ナ ギ 梛
Nageia nagi Kuntze (1891)
Podocarpus nageia R.Br. (1825)
← Myrica nagi Thun. ex. Murray(1784)
参考:Podocarpus nagi Makino (1901)
科 名: マキ科 Podocarpaceae (1847)
属 名: ナギ属 Nageia Gaertner (1788)
中国属名: 竹柏属 zhu bai 属
中国名: 竹柏 zhu bai shu
原産地: 本州西部・四国・九州・沖縄、台湾、中国
 (GRIN による)
用 途: しばしば 神社の神木とされ、また 植栽さられる。建物や橋の構造材、器具・工芸材、種子から油を。
備 考: 雌雄異株

小石川植物園では、台地の上下を繋ぐ「崖線」をメインスロープが上っていくが、それに沿う部分にツツジの生垣で囲われた区画があり、比較的 裸子植物が多く植えられている。本種はその中央部、陽の当たらない内部に6本ほどあるが、通路からは見えにくく、通り過ぎてしまう。


樹 形    2013.3.12.
中央の細長い木が一番大きな個体で、当時 約5m。
傾斜地に生えるナギ       2022.3.1. 幹   2022.10.2.
ここに、ある程度大きくなったものが数本、実生苗は無数に生えている。画面を明るくしてあるが、実態はうまく写っていない。雌雄の別もよくわからない。
右写真:中央左の木のプラスチックの名札には「71-1128」とあり、もし 1971年に植えられたものだとすると 樹齢50年以上だが、径14cmしかない。原因は陽当りの悪さだろう。
もう一本 「89-2313」のラベルが付いた木は 15cmある。後から植えられたのに太いのは、それが少しだけ通路寄り、つまりより明るい場所にあるためだと考えられる。
『APG原色樹木大図鑑』には「日照を好むが半日陰地にも耐える」とあるが、ここは非常に陽当たりが悪い。


大きくなる本来の姿を、園外の写真(黒地のタイトル)で示す。

伊豆山神社       2014.3.22.
拝殿前の左右に対で植えられている。ともに直径40cm近くあるだろうか。ただ、向かって左側の樹高が極端に低いので、一度上部が折れたものかもしれない。
伊豆山神社 右側の木         2014.3.22.
葉だけでは雌雄の別はわからない。紫褐色の樹皮は太くなるとまだらに剥げ落ちる。
高知城址          1999.11.22.
この木も直径40cmほどだったが、樹皮の紫色が濃く、艶があって美しかった。

冬芽 から 新梢へ

頂 芽 側 芽  共に2014.2.28.
鱗芽で芽鱗は3対程度。右は下向きの枝。若い枝は角ばっている。
.2014.6.4    芽吹き 同時枝   2014.6.14.
左:伸び出した頂芽の最初の低出葉の腋に同時枝が見える。芽鱗は3対なので、4対目である低出葉の側枝は水平方向に伸びることになる。
右:開いた幼葉は主軸で6対、同時枝では3対で、まだ十字対生に近い状態を保っている。(フラッシュ使用)
この後 全体(節間や葉のサイズ)が成長するに伴ってさらに茎と葉柄をひねり、次の写真の前年枝のように葉を水平にする。
茎は、一度左向きにひねると次節は右に戻し、軸が螺旋状に捩れていくことはない。
側 枝
前掲右写真と同じ枝。が年枝境で、前年枝も6対の成葉をつけ、側枝が2対目の腋から伸び出している。
このように通常は、頂芽(新梢)に1対の同時枝を伴ったうえで、さらに前年枝からも1対の側芽が伸長することが多い。
また 別のパターンもある。
同時枝なし      2014.6.4.
主軸と頂側芽が伸びるケースでは頂芽に同時枝は生じない。要するに、枝が混まないような仕組みになっている。
葉        2014.6.4.
「針葉樹」らしからぬ楕円形の葉は十字対生。すでに述べたように枝を交互にひねり、さらに葉柄を捩じって葉を平面的に並べ、少しでも受光面積が増えるようにしている。葉裏は緑色。
葉柄と葉脈      2014.2.28.
葉柄はごく短く扁平で、葉を水平にするために捩じれる。
並行脈は基部から(恐らく)2叉分枝しながら漸増し、頂部に向けて漸減していく。
側枝の成長           共に2014.2.28.
左:3年生枝(左右に伸び出してから2年弱)の同時枝。主軸との接合部が膨らんでいる。 右:枝の片方が優勢になると、基部の膨らみも極端に違ってくる。


雄 花        2013.7.4. 樹 形
ハワイ オアフ島のワヒアワ植物園に植えられていたもので、15m以上に育っていた。右写真の右下に 人が写っている。
花は少し高い位置に偶然見つけたのだが、ほかには咲いていなかった。
雌花 (球花)                 2013.6.4.
左:前年枝の左下が頂芽で、伸び出す気配がない。球花がついたのは先から2番目の葉腋で、花軸を曲げて上を向く。
右:両方の葉腋についたもの。それぞれ2個ずつの胚珠をつけている。種鱗片の基部は胚珠を半分ほど抱く形になっている。
成熟時大の種子     2015.8.15.
外種皮 注) は粉をふいた緑色。日陰でもよく育ち、前掲写真と撮影年は違うが、約2カ月で 1.5cm程度まで成長していた。
この枝は側枝だが、その茎頂の伸長はなかった。
着果すると当年は伸長しない、という可能性がある。
注) 「種子は 種鱗片が変形・肥大した套皮(とうひ)に覆われる」とする事典も多いが、これについて筆者自身は確認できていない。
『牧野新日本植物圖鑑/1961』と『園芸植物大事典』の套皮が無いという解説、および 次に掲げる シーボルトの『日本植物誌』の詳細図を参考にした結果、外側は外種皮とした。

5、6:雌球花。胚珠は種鱗片の向軸側につく。
7:受精前の倒生胚珠の縦断面。

8:種子 9:外側の木質部分(殻) 10:胚乳? 11:種子の縦断面
図7と 図 11 の構成が同じ。また 図 11 の左下に種鱗の名残のようなものがあり、「種鱗が種子を包み込む 套皮」ではない、と判断した。

種 子       2008.1.13.
伊豆山神社のバス停付近の境内にもナギがあり、拾い放題。
外種皮は剥きやすい。内種皮には突起がある。
しかし乾燥した外種皮には、幼果時には見えなかった皺があり、癒合線のような筋があるのが ちょっと気になる。
結論を出すためには、種子の成長の初期に種鱗片の様子を観察し、套皮となるのかどうかを確認する必要がある。

実生の幼樹     2013.10.19.
来園者がここに入ることが少なく、落ち葉が降り積もった場所であるためか、多くの実生苗が育っている。


 
ナ ギ の 位 置
 E14 cd    メインスロープ 左側、雌雄の区別は不明


名前の由来 ナギ Nageia nagi

 ナギ:
複数の事典に、ナギの葉が 水草の「コナギ」(古名 ナギ) の葉に似ていることに由来する、とある。
ミズアオイ(古名:ナギ 水葱) コナギ 小水葱

Monochoria korsakowii

Monochoria vaginalis
写真:福岡教育大学 福原達人、画像使用の許可取得済み
古くに「ナギ 水葱」と呼ばれたのは ミズアオイ の方で、その小型の種を コナギ としたようだ。水中に生え、茎葉を食用としたために「水葱」と名付けられたもの。両種ともに万葉集に詠われている。
『植物の世界/朝日百科』には、特にコナギについて「有史以前に、稲作の伝播に伴って日本に帰化したもの」とある。
古代から食用としていた ナギ(水葱)の由来ははっきりしているのだがら、本種 ナギ を元に → ミズアオイ(ナギ)の名がつけられたということはないだろう。
ナ ギ
ミズアオイ(ナギ)を元に 本種ナギの名が付けられた とする場合、葉の並行脈については両者に共通していることを認めるが、狭楕円形のナギの葉と較べると、心臓形のミズアオイの葉はまったく違う印象である。

 属名 と 種小名:
Nageia も nagi も、和名のナギに由来。
単純なように思えたナギの命名経緯だが、そう簡単ではなく非常に長い物語となった。


 
ナギ属 Nageia の命名物語
は正名、 は異名、
は棄却名
内は 推定事項
  肖像写真は Wikipediaより
  図版は主に、Biodiversity Heritage Library より

 学名の出発点『植物の種』(1753) 以前の記載  正名・異名の対象外
名 称 命名者 属名・備考 など
1712  Na、または Nagi  ケンペル  
Engelbert Kaempfer (1651–1716)はドイツの医師で博物学者。オランダ商館付きの医師として、1690年8月(元禄3年)から1692年9月までの2年間、出島に滞在した。2回の商館長の江戸参府にも随行して、街道沿いの植物・生物のみならず、日本の歴史、政治、社会についても観察した。
帰国後の1712年には『異邦の魅力』をラテン語で刊行。その第5部は「日本の植物」に充てられ、スケッチと標本をもとにした植物画が多数載せられている。ナギの記載は773ページ。
漢字は現在使われている「梛」とは異なる。当時使われていたものか、あるいは書き写し間違いの可能性もある。
名称は「ナ、一般に ナギ、また チカラシバ。ゲッケイジュ(のような葉の意味か?)、Julifera 茅荑花 注) のある(雄花をたとえたものか?)、美しい 無脈の葉」。 それに続く説明書きは、このあと1ページにわたる。

次のページに非常によく画けた図があるが、同じ枝に雌雄の花が咲いている点はおかしいが・・。

注) 茅荑花:
 チガヤの花穂、つばな
『植物の種』以降の出版、記載  基準日:1753年5月1日
学 名 命名者 備 考
1784  Myrica nagi  ツュンベリー 注)  ヤマモモ科、元の名
Carl Peter Thunberg (1743-1828) はスウェーデンの植物学者。リンネの高弟で、1775年から約1年間、オランダ商館付き医師として日本に滞在。76年には江戸参府も果たして徳川家治に謁見。
日本で観察した多くの植物を、帰国後に『Flora Japonica 日本植物誌』注) にまとめた。
Thunberg
注)『日本植物誌』はツュンベリーが出版する直前に、協力者のムレイが、自分の本にツュンベリーの原稿を取り込んでしまった。このため、正式な命名者はThumb. ex J. A. Murray となる。
ツュンベリーはなぜか ヤチヤナギ属(旧ヤマモモ属)に分類した。本種は対生だがヤマモモは互生。そもそも 雌花のつくりや果実がまったく異なる。雄花だけを見たのだろうか。
1788  Nageia  ゲルトナー  ナギ属 nom. rej. 注)
注):一度「棄却名」となったが、現在は正名として復活
 N. japonica  無効名
Joseph Gaertner (1732–1791) はドイツの医師で植物学者。
Wikipediaによると、1770年頃から執筆を始めた『De fructibus et seminibus plantarum 植物の果実と種子』では顕微鏡も使って1,000以上の種を正確に記述し、180の銅版図が添付されている とある。
Gaertner
彼は同書で、過去にチュンベリーが ②で Myrica nagi (ヤチヤナギ属)としていたものを新属 Nageia とし、学名をN. japonica(赤線) とした。文献としてケンペルの書❶ も挙げられている。
属名は「先取権」を確保したのだが、種小名 は現在の命名規約に沿っていなかった。
ゲルトナーは、「ナギ」は属名に取り込んだのでそれでよしとし、種小名は原産地の「日本」として完璧を期したつもりだったろう。
命名規約の議論が始まったのは19世紀後半であるから無理もないことだが、のちに制定された規約では、ツュンベリーが記載した種小名 nagi に先取権があり、後から別属に分類する場合は Nageia nagi と、種小名を引き継がなけれはならない。
学 名 命名者 備 考
1806  Podocarpus  ラビヤルディエール  却下名 nom.rej.
  P. aspleniifolia  現 エダハ-マキ属
この命名は⑤に関係するために掲載。Nageia属が棄却された経緯とは無関係。
1807  Podocarpus  ペルズーン  マキ属 nom. cons.
 P. elongatus  正名 和名なし
Christiaan Hendrik Persoon (1761–1836) は、南アフリカ生まれ 主にオランダで活躍した医師で、菌類や植物の研究も行った。
④が刊行された約1年後『Synopsis plantarum,seu Enchiridium botanicum, ~』第2巻 p.580 で、Podocarpus属に別の種 elongatus を追加記載した。
Persoon
1. (緑の下線)は ラビヤルディエールが ④で記載した種だが、この後 別の属となる。Wikipediaには「ペルズーンは医師の仕事の余暇に植物学の研究を行った」とあるが、わずか1年前の出版を踏まえたこの記述には驚かされる。
2. が 新しく Podocarpus属に追加した種で、以前にエイトンが Taxus イチイ属としていた種を Podocarpus属 に変更したもの。
ここで、現在の Podocarpus マキ属としての種が初めて記載された。
解説:
Nageia属 と ⑤ Podocarpus属が併存していた時は問題なかったが、ある時期に Nageia属が Podocarpus属に含まれることになった。注)
Nageia 属に先取権があるので、本来 全体を Nageia属とすべきところだが、Podocarpus属が「保留名」となった。
注) 『牧野新日本植物圖鑑』(1961)、『園芸植物大事典』(1994年 コンパクト版)、『植物の世界』(1997年)、『樹に咲く花』(2001年)ともに、ナギは Podocarpus マキ(イヌマキ)属となっている。両属の統合の時期、また 最近のナギ属の復活の時期は不明。
1892年に最初の提案がなされ、1906年には保留が決定したようだ。
学 名 命名者 備 考
1825  P. Nageia  R. ブラウン ex ミルベル  nom. illeg.
Robert Brown (1773-1858) はイギリスの植物学者。ブラウン運動の発見者としても知られている。19世紀初頭からオーストラリアの植物を調査し、1200種近くの学名を記載した。
『Mémoires du Muséum d'histoire naturelle』第13巻に M. Mirbel が寄稿した「ESSAI sur La Distribution Geographiqe des Coniferes」の中に、ブラウンが命名した本種その他が、一覧表の形で載っている。
Brown
しかし、種についての記載文・判別文などが無いため、正式な学名としては扱われていない。
1846  P. Nageia  シーボルト & ツッカリーニ
Philipp Franz Balthasar von Siebold (1796-1866) はドイツの医師で博物学者。1823年の夏から 約5年間 日本に滞在。28年の帰国時に「シーボルト事件」が発覚し、追放処分に。
30年オランダ帰国後に日本および植物に関する研究をまとめ、ドイツの植物学者 ツッカリーニと共同で、1835年から『日本植物誌』の出版を始める。1944年までに第1巻の出版を終える。
そこで別に『Florae Japonicae familiae naturales :~』を出版した。これは日本産の植物を 科・属ごとにまとめて簡単な説明を加えたもので、いわばダイジェスト版である。1846年出版の第2巻に、ナギがある。
820番 ナギには説明は無い。学名はブラウンの ⑥ Podocarpus Nageia を採用している。
注目すべきは、2行目に「Fl. jap. II. tab. 135.」(緑の下線)と記載されていること。『 日本植物誌 第2巻』「図番号 135」は1870年 (シーボルトの死後) の刊行のはずだが、1846年刊行の本書にすでに記載されている。シーボルト本人が書いているのだから間違いではない。
このことから、ナギ その他部分(第2巻 パート 6~10)も 1846年以前に別の形で出版されていたか、少なくとも原稿だけはできていたか、のどちらかではないかと考えられる。
1847  P. nageia  R. ブラウン ex エンドリヒャー  異名
Stephan Ladislaus Endlicher (1804-1849) は、オーストリアの植物学者。『Synopsis coniferarum』p.207 にナギを記載した。命名者は⑥と同じく ブラウンとなっている。
記載文をどちらが書いたのかはわからないが、中国名を加えて、過去の文献も網羅している。
注) 本書でも、参考文献の最後に 『日本植物誌』図 135 の記載がある。
学 名 命名者 備 考
1854  P. nagi  ツォリンガー  無効名
Heinrich Zollinger はスイスの植物学者。
『Systematisches Verzeichniss ~』第2巻 p.82 に初めて P. nagi を記載したが、名称の一覧のみで 記載文・判別文などが無いため、正式な学名としては扱われていない。
『牧野新日本植物圖鑑』、『園芸植物大事典』や『植物の世界』では、この時の命名者 Zoll. & Moritzi ex Zoll. が使われているので、かつてはこの名が認められていたのかもしれない。
1870  P. Nageia  シーボルト  異名
Philipp Franz Balthasar von Siebold (1796-1866) はドイツの医師で博物学者。⑦ 参照。
表紙最下部の出版年「1870」
『日本植物誌』第2巻の第6~10部分は、ツッカリーニやシーボルトの死後の1870年の出版で、ミクエルがまとめたもの。

『日本植物誌』は京都大学所蔵の資料 より
ナギの学名は、ブラウンの ⑥⑧の P. Nageia に倣っている。
下段の詳細図は 前出。
19世紀に入って、ベルズーンによる ⑤Podocarpus属の制定と、R. ブラウンによる ⑥⑧ P. Nageia、およびシーボルトによる ⑦⑩ の記載によって、この学名が定着していったようだ。
学 名 命名者 備 考
1891  Nageia nagi  クンツェ  現在の正名
Carl Ernst Otto Kuntze (1843–1907) はドイツの植物学者。1870年代に事業に成功した後は世界を周遊して植物採集を行い、『植物の種の一覧 Revisio generum plantarum : vascularium~』(1891~1898) で独自の分類によって記載したものだが、他の研究者には受け入れられなかった。
N. nagi はその 798ページに載っている。
Kuntze

以下 略
過去の命名を整理し、「Nageia nagi OK」としている。
参考:1867年に 第4回国際植物学会議がパリで開かれ、命名規約初版に当たる「ドカンドル法」が制定されている。
ただしその内容や、クンツェがそれに従ったのかは未確認。
本文ではチュンベリーの記載に異議を唱えて、ヤマモモ と ナギ の各部の違いを左右に対比して記述している (799ページ 下の部分)。
分類方法には問題があったかもしれないが、クンツェの研究は少なくともナギに関しては、しっかりしたものだったと考えられる。
1903  Podocarpus nagi  牧野富太郎  異名
牧野 (1862-1957) は日本を代表する植物学者。
植物学会の機関紙『The botanical magazine 植物雑誌』第17巻 p.113 に ナギを記載している。
過去の命名を列挙しているだけだが、GRIN はこれを N. nagi の異名のひとつ、つまり正式な記載と捉えている。
114ページ 2行目から始まる、ブラウンの P. nageia を追認した文献の数の多さ(14件)に目を瞠る。まさに 牧野の博覧「狂気」ぶりが覗え、ただただ呆れるばかりだ。

命名の経緯を調べたが、Podocarpus nagi (ツォリンガー ⑨は 1854年、牧野 ⑫は 1903年の命名) が、いつから一般に普及するようになったのかは分かっていない。
Nageia属が復活したのは APG分類が始まってからだろう。



植物の分類 : APG IV 分類による ナギ属 の位置
原始的な植物
 緑藻 : アオサ、アオミドロ、ミカヅキモ、など
 シダ植物 :  維管束があり 胞子で増える植物
小葉植物 : ヒカゲノカズラ、イワヒバ、ミズニラ、など
大葉植物(シダ類): マツバラン、トクサ、リュウビンタイ、ゼンマイ、オシダなど
 種子植物 :  維管束があり 種子で増える植物
 裸子植物 :  種子が露出している
ソテツ 類 : ソテツ、ザミア、など
イチョウ類 : イチョウ
マツ 類 : マツ綱 (球果植物綱)は マツ目 のみ
マツ目 マツ科、マキ科、コウヤマキ科、イチイ科、ヒノキ科、など
マキ科 マキ属、ナギ属、エダハマキ属、ほか 和名の無い属 多数
 被子植物 :  種子が心皮に蔽われている
基部被子植物 : アンボレラ、スイレン、アウストロバイレア
モクレン類 : カネラ、コショウ、モクレン、クスノキ
 独立系統 : センリョウ
 単子葉 類 : ショウブ、サトイモ、ユリ、ヤシ、ツユクサ、ショウガ、など
真生双子葉類 : キンポウゲ、ヤマモガシ、ヤマグルマ、ツゲ
中核真生双子葉類: グンネラ、ビワモドキ
バラ上群 : ユキノシタ
バラ類 : ブドウ
マメ 群 : ハマビシ、マメ、バラ、ウリ、ブナ
 未確定 : ニシキギ、カタバミ、キントラノオ
アオイ群 : フウロソウ、フトモモ、アブラナ、アオイ、ムクロジ、など
キク上群 : ナデシコ、ビャクダン、など
キク 類 : ミズキ、ツツジ
シソ 類 : ガリア、リンドウ、ムラサキ、ナス、シソ、など
キキョウ類 : モチノキ、セリ、マツムシソウ、キク、など
後から分化した植物(進化した植物 )           

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