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| | 学名の出発点『植物の種』(1753) 以前の記載 | 正名・異名 の対象外 |
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年 |
名 称 |
命名者 |
属名・備考 など |
❶ |
1583 |
Zizyphus |
ドドネウス |
ナツメ属 |
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Rembert Dodoens (1517–1585)は フランドルの医師、植物学者。
開業医や皇帝の侍医を務め、晩年にはライデン大学の医学教授を務めた。多くの書物を著し、1554年刊行の『クリュードベック』では薬草を多く扱ったことで、薬学の書物として評価された。
『Stirpium historiae pemptades sex』(直訳:506種の歴史の蓄積)、806~7 ページに ZIZYPHUS と図版が載っている。 |

本文には色々な国での呼び方についても書かれており、ギリシア語、ラテン語 Zizyphus、イタリア語 Zizyphi、ほかに Zizipha
もある。 |

見出しは「ZIZYPHUS」だが、図版では Ziziphus が使われている。左の図には主軸の各節に刺▼がある。 |
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年 |
名 称 |
命名者 |
属名・備考 など |
❷ |
1623 |
Ziziphus |
ボーアン 弟 |
ナツメ属 |
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Caspard Bauhin (1560-1624)はスイスの植物学者。
『Pinax theatri botanici 植物の劇場総覧』で 6,000種以上の植物を記載し、古今の名称が対照されている。また『植物の種』の130年前に、すでに学名を2つの名前で表す「二名法」の考えを示している。 |
Bauhin |
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446ページ、右側と下部 略。
属名は ZIZIPHUS または(seu) JUJYBE。
第1種の Jujube majorres oblonge には9つの引用があるが、Jujube の数の方が多く、Jujuba や Zizipha
もある。 |
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年 |
名 称 |
命名者 |
属名・備考 など |
❸ |
1700 |
Ziziphus |
トゥルヌフォール |
ナツメ属 |
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Josephi Pitton Tournefort (1656-1708)は『Institutiones rei herbariæ』第1巻 p.627
に Ziziphus属を記載。第2巻の 403図には花と実の図を載せている。 |

タイトル行「Ziziphus、Jujubier」の後者は、恐らくフランス語の呼び名で、種の記載は2種のみ。 |
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前半の4行 A~Iは 403図の説明である。 |
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年 |
名 称 |
命名者 |
属名・備考 など |
❹ |
1712 |
Naatsme |
ケンペル |
ナ-ツメ |
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Engelbert Kaempfer (1651–1716) はドイツの医師で博物学者。オランダ商館付きの医師として、1690年8月(元禄3年)から1692年9月までの2年間 出島に滞在した。2回の商館長の江戸参府にも随行して、街道沿いの植物・生物のみならず、日本の歴史・政治・社会についても観察した。 |
帰国後の1712年には『異邦の魅力』(原題:Amoenitatum Exoticarum )をラテン語で刊行。その第5部 「日本の植物」に多数の植物といくつかの植物画を記載した。名称は和名の読みで載っており、漢字が併記されているものも多いが、ナツメに関しては3行の記述だけで、刺についての説明は無い。 |

記載内容は「果実は栽培されているプラムほどの大きさで、果肉は硬く、砂糖が加えられることが多い。核の両側に鋭い角があるオリーブのような形をしている」のようだが、最後の部分は枝の刺のことかもしれない。 |
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年 |
名 称 |
命名者 |
属名・備考 など |
❺ |
1737 |
Rhamnus |
リンネ |
クロウメモドキ属 |
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Carl von Linné (1707-1778) はスウェーデンの植物学者、博物学者、生物学者。リンネは植物の分類の基礎が花の「雄蕊と雌蕊」にあると確信し、『Systema
Naturae 自然の体系』(1735)の初版を出版。すべての種を二名法で記載した『植物の種』(1753)は、学名の起点となっている。分類には「綱」・「目」・「属」・「種
(および変種)」の4つの階級を用いたが、しべの数による分類は、現在の分類方法とは異なっていた。 |
Linnaeus |
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クロウメモドキ属を記載したのは『Genera plantarum 植物の属』。 |

リンネは トゥルヌフォールら先人が用いていた
・Frangula:GRINによると 恐らく Rhamunus の異名、
・Cervi:不明、・Paliurus:ハマナツメ属、・Alaternus:不明
・Ziziphus:ナツメ属
の5属を、クロウメモドキ属ひとつにまとめてしまった。
なお 引用している属名の Ziziphus Tournef. に 403 とあるのは、ページ数ではなくて 図番号だと思われる。 |
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| | 『植物の種』以降の出版、記載た | 基準日:1753年5月1日 | |
| | 様々な形で記載されてきた植物の名前を「属名と種小名」で表す二名法には一部で以前から使われていたが、『植物の種』で記載の全ての種についてこれを定めたことで、後に学名の出発点として選ばれた。 | | |
| 年 | 学 名 | 命名者 | 属名・備考 など |
① |
1753 |
Rhamnus |
リンネ |
クロウメモドキ属の正名 |
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R. zizyphus |
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ナツメの異名 |
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| 植物の属での考え方は『植物の種』にも引き継がれ、「PENTANDRIA 5体雄しべ」の綱に分類されている。 |

中略

後略
このため 現在のナツメ属は無く、RHAMNUS属に 11種 2変種を記載したが、それらを3つのグループ (緑の下線)
* Spinosi:刺の多い:1種
** inermes:刺が無い:3種、1変種
*** Aculeati:針の有る:7種、1変種
に分けている。Spinosi と Aculeati は同じ意味なので、第1種を確認すると、 |
R. catharticus |
セイヨウクロウメモドキ |
クロウメモドキ属 |
注) |
クロウメモドキ属は短枝が多く、小枝の先が刺化する。そこで ここでの「Spinosi」は葉の基部につく刺ではなくて、枝先の刺と考えることができる。現在の学名は
R. cathartica。
なお、クロウメモドキ属は4数性で、リンネの分類では「例外」となり、同属内で分類の基本に矛盾が生じている。 |
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続いて 肝心のナツメに関係する記載は *** Aculeati にある。 |


現在 GRIN では、 |
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第8種 |
R. Jujuba |
→ Ziziphus mauritiana Lam. |
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・単独の反り返る刺がある、との説明がある |
第9種 |
R. OEnopolia |
→ Ziziphus oenopolia Mill. |
第10種 |
R. Zizyphus |
→ Ziziphus jujuba Mill. var. jujuba |
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・1対の真っ直ぐな刺がある、との説明
・種小名は ziziphus ではなく、zizyphus |
第11種 |
R. Spina-Christi |
→ Ziziphus spina-christi Desf. |
となっている。 |
ここで、ナツメの命名者 Philip Miller (1691-1771) に注目。 |
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| 年 | 学 名 | 命名者 | 属名・備考 など |
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1757 |
Ziziphus |
ミラー |
ナツメ属 |
② | 1768 |
Ziziphus jujuba |
ミラー |
ナツメの正名(保留名) |
| | | Philip Miller (1691-1771) は、スコットランドの園芸家、植物学者。長くロンドンのチェルシー薬草園の園長を務めた。リンネの「自然分類法」に批判的で、1731 年から始めた『The Gardeners Dictionary 園芸事典』では、トゥルヌフォールなどの属名を用いた。このためリンネの『植物の種』に無かったいくつかの属名が、ミラーの命名となっている。 |
Miller |
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ミラーは『植物の種』の翌年 1754年発行の『園芸家事典』第4版に合計 308 にものぼる属を定義し、その後も新しい属名を発表し続けた。種については1759年以降のに名付けていった。 |
近年になって、学名の出発点が『植物の種』とされたために命名者としてはリンネの名を冠する属が多いが、クロウメモドキ属のように リンネがいくつかの属をひとまとめにしたケースでは、ミラーの「再定義」が有効になっている。このほかのよく知られている属としては、リンネがミモサ属にまとめてしまった アカシア属がある。 |
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中略

後略
4種が記載されているうちの 第1種がナツメで、緑の下線「各節に一対の強いまっすぐなトゲがある」が、後半に書かれているそれぞれの種の説明でも特徴のひとつとして書かれている。 |
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ミラーが リンネ『植物の種』の種小名 zizyphus を継承しなかったのは、まず ミラーが アンチ・リンネだったこと、そして当時は「学名の先取権」という概念がまったく無かったこと、が挙げられる。 |
「重複名」にも制約が無かったはずだが、Ziziphus Zizyphus を意図的に避けた、ということでもなかっただろう。 |
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現在では正名となっているものの、当時はリンネの方が主流であり、この Ziziphus jujuba が使われていたかは疑問だ。 |
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年 |
学 名 |
命名者 |
属名・備考 など |
③ |
1789 |
Ziziphus vulgaris |
ラマルク |
ナツメの異名 |
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| Chevalier de Lamarck (1744年-1829)は、18世紀から19世紀のフランスの生物学者・博物学者である。
パリの自然史博物館で昆虫などの研究を行い、無脊椎動物の専門家になってその分類を発展させた。
1802年に「biologie 生物学」という用語を作り、脊椎動物と無脊椎動物を初めて区別した。植物学の百科事典である『Encyclopedie
methodique Botanique 』にナツメ属についてが記載されている。 | Lamarck |
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②の記載よりも後に、同種に別の名前を付けたもの。
種小名 vulgaris は一般的な の意味で、記載した12種の中でもよく知られたものということだろう。既刊の書物を網羅?しており、5年前に発刊された チュンベリーの「日本植物誌」(1784)
も挙げられている。 |
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遅くともこの時までには「ナツメ属」が認知されていたことになる。 |
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1867 |
学名の命名法の国際基準化が試みられ、第4回植物学年会(パリ年会)が開催される。 |
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| 年 | 学 名 | 命名者 | 属名・備考 など |
④ | 1882 |
Zizyphus Zizyphus |
カールステン |
現在は非合法名 |
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Karl Hermann Gustav Karsten (1817- 1908)はドイツの植物学者、地質学者。
ベネズエラ、ヌエバ・グラナダ、エクアドル、コロンビアで研究した後、ベルリン大学で植物学の非常勤教授、1868年からはウィーン大学の植物学教授を務めた。その後、ベルリンに植物生理学研究所を設立した。 (Wikipediaより) |
Karsten |
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本種を記載したのは『Deutsche Flora』870ページ。 |

記載した学名は属名と種小名が同じ「反復名 tautonym」で、現在は認められていない。
属名を Zizyphus としたが、トゥルヌフォールの『Institutiones rei herbariæ』❸を見る限り、属名は Ziziphus で、なぜ Zizyphus を採用したのかがわからない。 |
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このことは、後に 1977年にミクルが指摘している。 |
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| 年 | 学 名 | 命名者 | 属名・備考 など |
⑤ | 1977 |
Ziziphus Zizyphus |
ミクル |
本種の元の名、棄却名 |
| | | Robert Desmond Meikle (1923–2021) はイギリスの植物学者。キュー植物園標本館に勤務した。『Flora of Cyprus』2巻の著作が有名。 その『Flora of Cyprus』第1巻 358ページに、Z. Zizyphus を記載したが、近年の著作であるために一般公開されていない。 |
③ を訂正したもので、トゥルヌフォールの属名は Ziziphus であり、そうすれば 一文字違うので「重複名」にもならない、ということになる。 |
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2005 |
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⑥ |
? |
命名規約上いつ決まったことなのかはわからないが、③の属名
Zizyphus を Ziziphus に読み替える措置がとられ、本種の正式な学名は、 Ziziphus zizyphus (L.) H. Karst. , Deut. Fl.: 870. Sep 1882 (‘Zizyphus zizyphus’). となった(2行目は付記)。 |
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2011 |
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年 |
学 名 |
命名者 |
属名・備考 など |
② |
2011 |
Ziziphus jujuba |
ミラー |
保留名となる |
が
復
活 |
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2009年にミラーの学名 Ziziphus. jujubaを保留名にする提案がなされ、2011年に承認されて、Z. Zizyphus⑤ は棄却名となった。 |
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理論的には リンネの Rhamrus Zizyphus ① に先取権があり、それを訂正した カールステンの Zizyphus Zizyphus ③ → Ziziphus Zizyphus が正名となってもおかしくはないが、長い間使われてきた Ziziphus jujuba を保留名と認めたものである。 |
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Ziziphus jujuba var. jujuba のふたつの変種
Ziziphus jujuba var. inermis (仮称)トゲナシナツメ
Ziziphus jujuba var. spinosa サネブトナツメ
の命名の経緯はこれまでのものと年代的に交錯するので、別に掲載する。 |
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年 |
学 名 |
命名者 |
属名・備考 など |
① |
1753 |
Rhamnus zizyphus |
リンネ |
ナツメの異名 |
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『植物の種』にクロウメモドキ属として記載。改めてその記載を見ると |


「まっすぐな一対の棘、雌雄異株、卵形長楕円形の葉を持つ」。たったこれだけである。194ページの引用文献はあまり参考にならず、やはりドドネウスの図が参考になる。 |
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植物園のものとの違いは、鋸歯が粗いこと。筑波植物園で撮った写真の実の数は少ないが、たくさん生ることも多い。 |
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年 |
学 名 |
命名者 |
備 考 |
② |
1768 |
Ziziphus jujuba |
ミラー |
ナツメの正名(保留名) |
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③ |
1789 |
Ziziphus vulgaris |
ラマルク |
ナツメの異名 |
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年 |
学 名 |
命名者 |
ⓐ |
1833 |
Ziziphus vulgaris var. spinosa (Zizyphus) |
ブンゲ |
ⓑ |
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Z. vulgaris var. inermis |
記載は Zizyphus |
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Alexander Georg von Bunge (1803-1890)は、ドイツ系ロシア人の植物学者。アジア、シベリアへの植物探検などで知られている。
このふたつの変種は 1830年から31年に、ロシア正教会の中国宣教団に同行して北京に行った時に採取した植物をまとめた『Enumeratio plantarum quas in China boreali collegit 中国北部で採取した植物のリスト』(1882) の 88ページに記載したもの。 |
Bunge |
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・ |
変種 α. spinosus の記述は「灌木。2本の棘があり、1本は非常に長く真っ直ぐで、もう1本は短く湾曲している。果実は 大きなエンドウ豆ほどの大きさの長楕円形」 |
サネブトナツメ |
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これでようやく、サネブトナツメの側枝につく特異な刺の形に行き着いたが、この刺はナツメにもある。 |
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・変種 β. inermis は「刺が無く、果実はプラムほどのサイズ。栽培種」 |
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年 |
学 名 |
命名者 |
ⓒ |
1922 |
Ziziphus jujuba var. inermis (Zizyphus) |
レーダー |
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Alfred Rehder (1863-1949)はドイツ生まれで、アメリカに帰化した植物学者。公園の監督官だった父の許での見習いに始まり、ヨーロッパのいくつもの植物園で働いたのち、1898年にボストン
アーノルド樹木園に出向した。園長のサージェントの目に留まり、以後はアメリカで活躍した。 |
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レーダーが トゲナシナツメを記載したのは、サージェントと共に刊行した樹木園の機関誌『アーノルド樹木園ジャーナル』第3巻 220ページ。 |

後略
ⓑの種小名を jujuba に訂正したもので、種についての説明は全くない。
なお 文中の属名はすべて Zizyphus となっているが、命名規約によって Ziziphus に読み替えられている。 |
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5行目以降の解説の中で、「100年以上使われてきたラマルクの名前(③) が、別の種に移されるのは確かに残念なことだが、我々の命名規則ではこれを避ける方法はないと思う。」と述べている。 |
やはり、ミラーの学名 Ziziphus jujuba は使われていなかったようだ。 |
レーダーが なぜ var. spinosa を見落としたのかはわからない。 |
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年 |
学 名 |
命名者 |
ⓓ |
1934 |
Ziziphus jujuba var. spinosa |
胡 ex 周 |
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ⓐの種小名を変更したもの。
命名者 胡 先瓊(hu xian qiohg)に代わって、周 漢帆 (chow? han fan) が『河北普通樹木図説』に記載したものだが、詳細は不明。 |
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