハリギリがカエデ属でないことに気付いたのなら、a' をしかるべく訂正すべきだが、本書では、すでに自分で記載した b' の A. pictum をカエデ属のままハリギリとして修正したようだ。

オレゴン州立大学の命名物語には、「ツンベルクは b' すなわち イタヤカエデ は間違った名前だったと主張した」とあり、理屈が合う。

ハリギリを Acer(鋭いの意味)属のままとした原因として、当時は命名規約が確立されていなかったためかもしれない。つまり、科が違えば同じ属名であっても構わないと考えていた可能性がある。

発表年月 学名 命名者 書名 現在の和名 等
a.  1784年
  5~7月
 Acer septemlobum Thunb. ex Murray  植物分類体系14版 ハリギリの元の学名
b.   同上  Acer pictum Thunb. ex Murray    同 上 イタヤカエデ(広義)
a'.  1784年 8月  A. septemlobum  C. P. Thunberg  日本植物誌  発表が遅れ 無効
b'.   同上  A. pictum  C. P. Thunberg    同 上  発表が遅れ 無効
c.  1784年
  10月以降
 Acer pictum  C. P. Thunberg  王立ウプサラ
   科学協会報
ハリギリ ?
 ( ここまでは 重複掲載 )
1857年  Acer mono : Maximowicz Bull. Cl. Phys. エゾイタヤの異名
解 説:
b'. Acer pictum が別の植物 c. に変更された事を踏まえ、ロシアのマキシモヴッチが イタヤカエデの学名として、新たに Acer mono を記載した。

150年前の学名規約の状況は明らかではないが、現在では、すでに使われている学名をそのまま別種に付けることはできない。また、昔に行われたこのような例は遡って異名として扱われる。当時、「先取権」の概念が確立していなかっとすれば、イタヤカエデ b' の学名がなくなってしまった、と考えて新たに記載したとも考えられる。いずれにせよこの A. mono が受け入れられ、イタヤカエデとして長い間使われた。
mono は エゾイタヤ A. pictum subsp. mono として生き延びている。
実際には b. に先取権があり、現在も有効である。
1863年  Kalopanax  ミクエル バタビアの植物  ハリギリ属
ここで初めて ハリギリ属が定義される。記載された種は
 K. divaricatus、K. innovans、K. resectum、K. ricinifolius
などだったが、現在はいずれも異名で、結果的には属名だけが生かされた。
d. 1925年  Kalopanax
  septemlobus
 小泉源一 ボタニカルマガジン a. を訂正 ハリギリ
 現在の正名
e. 1927年  Kalopanax pictus  中井猛之進 朝鮮野生植物誌 *  c. を訂正
解 説 :
昭和にはいってハリギリに対するふたつの学名が出そろったが、e.Kalopanax pictus が長い間通用していた。

1993年に大橋広好が b. Acer pictum の有効性を主張。すなわち、c. の刊行は 1784年12月あるいは 1785年1月で、ムレイが 『植物分類体系 14版』 に記載したよりも 6ヶ月以上遅く、イタヤカエデとしての名称は b. のAcer pictum に優先権がある、という指摘。

これが1997年に International Council for Taxonomic Nomenclature に認められ、
 . Kalopanax septemlobus Koidz.
がハリギリの「正名」とされた。
注) 書籍名 *印 『朝鮮野生植物誌』は推定。 原題はラテン語。

今まで Kalopanax pictus は、
b . Acer pictum イタヤカエデ
を訂正したものと考えていたので、なぜ イタヤカエデ とはっきりしている b.を ハリギリ とするのかが不思議でならなかったが、じつは 発行年が曖昧だった
c . (ウコギ科) Acer pictum
を訂正したものだった、ということになり、一応納得ができた。

牧野先生もミスしたのは、ツュンベリーが発表する前に その成果をムレイがそっくり発表してしまった事、ツュンベリーも前後して何度か発表しているためで、刊行年をはっきり意識してすべてをチェックしないといけない、という微妙な判断であったためだろう。

最後の問題は、ツュンベリーが 「ハリギリ = Acer pictus」 にこだわった事である。『日本植物誌』の時点では 「イタヤカエデ = Acer pictus」 だったものをわざわざ訂正したわけで、傍目には Acer septemlobum でいいと思うのだが、自分でも混乱したのか、初めから ハリギリの名を 「Acer pictus」にしたかったのか・・・。

ハリギリの異名  附 録
このように 名称に混乱をきたしていただけに、多くの人が ハリギリに さらなる学名を付けている。 トピックス 1 と重複する部分もあるが、様々な「異名」を 命名年順に掲げてみた。

発表・掲載 年月 学名 命名者 備考 (正名以外はすべて異名)
1784年 5~7月  Acer septemlobum  Thunb. ex Murray  ハリギリの元の学名
①' 1784年 8月  Acer septemlobum  C. P. Thunberg  発表が遅れてしまったために 無効
1784年 10月以降  Acer pictum  C. P. Thunberg  ウコギ科、無効な同名意義語
1845年  Panax ricinifolius  Siebold & Zucc.  Panax : トチバニンジン属
ricinifolius : トウゴマのような葉の トウゴマの葉

トウゴマの葉柄の付き方は 盾状(盾着 じゅんちゃく)
なので、ハリギリにそっくりとは言えない。

単に 葉が切れ込んでいる状態が似ているだけ。
 1863年  Kalopanax ricinifolius  Miq.  ③ を訂正したもの
 1864年  Brassaiopsis ricinifolia  Seem.  ③ を訂正したもの
 1868年  Acanthopanax ricinifolius  Seem.  ③ を訂正したもの
   akantha 刺 + Panax トチバニンジン属
 1874年  Aralia maximowiczii  Van Houtte  新規の記載
1925年  Kalopanax septemlobus  Koidz.  ① を訂正した 正名
 1927年  Acanthopanax septemlobus  Koidz. ex Rehder  ① を訂正したもの
 1927年  Kalopanax pictus  Nakai  ② を訂正したもの


参考文献 : GRIN(アメリカ合衆国農務省のデータベース)
        Index Kewensis Ver.2.0/Oxford University Press、
        園芸植物大事典/小学館、
        週間朝日百科/植物の世界・朝日新聞社、
        植物学名辞典/牧野富太郎・清水藤太郎、
        リンネとその使徒たち/西村三郎、
        植物学とオランダ/大場秀章、
        羅和辞典/研究社、
        他 多くの図鑑類、
        ツュンベリー 日本植物誌 復刻版/植物文献刊行會、
        ケンペル 異邦の魅力 ドイツ語解説版/
WOLFGANG MUNTSCHICK
        Landscape Plants/Oregon State University
小石川植物園の樹木 -植物名の由来- 高橋俊一 五十音順索引へ