| 年 | 学 名 | 命名者 | 備 考 |
② |
1784 |
Myrica nagi |
ツュンベリー 注) |
ヤマモモ科、元の名 |
|
|
|
Carl Peter Thunberg (1743-1828) はスウェーデンの植物学者。リンネの高弟で、1775年から約1年間、オランダ商館付き医師として日本に滞在。76年には江戸参府も果たして徳川家治に謁見。
日本で観察した多くの植物を、帰国後に『Flora Japonica 日本植物誌』注) にまとめた。 |
Thunberg |
 |
注)『日本植物誌』はツュンベリーが出版する直前に、協力者のムレイが、自分の本にツュンベリーの原稿を取り込んでしまった。このため、正式な命名者はThumb.
ex J. A. Murray となる。 |
|
|
|
 |
|
|
ツュンベリーはなぜか ヤチヤナギ属(旧ヤマモモ属)に分類した。本種は対生だがヤマモモは互生。そもそも 雌花のつくりや果実がまったく異なる。雄花だけを見たのだろうか。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
③ |
1788 |
Nageia |
ゲルトナー |
ナギ属 nom. rej. 注) |
|
|
|
注):一度「棄却名」となったが、現在は正名として復活つ |
|
|
N. japonica |
|
無効名 |
|
|
|
Joseph Gaertner (1732–1791) はドイツの医師で植物学者。
Wikipediaによると、1770年頃から執筆を始めた『De fructibus et seminibus plantarum 植物の果実と種子』では顕微鏡も使って1,000以上の種を正確に記述し、180の銅版図が添付されている
とある。 |
Gaertner |
 |
|
|
|
 |
|
|
彼は同書で、過去にチュンベリーが ②で Myrica nagi (ヤチヤナギ属)としていたものを新属 Nageia とし、学名をN. japonica(赤線) とした。文献としてケンペルの書❶ も挙げられている。
属名は「先取権」を確保したのだが、種小名 は現在の命名規約に沿っていなかった。 |
 |
|
|
|
ゲルトナーは、「ナギ」は属名に取り込んだのでそれでよしとし、種小名は原産地の「日本」として完璧を期したつもりだったろう。 |
命名規約の議論が始まったのは19世紀後半であるから無理もないことだが、のちに制定された規約では、ツュンベリーが記載した種小名 nagi に先取権があり、後から別属に分類する場合は Nageia nagi と、種小名を引き継がなけれはならない。 |
|
|
|
|
|
年 |
学 名 |
命名者 |
備 考 |
④ | 1806 |
Podocarpus 属 |
ラビヤルディエール |
却下名 nom.rej. |
| |
P. aspleniifolia |
現 エダハ-マキ属 |
|
|
この命名は⑤に関係するために掲載。Nageia属が棄却された経緯とは無関係。 |
|
|
|
| |
⑤ |
1807 | Podocarpus 属 | ペルズーン | マキ属 nom. cons. |
| | P. elongatus | | 正名 和名なし |
| |
|
Christiaan Hendrik Persoon (1761–1836) は、南アフリカ生まれ 主にオランダで活躍した医師で、菌類や植物の研究も行った。
④が刊行された約1年後『Synopsis plantarum,seu Enchiridium botanicum, ~』第2巻 p.580 で、Podocarpus属に別の種 elongatus を追加記載した。 |
Persoon |  |
|
|
|
 |
| | 1. (緑の下線)は ラビヤルディエールが ④で記載した種だが、この後 別の属となる。Wikipediaには「ペルズーンは医師の仕事の余暇に植物学の研究を行った」とあるが、わずか1年前の出版を踏まえたこの記述には驚かされる。 2. が 新しく Podocarpus属に追加した種で、以前にエイトンが Taxus イチイ属としていた種を Podocarpus属 に変更したもの。
ここで、現在の Podocarpus マキ属としての種が初めて記載された。 | |
|
|
|
| | 解説: |
| |
③ Nageia属 と ⑤ Podocarpus属が併存していた時は問題なかったが、ある時期に Nageia属が Podocarpus属に含まれることになった。注)
Nageia 属に先取権があるので、本来 全体を Nageia属とすべきところだが、Podocarpus属が「保留名」となった。 |
|
|
注) |
『牧野新日本植物圖鑑』(1961)、『園芸植物大事典』(1994年 コンパクト版)、『植物の世界』(1997年)、『樹に咲く花』(2001年)ともに、ナギは Podocarpus マキ(イヌマキ)属となっている。両属の統合の時期、また 最近のナギ属の復活の時期は不明。 |
|
|
|
1892年に最初の提案がなされ、1906年には保留が決定したようだ。 |
|
|
|
|
年 |
学 名 |
命名者 |
備 考 |
⑥ |
1825 |
P. Nageia |
R. ブラウン ex ミルベル |
nom. illeg. |
|
|
|
Robert Brown (1773-1858) はイギリスの植物学者。ブラウン運動の発見者としても知られている。19世紀初頭からオーストラリアの植物を調査し、1200種近くの学名を記載した。
『Mémoires du Muséum d'histoire naturelle』第13巻に M. Mirbel が寄稿した「ESSAI sur
La Distribution Geographiqe des Coniferes」の中に、ブラウンが命名した本種その他が、一覧表の形で載っている。 |
Brown |
 |
|
|
|
 |
|
|
しかし、種についての記載文・判別文などが無いため、正式な学名としては扱われていない。 |
|
|
|
⑦ |
1846 |
P. Nageia |
シーボルト & ツッカリーニ |
|
|
|
Philipp Franz Balthasar von Siebold (1796-1866) はドイツの医師で博物学者。1823年の夏から
約5年間 日本に滞在。28年の帰国時に「シーボルト事件」が発覚し、追放処分に。
30年オランダ帰国後に日本および植物に関する研究をまとめ、ドイツの植物学者 ツッカリーニと共同で、1835年から『日本植物誌』の出版を始める。1944年までに第1巻の出版を終える。
そこで別に『Florae Japonicae familiae naturales :~』を出版した。これは日本産の植物を 科・属ごとにまとめて簡単な説明を加えたもので、いわばダイジェスト版である。1846年出版の第2巻に、ナギがある。 |
|
|
|
 |
|
|
820番 ナギには説明は無い。学名はブラウンの ⑥ Podocarpus Nageia を採用している。 |
注目すべきは、2行目に「Fl. jap. II. tab. 135.」(緑の下線)と記載されていること。『 日本植物誌 第2巻』「図番号 135」は1870年
(シーボルトの死後) の刊行のはずだが、1846年刊行の本書にすでに記載されている。シーボルト本人が書いているのだから間違いではない。 |
このことから、ナギ その他部分(第2巻 パート 6~10)も 1846年以前に別の形で出版されていたか、少なくとも原稿だけはできていたか、のどちらかではないかと考えられる。 |
|
|
|
|
|
|
⑧ |
1847 |
P. nageia |
R. ブラウン ex エンドリヒャー |
異名 |
|
|
|
Stephan Ladislaus Endlicher (1804-1849) は、オーストリアの植物学者。『Synopsis coniferarum』p.207
にナギを記載した。命名者は⑥と同じく ブラウンとなっている。 |
|
|
|
 |
|
|
記載文をどちらが書いたのかはわからないが、中国名を加えて、過去の文献も網羅している。 |
注) 本書でも、参考文献の最後に 『日本植物誌』図 135 の記載がある。 |
|
|
年 |
学 名 |
命名者 |
備 考 |
⑨ |
1854 |
P. nagi |
ツォリンガー |
無効名 |
|
|
|
Heinrich Zollinger はスイスの植物学者。
『Systematisches Verzeichniss ~』第2巻 p.82 に初めて P. nagi を記載したが、名称の一覧のみで 記載文・判別文などが無いため、正式な学名としては扱われていない。 |
|
|
|
 |
|
|
『牧野新日本植物圖鑑』、『園芸植物大事典』や『植物の世界』では、この時の命名者 Zoll. & Moritzi ex Zoll. が使われているので、かつてはこの名が認められていたのかもしれない。 |
|
|
|
⑩ |
1870 |
P. Nageia |
シーボルト |
異名 |
|
|
|
Philipp Franz Balthasar von Siebold (1796-1866) はドイツの医師で博物学者。⑦ 参照。 |
|