カナメモチ
Photinia glabra Franch. & Sav. (1873)
← Crataegus glabra Thunb. ex Murr. (1784)
別 名: アカメモチ
科 名: バラ科 Rosaceae
属 名: カナメモチ属 Photinia Lindl. (1821)
備 考: 学名は GRIN* の標記による
 園の名札は Photinia glabra Maxim.
中国名: 光葉石楠 guang ye shi nan
原産地: 東海地方以西・四国・九州。
中国南部、東南アジア
用 途: 新葉が紅い個体が 生け垣に使われるが、近年は交雑種の 'レッドロビン'がよく使われる。
*) GRIN:アメリカ合衆国農務省、Germplasm Resource Information Network

学名は同じ Photinia glabra なのだが、園の名札の命名者は マキシモウィッチ、GRIN*によれば フランチェット 他、と食い違っている。
これは両者がともに「1873年」に出版した本に記載したために、どちらに先取権があるかが問題となっていたことによる。
さらに その元となった Crataegus glabra も、1784年に発刊された2冊の出版が前後したために、命名者についての議論がなされた経緯がある。
写真が揃っていないが、命名物語に重点を置いて掲載する。


園の東側に位置する10番通りの奥、つまり北寄りに5本のカナメモチが植えられている。普通なら手前から番号を振るのだが、奥から見ていく方がわかりやすいので、一番遠い木を①とした。
カナメモチ の 位 置
①: B4 c
10番通り奥、北に向かって左側
②~⑤: B5 ac  そのほかの4本も 道の左側
B5 a トチノキの大木


.2024.3.31    ① 樹 形 ② 樹 形    2011.5.11.

    10番通り         クヌギの大木↑

 10番通り            ↑③
ともに、園の奥から南方向を見ている。②は10年以上前の撮影で、上部で開花中。周囲の木は密集ぎみだが、ほぼ 自然樹形だと思われる。

トチノキの大木 と カナメモチ③  2024.3.31.
これも 南方向を見ている。
この右手に、柵で囲われたサネブトナツメがある。

④ および ⑤ の様子       2024.3.31.
④は写真手前側の明るい部分の枝が枯れている。以前は日蔭だったのかもしれない。⑤は周りに木が密集していて、高く伸びた2本の主幹の片方が枯れ、空洞ができている。

葉芽の芽吹き    2016.3.17.
頂芽の芽鱗の腋から 2本の同時枝が出でいる。
ひこばえなどの勢いのある枝では、先端附近の葉腋から側枝も出す。この枝では、3本の側枝(ただし右下の1本は伸長していない)と4本の同時枝、計6本の枝が伸び出している。新葉は赤味がかかるが、オオカナメモチほどではない。

新葉 と 成葉(前年枝)    2014.4.23.
小枝では、側枝を出さない栄養枝も多い。葉にはまだ赤味が残っている。先の尖った楕円形で、全周に細かな鋸歯がある。

成長した同時枝      2024.7.28.
芽鱗の腋から3本の同時枝を出したが、いずれも頂芽(主軸)の伸びより小さく、単軸分枝である。

.2024.3.31      生殖枝 複散房花序     2011.518.
小形の普通葉がつくことが多いので、混合花芽と言えよう。小花序の基部の葉は 苞葉。

幼 果        2024.7.28.
小花の数に対して実の数は少ない。陽当たりが極めて悪いのも関係しているかもしれない。熟すと赤くなる。

紅 葉    2017.5.3.
春から初夏にかけて、多くの葉が紅葉・落葉する。
詳しく観察していないが、3年生葉が落葉するようで、寿命は2年程度ということになり、短い。


熟果 (筑波植物園)     2024.11.20.
東に向けて開けた場所に植えられている。やはり日差しのおかげか? それとも昆虫の多寡だろうか?


 
カナメモチ の 位 置
①: B4 c
10番通り奥、北に向かって左側
②~⑤: B5 ac  そのほかの4本も 道の左側
B5 a トチノキの大木

名前の由来 カナメモチ Photinia glabra

 和名 カナメモチ:要? 黐?
まず カナメ について
本種の最初の命名者ツュンベリーが日本に滞在したのは、江戸時代中期の1775~76年で、帰国後、1784年に出版した『日本植物誌』に記載した。そこに和名として kanname が書かれている。
その読み方は、まさか「かんなめ(神嘗)」ではないだろうから、第1の説「材が堅く、扇の要(かなめ)の部分に使われた」が有力となる。
第2の説は、「赤芽」が転訛して「カナメ」になったというもの。「アカメモチ」は現在でも別名として使われているくらいだから、「赤芽持ち」あるいは「赤芽黐」が「カナメモチ」になることは、あり得そうだ。
次に モチ
モチノキと本種は 全く似ていない。なぜ本種を「モチ」と呼ぶのかわからない。
常緑で艶のある葉の形、雰囲気が似ていなくもないが、モチノキの葉は厚手でしっかりしている。
カナメモチ 細鋸歯 モチノキ 全縁
少し離れれば 鋸歯も目立たないが・・・、やはり違う。
枝振り、花のつく位置、花序や小花の形態、モチノキは雌雄異株で黄葉するなど、すべてが異なる。
モチノキではなく、「赤芽持ち」のモチならば、わからなくもない。
 種小名 glabra:無毛の
命名当時は、現在の カナメモチ属・カマツカ属などもサンザシ属とされていた。ツュンベリーも本種を Crataegus サンザシ属と考え、ほかの2種とともに 計3種を記載したが、その後いずれも別属となった。
 C. villosa → カマツカ属 ワタゲカマツカ、落葉
 C. laevis → カマツカ属 カマツカ、落葉
   この2種は現在 遺伝子的には同種とされている
 C. glabra → 本種 カナメモチ属 カナメモチ、常緑
一般的に有毛であるサンザシ属にあって、毛のないことを特徴として「glabra 無毛の」の種小名を付けたものだが、無毛が当たり前のカナメモチ属となった現在では、種小名としては不適切である。
参考:後半の「命名物語」④ 。
 中国名 光葉石楠:葉に艶があるカナメモチ
日本では「石楠 shi nan」が なぜか「シャクナゲ」とされてしまったが、本家である中国では「カナメモチ」である。
中国には多くのカナメモチ類 石楠属の種があり、それを代表する「石楠」そのものは P. serratifolia で、和名は、「オオカナメモチ」。
 属名 Photinia:輝く
ギリシア語の「photeinos 輝く」が語源で、葉に艶があることに由来する。
 バラ科 Rosaceae :
ケルト語の 「赤色 rhod あるいは rhodd」 を語源として、すでに古代にバラのラテン名となっていた。


 
カナメモチ の命名物語
は正名、 は異名、
  図版は主に、Biodiversity Heritage Library より
肖像写真は Wikipedia より

『Flora Japonica 日本植物誌』の出版を準備していたツュンベリーは、師であるリンネの著作『自然の体系 Systema Naturae』の改訂版『植物分類体系 Systema vegetabilium』第14版を発行しようとしていたムレイに、自分の原稿の引用を許可した。
ムレイによる発刊が『日本植物誌』よりも少しだけ早かったために、命名規約上の 先取権 は彼のものとなったが、ツュンベリーの研究成果であることは明らかであるため、命名者の標記を
  Thunb. ex Murray
とすることが通例となっている。

『植物の種』以降の出版、記載  基準日:1753年5月1日
学 名 著作者 備 考
1784  Crataegus glabra  ムレイ  本種 P. glabra の異名
5月

7月
Johan Andreas Murray (1740-1791) はスウェーデン生まれ、ドイツの植物学者、薬学者。ウプサラ大学で学び、リンネの講義も受けたことがある。ドイツのゲッティンゲンに移り、大学教授や植物園長を務め、薬用植物を研究して多くの著作を残した。本種を記載したのは『リンネの植物分類体系 Caroli a Linné equitis Systema vegetabilium』第14版 465ページ。 Murray

↑464ページ  中 略  465ページ↓
サンザシ属としてすでに準備されていた12種に続けて、『日本植物誌』の3種を付け加えたもの。掲載順は『日本植物誌』と同じ。記述はそれぞれわずか2行のみで、これはそれぞれ『日本植物誌』の始めの2行を写したもの。出版予定の「Thunb. jap.」の引用元も書かれている。
ツュンベリーによる『日本植物誌』② 参照。
なお、ラテン語が訳せないのだが、本書の「序文」には、ツュンベリーの『日本植物誌』を引用することに対しての謝辞?と思われる記載がある。
学 名 命名者 備 考
1784  Crataegus glabra  ツュンベリー  P. glabra の元の名
8月
Carl Peter Thunberg (1743年-1828) はスウェーデンの植物学者、医学者。ウプサラ大学でリンネに学び、南アフリカ喜望峰や日本の植物をリンネの分類法で記載して、今でも 多くの種に命名者としの名前が残っている。
すでに和名の項で触れたが、ツュンベリーが日本に滞在したのは、江戸時代中期の1775~76年 安永年間のことで、徳川家治への謁見も行った。
Thunberg
帰国後の1784年に出版した『日本植物誌』に、本種ほか2種を「サンザシ属」として記載したが、結果的には3種とも別属となった。
まず ひとつめの記載 C. villosa:多毛の
    → カマツカ属 ワタゲカマツカ Pourthiaea villosa

ふたつめが C. laevis:平滑な
    → カマツカ属 カマツカ Pourthiaea villosa var. laevis

カマツカは変異の大きい種だそうで、ほとんど毛の無いカマツカをワタゲカマツカとは別種、としたもの。ここには載せていないが、記述の後半に毛のある C. villosa との違いが書かれている。
 なお これら2種は、現在、遺伝子的には同種とされている。
 最後が本種 C. glabra :無毛の
     → カナメモチ属 カナメモチ、常緑

常緑で(ほぼ)無毛の本種に glabra の種小名を付けた。注目点は、和名として カナメモチ ではなく、kanname と書かれていること。和名は聞き取ったとおりに書かれていることが多いので、「モチ」は江戸時代中期以降に付いたものと考えられる。
学 名 命名者 備 考
1820  Photinia  リンドリー  新しい属名
1820  Photinia arbutifolia   現在は 別属とされた
Photinia属が最初に記載されたのは 雑誌『The Botanical register』第6巻 図版491。出版者は、ウィリアム・カーティスの『Botanical Magazine 』の植物画を描いていた シデナム・エドワーズ。

中 略

後半の説明文によると、リンドリーが カナメモチ属を設立したとして、近々刊行される『Transactions of the Linnean Society』から1種を絵入りで紹介したもの (④参照)。しかし記載された Photinia arbutifolia は属名が変更されて、 Heteromeles arbutifolia となったため、Photinia属の基準種とはなっていない。
Photinia arbutifolia Heteromeles arbutifolia

Wikipedia より
The Botanical register 第6巻 図版491
学 名 命名者 備 考
1821  Photinia serrulata  リンドリー  本種の異名
John Lindley (1799-1865) はイギリスの植物学者、園芸家、蘭の研究家。父親の果樹園を手伝っていたが、フッカーの知己を得、さらに植物学者のバンクスを紹介されてその助手となった。その後、生涯に多くの著作・園芸書を著した。
カナメモチ属およびカナメモチを記載したのは、③で紹介されていた『Transactions of the Linnean Society of London』で、その第13巻 103ページ。
Lindley
ツュンベリーの Crataegus glabra② に基づいているのだが、リンドリーは種小名を変更して serrulata (細鋸歯のある) としたために、異名となってしまった。
学名の先取権 (この場合は glabra ②) を尊重する、という命名規約が整備され、その考え方が浸透するのは20世紀に入ってからである。
カナメモチ属は通常無毛であり glabra(無毛の) は当たり前のことなので、リンドリーは、その種の特徴を示すべき種小名としては不適切と考えてつけ直したのだろう。
1867  = 明治 元年
学 名 命名者 備 考
1873  Photinia glabra  フランシェ & サバティエ  本種の正名
11月
4日
Adrien René Franchet (1834-1900) はフランスの植物学者。パリの国立自然史博物館で働き、特に、中国と日本の植物の研究で有名である。
中国の標本は、ダヴットほかの フランスの宣教師たちが採取したものである。
Franchet
Paul Amédée Ludovic Savatier (1830–1891) もフランスの植物学者、そして医師。1865(慶応元)年に開設された横須賀製鉄所(後の横須賀造船所)に医師として雇われ、1866(慶応2)年~71(明治4)年、一時帰国を挟んで 73年~76(明治9)年まで滞在した。フランス人技師や日本の役人の健康管理にあたり、また近隣住民にも医療を施したという。
医師としての働きのほかに、サバティエ本人と協力者によって多くの植物が採取され、フランスに送られた。これをフランシェが研究し、サバティエと連名で『日本植物目録、Enumeratio plantarum : in Japonia sponte crescentium ~』を出版した。本種の記載は 第1巻141ページ
 出版年 1873年11月4日は、GRIN*) による。
*) GRIN:アメリカ合衆国農務省、Germplasm Resource Information Network
ツュンベリーの『日本植物誌』②に基づくもので、④ リンドリーの P. serrulata ではないことが明記されている。
和名は アカメガシ、カナメモチ で、(Tanaka) は田中芳男によることを示している。
学 名 命名者 備 考
1973  Photinia glabra  マキシモウィッチ  後から付けたため
11月
30日
Carl Johann Maximowicz (1827-1891) はロシアの植物学者。江戸時代末期の開国直後に日本を訪れ、日本の植物界の発展に重要な役目を果たした人物である。牧野富太郎も、彼の元に標本を送って同定を依頼していた。
本種を記載したのは 雑誌『サンクトペテルブルク帝国(国立)科学アカデミー』19巻 第2号 p.178に掲載した、『日本と満州の新植物の記相 その15』である。
Maximowicz

縦2段組の一部分を拡大している。カナメモチ属の3種目に記載した。
この号の最終ページには、確かに11月30日の日付が記されている。
⑤の出版日を自分では確認できていないが、GRIN*) に「ノート」として両者の日付が書かれており、⑥の P. glabra Maxim. は、後から同名を記載した「異名」となる。

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