| |
| |
| | |
| | 植物の名前を「属名と種小名」で表す「二名法」は古くから使われていたものの、一般には形容詞を列記する自由な形で記載されていた。
リンネの『植物の種』が学名の出発点として選ばれた最大の理由は、記載したすべての種に「二名法」による学名を付けたことである。 |
|
それ以前に発行された書物の記載は、学名の対象とはならない。 |
|
|
| 年 | 学 名 | 命名者 | 備 考 |
① | 1753 | Gleditsia triacanthos | リンネ | アメリカサイカチ |
| | リンネは『植物の種』第1版 第2巻にアメリカサイカチを記載した。
属名は『植物の属』第2版❶ と同じ Gleditsia である。 | |
|
|
タイトルページ |
1056ページ |
|
|
|
1056ページ から 1057ぺージにかけての 一部を掲載 |
|
|
本書が学名の出発点であるから、通常ならば「Gleditsia属」の命名者はリンネということになる。 |
『園芸植物大事典』はこれを根拠とたものと思われる。 |
|
しかし、国際命名規約では少なくとも2011年より「『植物の種』第1版に記載されている属名は、『植物の属』第5版(1754) に記載されている属名と関連する」(Article
13.4.)となっているため次の②が有効となり、明記されているクレイトンが命名者ということになる。 |
|
|
|
|
|
|
|
年 |
学 名 |
命名者 |
備 考 |
② | 1754 |
Gleditsia |
クレイトン ex. リンネ |
サイカチ属の正名 |
| | |
|
|
|
|
|
サイカチ属の命名者として クレイトン の名前が挙げられている。 |
|
|
|
|
ジョン・クレイトン John Clayton (1694-1773)j |
|
|
|
今回クレイトンの名を初めて知った。Wikipediaによると、 |
|
イギリス生まれで、20代始めに父とともにアメリカのバージニア州に移住。リンネ(1707-1778)とほぼ同世代である。
クレイトンは膨大な量の標本や記録を、イギリスのマーク・ケイツビーや、リンネの後援者であったオランダのフロノウィウスに送った。1735年から1737年にかけてオランダに滞在したリンネは、この標本をチェックしたそうだ(2014/大場秀章、秋山
忍)。 |
|
①でのアメリカサイカチの生育地がハージニアとなっているので、①②の記載はクレイトンから送られた標本あるいは記載文に基づいたものであり、そこに
Gleditsia の属名が書かれていたものと考えられる。 |
|
フロノウィウスはこれらの標本を使って、クレイトンに無断で出版を行ったそうだが、リンネはしっかりと敬意を表していることになる。 |
|
クレイトンと彼が属名で顕彰したグレディッチュとの関係は不明。 |
|
|
|
|
|
|
|
ドイツの医学・植物学者 ヨハン・グレディッチュ Johann Gottlieb Gleditsch (1714-1786)は、32歳でベルリン植物園の園長となった。
同植物園にあったナツメヤシの雌株は一度も結実しなかったが、ライプツィヒから開花中の雄株を運び込んで結実に成功し、植物の有性生殖を証明した「ベルリン実験」を行ったという。 |
グレディッチュ |
|
|
|
|
|
| |
③ |
1777 |
Gleditschia |
スコポリ |
異名 |
|
|
|
イタリアの医師・博物学者のスコポリ Giovanni A. Scopoli (1723-1788) は医学のほかに、植物・動物・鳥類・昆虫、金属学などについての多くの著作を著し、①②の約20年後『Introductio
ad historiam naturalem』(1777)の 295ページに、綴りを訂正したサイカチ属を記載した。
属名の数が多く、リンネとはスペリングが違っていることからも、単なる転載ではないことがわかる。 |
スコポリ |
|
|
|
|
|
| |
顕彰者名の綴りが Gleditsch であるため、スコポリとしては「正しい属名」に記載し直したものと考えられる。 |
|
|
|
|
|
|
|
年 |
学 名 |
命名者 |
備 考 |
④ |
1784 |
Fagara sp. |
ツンベリー ex.ムレイ |
サンショウ属の異名 |
| |
1775年に来日し、1年半ほど滞在した ツュンベリー(C. P. Thunberg 1743-1828)が、帰国後にまとめた『日本植物誌 Flora
Japonica』の後半には、不明種のコーナー Plantae Obscurae があり、その3項目(下図右 赤の四角部分)がサイカチだった。 |
ツュンベリー |
|
|
|
|
タイトルページ |
350ページ |
|
|
|
|
| | Fagara はサンショウ属 Zanthoxylum の異名と思われる。2行目に、日本人から聞き取った "Saikat Si"
の和名が記載されている。わざわざスペースを挟んで、しかも大文字で Si としていることから、「サイカイ_シ」のニュアンスが含まれているのかもしれない。 |
|
ところでツュンベリーは、当然のことながら、師であるリンネの『植物の種』を読み込んていたはずだが、アメリカサイカチ① を見落としてしまったようだ。
『植物の種』に、幹に生える鋭いトゲの図のひとつでもあれば、サイカチもチュンベリーの命名になっただろう。 |
|
|
|
|
⑤ |
1788 |
Gleditsia sinensis |
ラマルク |
トウサイカチ |
|
|
京都植物園で見たことがあるが、落葉時の 12月だったので、葉(小葉)が大きいことのほかは、サイカチとの違いがわからない。 |
|
|
|
|
|
|
|
1809 |
Gleditsia caspica |
デフォンテーヌ |
正名 |
|
|
『Histoire des Arbres et Arbrisseaux qui peuvent etre cultives en pleine
terre sur le sol de la France』第2巻 p.247。
カスピ海地方 原産のサイカチ属。 |
|
|
|
|
|
年 |
学 名 |
命名者 |
備 考 |
⑥ | 1867 |
Gleditschia japonica
→ Gleditsia japonica |
ミクェル |
記載時は属名の
綴りが違う |
| |
本種を記載したミクェル Friedrich Anton W. Miquel (1811- 1871) は、19世紀のオランダの植物学者で、晩年にはライデン国立植物標本館の館長を務めた。
シーボルトとツッカリーニの『日本植物誌』に関わり、ふたりの死後、この3年後の1870年にその後半部分を出版した。 |
ミクエル |
|
|
|
|
サイカチが記載されたのは、4巻からなる『ライデン王立植物標本館紀要 Annales Musei botanici lugduno- batavi』。その中に、2回に分けて掲載された『日本植物誌試論 Prolusio Florae Japonicae』である。
(書物の和名はともに『シーボルトの21世紀』大場/2003 による)
大場氏によれば、これらの標本研究がシーボルトの『日本植物誌』の出版に繋がったのではないか、とのこと。 |
|
|
|
|
|
|
|
1行目に「Fagarae species THUNB. Fl. pl. obsc. p.350」とあるのが、チュンベリーの『日本植物誌』後半の Plantae Obscurae ④、を示している。 |
|
属名がスコポリと同じ Gleditschia で、これをリンネの命名としているのは間違いだが、種小名は生かされていて正名となっている。 |
|
ツュンベリーの渡日以後の約100年間で、ライデンには様々な人から送られた標本が集まっていた。その中にサイカチもあったようで、本書には以前には無かった「多くは複葉だが、二回複葉もある」というサイカチの特徴を示す記述が見える。 |
|
|
|
|
ミクェルのこの記載以降、属名を「Gleditschia」 とする命名が出現する。
ミクェルが誤認したためか、Gleditschiaの命名者を リンネ とした人も複数名いる。以下に そのいくつかを掲げておく。 |
|
|
|
|
|
年 |
学 名 |
命名者 |
備 考 |
|
1887 |
Gleditschia australis
→ Gleditsia australis |
ヘムズリー |
正名、ただし
記載時は Gleditschia |
|
|
『Journal of the Linnean Society. Botany』第23巻 p.208 および 図5
分布地は中国・ベトナムなので、種小名「オーストラリアの、あるいは 南半球の」は不適切。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
1890 |
Gleditschia delavayi |
フランシェ |
G. japonica
var. delavayi の異名 |
|
|
『Plantae Delavayanae デラヴェ神父採集植物』p.189
デラヴェはフランスの宣教師で、中国 特に雲南省の植物を採取してイギリスやフランスに送った。 |
|
|
|
|
|
|
| 1892 |
Gleditschia amorphoides
.→ Gleditsia amorphoides |
タウベルト |
正名、ただし 記載時は Gleditschia |
|
『Berichte der Deutschen Botanischen Gesellschaft』第10巻 p.638
南米各地に分布する。 |
|
|
|
|
|
|
1892 |
Gleditschia officinalis |
ヘムズリー |
G. sinensis の異名 |
|
『Bulletin of miscellaneous information, Kew 1892』p.82
1788年にラマルクが記載した ⑤Gleditsia sinensis とは関連が無く、中国の植物研究家である Augustine Henry(1857-1930)がイギリスに送った標本に対して記載したもの。しかし同じ種であったため、異名。 |
|
|
|
|
|
|
|
1950年代 Gleditschiaを保留名とする動き? |
|
このような状況があったためか、米国スミソニアン自然史博物館のデータベースに、Gleditsia に代わって Gleditschia を「保留名」とする審議が行われた気配がある。
しかし「プロホーザル番号」が付されていないので、正式な決定ではなかったものと考える。 |
|
|
|
権威ある『牧野 新日本植物圖鑑』(北隆館 1961) が Gleditschia としているからには、何らかの根拠があったのだろう。 |
|
|
|