![]() |
|
|||
ガイアナ協同共和国 ![]() |
||||
人 口 : | 不明 | |||
面 積 : | 不明 | |||
位 置 : | 北緯6度、西緯57度 | |||
産 業 : | 農業と思われる | |||
首都ジョージタウンから南東に約 100km 17世紀から18世紀にかけてオランダが作った3つの植民地のうちのひとつ、バービスの中心地。 「ニュー・アムステルダム」の名は、当時の名称がそのまま残ったものと思われる。 |
イギリスの植民地であったため、ガイアナ共同共和国の公用語は南米唯一の英語である。(中米のベリーズも英語) 首都ジョージ・タウンから、アメリカの援助で整備された道を車で飛ばして約1時間半。そしてバービス川のフェリーを渡ったところが、ガイアナ第二の都市 ニュー・アムステルダム。 |
|
ジョージ・タウン から ニュー・アムステルダム へ | |
![]() |
![]() |
途中は米やサトウキビの畑が続く。 所々の集落の民家は木造で、洪水に備えて1階は柱だけ(ピロティー)である。ジョージ・タウンは2005年にも水に浸かった。 夜間走行には細心の注意が必要。真っ暗な上に牛が歩いているためである。黒い牛は遠目にはまったく見えない。 |
|
フェリー乗り場 | フェリー内部(1階) |
![]() |
![]() |
それほど大きな船ではないが、こうやって見ると広く見える。 フェリーは古いが車はみな きれい。ガイアナの人たちは、トリニダード・トバゴ、アメリカ、カナダなどに出稼ぎに行き、仕送りが送られてくる。そしてまずは車を買う。 |
|
![]() |
|
彼方に見えるのがニュー・アムステルダムの船着き場。 下の航空写真ではなぜか真っ青だが、バービス川は少し濁って薄茶色である。 |
|
Google Earth による ニュー・アムステルダム市周辺 | |
![]() |
|
上部中央に市街地。 周りはほとんどが畑である。 バービス川が直角に曲がっている川幅の狭いところに、北米の援助で大きな橋を架ける計画があるようだ。 |
|
市庁舎通り | |
![]() |
|
ガイアナの古い建物はすべて木造である。市庁舎の塔の部分は7階建て。 登ってみたかったが、はいれるのかどうか未確認。 熱帯のガイアナは木が豊富なためで、マホガニーも生えていた。 現在はコンクリートも使われているが、ニュー・アムステルダムには生コン会社はない。 |
|
メインストリート | |
![]() |
|
道幅が広いというだけで賑やかな通りというわけではないが、ところどころに店舗がある。ファスト・フード店も一軒あった。 奥はキリスト教会。 |
|
旧 ニュー・アムステルダム病院 | |
![]() |
![]() |
メイン・ストリートのはずれにあるニュー・アムステルダム病院。 築100年と聞いた。木造3階建ての長大な建物である。 撮影時点ではまだ現役であったが、古くなって近代設備に対応できなくなったため、日本政府の援助で新しい病院が建てられた。 |
|
![]() |
|
こちらが新しい病院。中心部からは少し離れたところにある。 2004年末 竣工。 |
|
牛 と モスク | 通り名称の看板 |
![]() メイン・ストリートのもう一方の端。 イスラム教徒はガイアナの人口の約10%。 |
![]() |
右の写真は通り名の立て看板。知らない人が、「ニュー・アムステルダム市 キング・ストリート」と聞くと、立派な道を思い浮かべるであろう。 しかし実際の道路の幅は3mほど。舗装も穴ぼこだらけ...。 |
|
警察署 | 住宅か事務所か |
![]() 警察署も3階建てで、1階はピロティーであったが、近年は洪水が少ないためか、倉庫か何かに使われていた。 右は住宅が多い区画で見かけたもの。 コーナーが面取りしてあって美しい。 |
![]() |
荷車 | 博物館入りの車 |
![]() |
![]() |
きれいな車が多いが、馬車や時にはおんぼろ車も健在である。 ボディーに穴が開いた古い車も手入れして使われているが、ゴミはなんとかしてほしい....。 |
|
小学生 | |
![]() |
![]() |
旧イギリス領だけあってか、教育制度はしっかりしているようだ。 学校ごとのお揃いの制服で、兄弟仲良く通学していた。 しかしこの学校は、生徒数に対して校舎が狭く、また古く、かわいそうなくらいであった。 この近辺に「トウワタ」が生えていたのだが、ここもゴミだらけ。 |
|
参考文献 : Wikipedia、 Google Earth |
|
世界の植物 −植物名の由来− 高橋俊一 五十音順索引へ |