山手線 が 渡る橋 ・くぐる橋
大 塚 → 巣 鴨
− 架道橋 (ガード) ・跨線橋 −

8. 巣 鴨 橋

すがもはし。  
延ばされたホームが真下まで来ているが、改札口は橋を渡ってからなので、大塚 − 巣鴨間に含めることにする。
国道17号、中山道に架かる橋で、今の橋は少なくとも三代目。
1970(昭和45)年に架け替えられたもので、上部構造物はかなり痛んできていたため、2012〜13年に橋全体が補修された。

全 景 (大塚側より)
後ろの巣鴨駅は アトレ・ヴィーとして新装開店。
 
ホームの端 大塚側

親柱


2009.12.17
コンクリートの親柱はひび割れて、スチールベルトで留められていた。( 写真 右)

改修された橋 2013.3.9
フェンスが追加された。

ホームから 橋の下を見る


位 置 (戦後の様子)
1947年(昭和22年)8月の空中写真/国土地理院
 大塚駅                         巣鴨駅
巣鴨橋 データ
位 置: 豊島区巣鴨一丁目〜巣鴨三丁目
管理番号:  −
道路名: 国道17号線、 白山通り
橋 長: 約 40 m
幅 員:
竣工年: 初代:1903(明治36)年 山手線開通時
二代目:1924(大正13)年 複々線化時
現在の橋:1970(昭和45)年11月
跨ぐ線路: 4線:山手線、湘南新宿ライン
名前の由来:  地名 巣鴨 による
ここは正真正銘 巣鴨で、明治末の地図では中山道沿いの部分は、巣鴨村とは別に「巣鴨町 大字巣鴨 字一丁目〜四丁目」となっている。
地名の由来:
巣鴨という地名は古い資料には「菅面・須賀茂・須賀母・州賀茂・州処面・州鴨」など、色々に表記されていた。
巣鴨村は谷端川沿いの一部に田があったが主には畑地で、小字には大根原という地名があったくらいだ。滝野川の名産は牛蒡だった。池はあったかもしれないが、鴨が巣を作るような 州や湿地は無かっただろう。
「巣鴨」の表記の数は少ないが、室町時代の『長禄江戸図』(1457〜60年)に出ているということなので、新しい呼び名ではない。
江戸半ば以降に巣鴨村として定着したと考えられている。
豊島区の資料による


ほかと区別して呼びたい場所には、歴史資料などのない大昔から、なんらかの「地名」が付いていたはずだ。
そして 万葉集の表記に見られるように、漢字は単に「音(おん)」として当てられる、ひとつの文字・記号に過ぎない。
現在の漢字のみならず、中世の資料に出で来る漢字であっても、その時代の人々が思い思いに当てたもので、元の意味とは違っている可能性を考えなければならない。


周辺の情景

江戸橋 - 巣鴨駅間と その先染井橋にかけての山手線の外側には桜の木が植えられている。
大塚側は1979(昭和54)年に植えられたもので、緑陰道路として整備された。橋のすぐ近くに記念の碑があり、巣鴨駅前郵便局の風景スタンプにも取り上げられている。

スタンプのもう一つの意匠 お地蔵様は真性寺のもので、江戸六地蔵のひとつ。10年前に、京都に運んで修復された。
染井吉野 の 並木 2010.4.6
2010.2.21                    2010.5.1

花は 葉に・・・・。
これらの写真の撮影時では、植えられてからまだ30年。10年生の若木を植えたとしても 樹齢は 約40年。
並木を作る時には、早く花の見栄えをよくするために、どうしても間隔を狭めに植えてしまう。ところがサクラの樹形は横に広がるために、成長すると隣同士の枝が込んできてしまって大枝を切ることになる。するとそこから腐り始めて、幹の方まで進んでしまう。そんな木がたくさん出てしまい、線路に枝が落下して電車が止まったこともあって、何本かが伐採された。特に駒込側の木は古かったために、残ったものは少なかった。
材が腐りやすく、寿命は長くても80年などと言われるソメイヨシノだが、うまく育てれば40年ということはないはずだ。大剪定するのではなく、初めから思い切ってバッサリと間引く方が、並木全体を良好に保つのにはよいのではないかと思う。
ソメイヨシノは雑種であるために、自家受粉では実を付けない。このため、もし 自然に交配して生まれていたとしても、同じ性質を持つ子孫がどんどん増えるということはない。
「その最初の木を偶然見つけて増やした」というよりも、「人工的に交配して作り出した」という説が有力になってきている。
いずれにせよ、染井村の植木屋が「接ぎ木」で苗を増やして売り出したのが始まりで、広まったのは江戸末期から明治の始めの事である。それまでは、サクラといえば「吉野山のヤマザクラ」だったことから、当初は「ヨシノザクラ 吉野桜」という名前で売り出した。
しかし、吉野山のサクラ すなわち ヤマザクラ とは違う種類であるし、混乱を来すというので、1900(明治33)年になって藤野寄命が「ソメイヨシノ」と命名した。学名は翌1901年の命名で、Prunus x yedoensis Matsumura である。x は交配種であることを示す。

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