山手線 が 渡る橋 ・ くぐる橋 駒込 → 田端
− 架道橋 (ガード) ・跨線橋 −

11. 新・旧  田 端 大 橋

たばたおおはし。  橋に面して 田端駅の北口がある。

日本鉄道の通称中山道鉄道や 田端線が開通した時にはここには道は無く、今の京浜東北線田端トンネルの手前に踏切があった。
 
遠 景 (山手線の内側 より)
二本並んでいる橋の左側、車が通っている方が「新」。 
旧大橋は撤去予定であったが、「田端ふれあい橋」という愛称が付けられて、歩行者専用の橋として残された。

その二つを跨ぐ巨大なコンクリート橋桁の新幹線。
 
 
初代 田端大橋 名称は「江戸坂跨線橋」
旧版一万分の一地図1915年(大正4年)修正 三河島
/大日本帝国陸地測量部/国土地理院
大正の地図によって、初代の大橋(名称は 江戸坂跨線橋)が架かっていたことがわかる。 縮尺から計算すると、当初から 140〜50m ある大橋だった。 鉄骨連続トラス構造で、幅 4m弱 の人道橋で、東側(図の上側)には 右側に階段、左側には 荷車や自転車のための長いスロープが、築堤(盛り土)で作られた。 
 
田端大橋 1979年(昭和54年)の様子
上の地図とは縮尺が異なる。 現在の「田端ふれあい橋」。

昭和にはいって 1935年(昭和10年)に道坂からの道を通し、二代目の大橋が架けられた。 東北本線の東西を横断する貴重な道だが、片側1車線しかないので、信号待ちの車の列がすごい。
写真上部右側に下りる斜路は、人 専用だろう。
 
新旧 田端大橋 1989年(平成元年)の様子
そして今の三代目「新田端大橋」の竣工はその半世紀後の 1987年(昭和62年)。 旧大橋に沿ってすぐ北側 (写真では左側)に作られた。

車線も増え、線路に沿った取り付け斜路を両方向に設けることで、車の流れもスムースになった。  この大きさは まさに「大橋」である。
 


その1.  田 端 大 橋

西日暮里側から (橋の一部)

 
山手線の内側から (駅北口側)
飾り門柱が立てられた「田端ふれあい橋」。 歩行者専用となって植え込みなどが整備された。
道路の位置が外側にずれたことによって、駅前の車回しスペースは 橋ひとつ分余裕ができたことになる。
 
フェンスの飾り柱には、旧名称「田端大橋」の名前も残されている。
山手線の外側から

 
電車や貨車を見るための窓 旧親柱 と 説明板

橋の間の隙間 段差有り
右側が田端大橋
 
奥が田端大橋
手前は新田端大橋の歩道
当初、旧大橋は取り壊す予定だったので、レベル差にはこだわらなかったのだろう。

橋の下 リベット 無し
リベットは国鉄では昭和30年代まで使われていたが、この橋は造船技術を生かした「全溶接」の橋。 脚は2箇所 計4本。
説明板によると、当時 東洋初で最大のものだったそうだ。


位 置 (戦後の様子)
1947年(昭和22年)8月の空中写真/国土地理院
   駒込駅                                          田端駅
田端大橋 データ
位 置: 北区東田端一丁目
管理番号:  −
道路名: 動坂通り ?
橋 長: 135 m
総支間: 134 m
支 間: 40.5 + 53.0 + 40.5 m
幅 員: 約 13.8 m (道路幅: 11 m)
桁 下: 5.05 〜 5.66 m
竣工年: 初代:竣工年不明
田端大橋: 1935年(昭和10年)12月27日
跨ぐ線路: 10線 : 京浜東北線南行1本、
     新幹線用保守線4本、貨物線5本
くぐる線路: 2線 : 東北・上越新幹線
備 考: 橋の形式はゲルバー型
橋の長さに斜路部分は含まれていない
設計:鉄道大臣官房研究所
製作:川崎造船所 艦船工場
名前の由来: 田端に架かる大きな橋
地名の由来:
今では「田圃の端」 すなわち荒川の洪積平野一面に広がるたんぼの端部 という説が当然のように言われているが、田端村があったのは道灌山の上 むしろ谷田川がある南斜面だった。

丘の上は畑、谷田川沿いにも田があったので、由来としては「田畑」→ 「田端」も考えられる。

この項の参考文献: 『世界最長の溶接橋田端大橋架橋工事に就いて』
    /川崎造船所 住野 弘/1936年2月/日本機械学会誌 第39巻226号

寄稿された上記参考文献によると、全溶接工法であった田端大橋の特長は、
  ・鋼材重量の軽減
  ・皆無な騒音
  ・流線的な美観     となっている。

工期については騒音の出るリベット工法の方が短かい事、溶接時の歪みの防止や、溶接技術・機器の改良などの課題も挙げているが、「この橋の竣工は本邦の橋梁界における一大革命をなす事と信ず」 と結んでいる。
 
 

その2.  新 田 端 大 橋

橋の一部 (山手線の内側より)
右奥がきれいになった田端駅北口

山手線の外側から

左が旧田端大橋。せっかくの車線を客待ちタクシーが占めているが、4車線分あるので 何とかなっている。

橋の水平部分には親柱が無く、手摺りに名称プレートが付けられている。
橋の東詰め
線路の外側は T 字路になっている。
道灌山側道路のレベルの関係だと思うが、電車を通す必要高さよりは高くなっているために、斜路の長さは長い。

田端大橋の階段 新大橋の階段・スロープ


取り付け車路とは別に、橋の東側 両サイドに歩行者用の階段がある。

延々と続くスロープ

南側斜路の親柱 北側斜路の親柱
池袋大橋と同じように、斜路の取り付き部分(地上レベル)に形式的な? 親柱があり、南北で 約 350m離れている。 西側(山手線の内側)にはない。

 
橋の下
鋼製の巨大なボックス梁が4本。

新田端大橋 データ
位 置: 北区東田端二丁目
管理番号:  −
道路名: 動坂通り ?
橋 長: 約 160 m
幅 員: 約 18 m
竣工年: 初代:竣工年不明
田端大橋: 1935年(昭和10年)12月27日
新田端大橋: 1987年(昭和62年)
跨ぐ線路: 13線 : 山手線2線、京浜東北線2線、
     新幹線用保守線4線、貨物線5線
くぐる線路: 2線 : 東北・上越新幹線
備 考:
名前の由来: 田端大橋の隣に新しく架けた橋


周辺の情景

田端ふれあい橋の時計塔 聖学院の鐘楼
似ているような気がするだけ。 聖学院の所在地は中里で、駒込の方が近い。

東台橋 とうだいはし
田端大橋の道は、道灌山をナイフで切り取ったような「切り通し」となっている。

その崖っぷち、駅からすぐの所に架かるこの東台橋は二代目。
初代の鉄骨アーチ橋は車が通れない華奢なものだった。 同じデザインにしたつもりだろうが、ものすごく骨太でみっともない。
 
童 橋 わらべばし
お隣は初代のままの 人道橋、童橋。  床版と手摺りは更新されている。
切り通しができた昭和初めのものだが、手入れを良くして、是非とも永く残して欲しい。
 
切り通し
200m以上石垣が続く。 この歩道の幅では 屋台も出せない。 田端駅に店ができたのが救いか・・・。

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