ユリノキ 百合の木
Liriodendron tulipifera Linn. (1753)
科 名 : モクレン科 Magnoliaceae
属 名 : ユリノキ属
  Liriodendron Linn. (1753)
別 名 : チューリップノキ、ハンテンボク、
グンバイボク、ヤッコダコノキ、
クラガタノキ、ローソクノキ
英 名 : yellow poplar , tulip tree , white wood , canoe wood , saddle tree , canary wood , bass wood
原産地 : 北アメリカ、マサチューセッツからフロリダ、ミシシッピにかけて。
用 途 : 街路樹、公園樹として植えられる。


          @:夏    2010.9.11          @:秋    2010.11.11

精子発見のイチョウの裏にあるボダイジュ並木の奥 右手にある。園内には何本ものユリノキがあるが、@番の木は最も古いもので、明治初期(明治8、9年頃)に伊藤圭介が、氏に贈られた種子を播いて苗木を育て、当時の新宿農学所(現新宿御苑)に植えたのと 同じ時期に植えられたものといわれている。
1877年(明治10年)に発芽したとすると、樹齢は 135年。

その樹齢 約50年の写真が残っている。1923年(大正12年) の関東大震災後、翌年に「東京府史蹟名勝天然記念物調査」が行われ、その報告書に載っているのが次の写真である。
@:1924年(大正13年3月)
スケールとして 人物が2名写っている。震災直後で、奥に 避難民の小屋らしきものもある。
 

これを現在の姿と並べてみた。
枝が太くなっている様子が分かる。




              @:冬        2011.1.5
日本で一番古いユリノキだけに、小石川植物園の「看板商品」のひとつとなっており、立て札には以下の説明文がある。
前半部分 略、
明治23年、大正天皇が皇太子の頃にご来園された際に、この木を見てユリノキと命名されたと言われています。

この記述の根拠として、旧職員の 下園文雄氏は『東京帝国大学学術大観』に以下の記載があった事を述べている。それは、「明治23年11月30日 皇太子殿下行啓あらせられ、イテフ、ユリノキ・・・ を お手植えあらせられ、Liriodendron tulipifera を爾今ユリノキとせよと仰せられる。」というものである。

大正天皇は植物学にも造詣があったとすれば、そうなのかもしれない。しかし大正天皇は明治12年8月31日生まれであるから、明治23年11月は ”11歳”。
健康上の問題もあって なかなか学業に馴染めなかったという小学生である。

皇太子に言われるまでもなく、伊藤圭介や田中芳男などの植物学者が「ユリノキ」の名前は付けていたのではないか?

もし 皇太子の話が事実であるのならば、当初は外国名に倣って「チューリップの木」と呼んでいたものを、必ずやお供していた「関係者」の説明を聞いた皇太子が 『ユリノキの方が馴染みやすい』と提案した、 ということではないだろうか。


お供の説明は 以下のようなものだったはずだ。
ユリノキはふたつの植物の名前を持っております。ひとつは属名の Liriodendron、百合の木 という意味です。
もう一つは種小名の tulipifera、チューリップの という意味で 花の形がチューリップに似ているところから名付けられました。


北アメリカ原産の落葉樹であるが、明治の初めに日本に伝えられて以来、街路樹などによく利用されている。 明治通りの 新宿区戸塚交差点付近に大きな木が多数あったが、道路の拡張で大半は伐採されてしまった。

ユリノキについては、毛藤 勤治氏ほか の著作になる『ユリノキという木』に、詳しい博物誌が記されている。その本でも取り上げられているのが 新宿御苑の「三本ユリ」である。

        新宿御苑 中央広場の3本のユリノキ  2003.6.8
 
遠目には1本の木にも見える。
樹齢 約130年、樹高40m。
大学時代に、葉の落ちたこの木をスケッチしたことがあり、私にとっても思い出深い木である。


           迎賓館前 新緑の並木    2000.4.15
新宿御苑の木の実生で育てられた苗木(ユリノキ 二世)が植えられたもの。(『ユリノキという木』による) 洋風の建物に良くあっている。


植物園に戻って、

  @:根元と説明板 2010.9.20       幹の様子  2011.1.5
直径 1.5m。すぐに5本に分かれている。高さ 約 28.4 m。

縦に裂ける樹皮 樹皮の詳細
形成層で年輪と同じく、外側に向けて毎年作られる樹皮は、樹木によって割れ方・剥がれ方が違う。ユリノキの場合は長く残るケースで、「層の数」を数えてみると、右の写真に見えているひとかたまりで、25年分はあった。さらに内部に残っているのかどうかは、切ってみないとわからない・・・・。

まる一年経った(将来の)幹 二年経った幹
園内に自然に生えてきたものである。 種子は無数に落ちるが、固い地面では根がはいらず、生えてくる数は少ない。一年経過後には早くも縦皺が付いている。若いうちは樹皮の厚さも 薄いはずだ。

新 葉
冬芽は蝋物質に覆われた 2枚の芽鱗に包まれていた。中央に見えるのは新葉に付く 二枚の托葉。

  A:ハンノキ並木のユリノキ 2012.5.18
正門方向を見ている。中央左が↑ユリノキ、右の尖った高い木はメタセコイア。
春が寒かった2012年はユリノキの花も遅めで、まだ咲いていた。
高さ 約 21m

              花の様子        2009.4.26
植物園のユリノキは背の高いものが多く、花の様子を手に取ることはできない。
前掲写真は 上野の国立博物館 前庭の大木から。
東博のユリノキ
スペースがあるので大きく広がっている。小石川ではこうはいかない。
この木も最初に渡来した種子からのもので、1881年(明治14年)にここに植えられた、という説明板がある。

      風で折れた枝のチューリップ  2000.5.7
モクレン類とは違って「蜜」があるので カラスが花を落とす事はあるが、花付きの枝ごと折れる事は少ない。形は確かに チューリップによく似ている。

             若い実の様子      2000.8.13
ボストン アーノルド樹木園

様々な形の葉
ユリノキは黄色く紅葉する。 英語にも yellow poplar の名がある。
東京では茶色の枯れ葉が混ざってしまい、残念ながら真っ黄色にならないことが多い。しかし、一部に黄緑色の葉が残る状態も美しい。

            @:黄葉の様子       2010.11.11

           落ちた葉と実を並べて    2010.11.11
ユリノキはモクレン科で、多数の果実が軸の周りに螺旋状に付く。 中央の長いもので長さが 約9cm。 普通は右上の葉にあるように、翼の付いた果実がバラバラになって飛び散る。
基の方は必ず残る。種子ができていないのかもしれない。また時に 先端も残る事があり、燃えるキャンドルに見える。(右の写真)

 
ユリノキの 位 置
写真@ : C7 a ボダイジュ並木 右側、標識24番の手前
C7 c ボダイジュ並木 左側
C7 b 20番通り 右側
写真A : F10 bd 60番通り ハンノキ並木奥 左側、標識73番の手前


名前の由来 ユリノキ Liriodendron tulipifera 他

ユリノキ : 花がユリに似ている?
事典には和名「ユリノキ」の由来として 「花の形による」と書かれていることが多い。チューリップに似ているのは確かだが、ユリの花には似ていない。
ユリ科の中にはいわゆるラッパ型ではなく、右の写真のような釣り鐘型、ベル型の花も多い。

しかし花の咲く向きは通常下向きとなる。

ユリノキの英語名にも様々なものがあるが、「ユリ」という言葉は出てこない。
 
私の考えでは、アメリカから種子を入手した植物学者(たち)が、明治初めのその当時は、チューリップの名がまだ馴染みが薄かったために、「チューリップノキ」ではなく、属名 Liriodendron にならって「ユリノキ」と名付けたのではないかと思っている。
 
ユリの花の形 ウバユリ ユリ科 のバイモ
箱根湿性花園 小石川植物園

種小名 tulipifera : チューリップを有する の意味
花の形に由来しており、ユリ科チューリップ属は「Tulipa属」である。tulipifera は、意訳すれば「チューリップ状の花を持つ」という意味になるであろう。英語名にも tulip tree がある。
 
Liriodendron ユリノキ属 : 
ギリシア語の leirion (ユリ)と dendron (木) を合成した言葉。まさに ユリノキ である。

ユリノキ属は、現在は「ユリノキ」と「シナユリノキ」の2種しかなく、アメリカ大陸と中国という離れた地域に自生している。
しかし過去には、たとえば鳥取県でもユリノキの仲間の葉の化石が出土しており、地球が温暖であった時には広い範囲に分布していたのが、氷河期を経て2種だけが生き残ったようだ。
 

ユリノキおよびユリノキ属の学名は、リンネ(1707-1778) の『植物の種』(1753) によっている。
ユリノキ属の項を見ると、記載されているのは ユリノキ 一種のみである。

ユリノキは17世紀にアメリカからヨーロッパに伝えられ、植栽されたという。これはリンネが生まれる前のことである。
それだけに、リンネよりも前の時代に出版された本にも、ユリノキの事が記載されており、そこにはユリノキを説明する言葉として、すでに「チューリップ」tulipifera が使われている。しかし、「ユリ」に関係する記述はない。

リンネは なぜ 属名に Liriodendron ユリノキ と名付けたのか?

事典にあるような「花がユリに似ているため」とは思えない。
なにか「ユリ」に似ているところがあるのではないだろうか。
 
モクレン科 Magnoliaceae : 人の名前に由来する
17世紀フランスの植物学者で、地中海に面するモンペリエの植物園園長であった、ピエール・マニョール(1638-1715) を記念したものである。
 

別名 ハンテンボク 
「ユリノキ」と並んで一般的であったと言われている「ハンテンボク」の名は、独特の形をした葉を「半纏」に喩えたものである。ユリノキの葉の表面は光沢があるが、裏はつや消しで白っぽい。
半纏の写真は桐生市「村田捺染加工有限会社」のホームページより
 
別名 ヤッコダコノキ
同じく、葉の形を 「奴凧」 に見立てたもの。
奴凧の写真は、岡山市「サンワサプライ」のHPより
別名 グンバイボク
ハンテンやヤッコダコとは逆さまに、葉の柄を下にして持つと「軍配」となる。写真よりも縦長の葉もあり、二つに割れた部分を軍配の耳に見立てている。

浅草『助六』のミニ軍配
別名 ローソクノキ
ユリノキはモクレン科の植物で、花は一本の軸の周りに 雄しべ・雌しべがたくさん付く形である。

花びらや雄しべが落ちたあと、尖った形の集合果が鈴生りになる。これをローソクに喩えた名前である。私は、別名「オクラノキ」を追加したい。
ユリノキの若い実 タイサンボクの実
右の写真は、同じモクレン科の「タイサンボク」の実である。
この時点では、ユリノキの実と似ている。紫色の部分は、雄しべの落ちた跡。

ユリノキの実は熟すとカサカサに乾燥して、翼の付いた種が落ちていく。
 
成熟し 折れて落下したもの 舞い散った ひとつひとつの種子
    翼が付いているとはいえ、飛び散る範囲はせいぜい25m程度。
 
ローソクノキ」の極めつけは次の写真である。
落下せずに木に残っているもので、一番外側の部分を除いてすべて落ち、残った花軸が「ローソク」と「」に見える。

この写真を回転すると .....
少々花弁の数が多いが「ユリの花」に見えないだろうか。

これこそ 「ユリノキ」 の正体に違いない。


         種子が散り終わっても春まで残る  2007.2.24

小石川植物園の樹木 −植物名の由来− 高橋俊一 五十音順索引へ