山手線が渡る橋・くぐる橋  − 架道橋 (ガード) ・跨線橋 −

西日暮里 → 日暮里
5.下御隠殿坂橋

しもごいんでんはし。  
日暮里駅のプラットホームに掛かっており、橋に面して駅の西口・東口があるが、駅舎の手前なので 区分としては西日暮里側に含めた。

橋に続く坂の名前「御殿坂」と、橋の名前が食い違っているので、さらに南にある 「御隠殿坂橋」と一緒に考えなければならない。

1928年(昭和3年)に初めて橋が架かるまで ここに踏切などはなく、御殿坂の道は、南の天王寺の下側 現在の紅葉坂に続いていた。
 
全 景 (山手線の内側 より)
鶯谷方向を見ている。  左側の高架は新しい京成日暮里駅。
橋の反対側は駅舎があるので写せない。

橋の途中に倉庫のようなものがあって、橋の姿が台無しだ。

全 景 (山手線の内側から)
橋の幅は15m。車道は片側1車線だが、センターラインが引かれていない。
 
西側の駅入り口
元の西口部分の建物は自転車置き場として使われている。
駅の入口がどこだか、よくわからない。
 

テラスに設置された説明板によると、 ( 要約 )
1988年(昭和63年)の架け替えにあたっては、景観と眺望に優れた橋として建設した。 
それは、日暮里・谷中地区に数多く残る、古い神社仏閣や文学碑などを中心とした歴史的な風情に配慮すること。新幹線をはじめ数多くの種類の列車が 1日約2,500本も通過する、日本有数の跨線橋としての特性を生かすこと。日暮里駅は荒川区の玄関口であり気品と格調をもった橋とすること。の3つを基本的な考え方に据えて整備した。
和風的なデザイン、バルコニー付きの広い歩道、列車ウォッチングができる生きたトレイン・ミュージアムとして蘇らせた。

手摺り 電車や貨車を見るためのテラス


幼児が列車ウォッチング中。15本の線路がある。
大人もウォッチング。 左側の衝立は、後から取り付けられた 新幹線上部の投石防止ネット。
 

立派な橋ができたのだが、残念ながら 20年後の駅舎の大改装のことまでは考慮されていないため、橋の両側とも後からの施設のために手摺りが断ち切られて、無惨な状態となっている。 (下の写真 右)

まだ工事が続いているので、最終的にはもう少し良くなる事を期待したい。

橋の名前にふさわしい 和風デザインの親柱

 
橋の 山手線の外側 スロープの途中の出入り口

スロープとなって東口に下りていく。

昔はここが東口だったので、タクシーで「日暮里」と言うと、古い運転手はここに。

コンクリートの古い手摺り
建物の裏に囲まれた不思議な道。 下御隠殿坂橋の、隠れた親柱だ。↑
推定では、京成線が上野まで延長された 1933年(昭和8年)のスロープ。
 
日暮里駅のホームから
地上部を走っていた新幹線は、日暮里駅の途中で地下に はいって行く。
 
柱は三本 橋の下となった原因はホームの延長



位 置 (終戦後の様子)
1947年(昭和22年)の空中写真/国土地理院
  西日暮里駅(将来)                           日暮里駅
下御隠殿坂橋 データ


田端-上野間では架道橋や橋に、「坂の名前」を付けるのが決まりとなっている。
 (一部 例外あり)
位 置: 荒川区西日暮里二丁目
管理番号:  −
道路名: 御殿坂通り ?
橋 長: 100 m
幅 員: 約 15 m
竣工年: 初 代: 1928年(昭和3年)、幅 6 m
二代目: 1995年(平成7年)3月
跨ぐ線路: 4本 : 山手線、京浜東北線
2本 : 新幹線
4本 : 東北本線(宇都宮線、高崎線)
2本 : 常磐線
1本 : 京成電鉄 上り線、  合計 13本
くぐる線路: 1本 : 京成電鉄 下り線
備 考: 橋の形式: 3径間鋼製ラーメン橋
工 期: 約5年9ヶ月
名前の由来: 同時期にできた、鶯谷寄りの「御隠殿坂橋」と対をなす橋。  江戸城から遠い所にあるので「下」を付けた。
坂名の由来: 御隠殿坂はここから 500mほど鶯谷寄りの所にある。 そこにあるのが「御隠殿坂橋」。

「御隠殿」とは東叡山寛永寺の住職 輪王寺宮法新王の別邸のことで、江戸時代に、寛永寺から別邸に行くために作られた道の途中の坂が「御隠殿坂」と名付けられた。

御隠殿坂の写真は「御隠殿坂橋」の項で載せるとして、現在、この橋から続く 緩やかな坂の名は「御殿坂」である。

御 殿 坂

御殿坂 (向かい側は 本行寺)
 御殿坂の説明板によると、
以前は、谷中への上り口に当たる急坂を「御殿坂」と呼んだが、日暮里駅 や JRの線路ができた際に消滅したため、その名残である坂の上の部分をこう呼ぶようになったと考えられる。
俗に御隠殿(寛永寺輪王寺宮の隠居所)がこの先にあったから、といわれるが 根拠は定かではない。
 とある。

以前の御殿坂は 次の地図の だと思われる。 この後 駅の発展に伴って、緑の点線当たりまで削られてしまったために 消滅した。
現在の御殿坂は「黄色部分」である。 坂の先には有名になった「夕焼だんだん」と谷中商店街があり、平日でも観光客で賑わっている。

1930年(大正5年)修正の地図
旧版一万分の一地図 上野/大日本帝国陸地測量部/国土地理院

結果的には「御殿坂」も御隠殿に因んでいるようなので、離れた場所の御隠殿坂( 部)を意識した上で、御殿坂 を 御隠殿坂に読み替えて命名した、と考えよう。

なお、この当時の日暮里駅は今よりも北側にあり、1928年(昭和3年)の「下御隠殿坂橋」の開通に合わせて、現在の位置に移転した。


橋からの眺め・付近の情景

削られた崖 トレイン・ウォッチング


目障りな倉庫の壁に、代表的な車両の写真が貼ってある。
たくさんの種類の電車が通るが、なかなか一度に複数を目にするのは難しい・・・・



←山手線の内側に線路を増やした時にできた崖。
  経緯は日暮里駅で。

新幹線がいないのが寂しいが、一応 4種類。マニアではないので車種はパス。
常磐線は日暮里駅を出ると、すぐに右にカーブを切る。



トピックス 歩道を渡って どこへ行く?

高架の旧東口を出た所。 横断歩道の先は手摺りで行き止まり。
その向こうは「断崖」である。

駅のコンコンース側から 出口を見る 上と同じ場所を見下ろす
実は つい最近まで、ここに階段があった。 ↑    .
下御隠殿坂橋ができ、(京成電鉄の?)東口ができて、ここから下におりていく階段だったが、舎人ライナーの新駅建設で東側は様変わりして、ついに階段は廃止された。

代わりに、別の場所にエスカレータができている。

階段のあったところ 下(道路レベル)から見上げる

    ↑ ワイヤ・ソーでカットされた、
      かつての メイン通路・・・。



いろいろな所が 少しずつ、時には 急に変わっていく。


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