| 年 |
学 名 |
命名者 | 備 考 |
② |
1760 |
Symplocos |
ジャカン |
ハイノキ属 |
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Nicolaus Joseph von Jacquin (1727-1817) はオランダの植物学者で、『リンネの方法による植物知識への手引き』(1785)を著すなど、リンネの分類法の後継者だった。ハイノキ属を記載したのは『カリブの植物目録:Enumeratio
systematica plantarum : quas in insulis Caribaeis vicinaque Americes continente
detexit novas, aut iam cognitas emendavit』p.5 。 |
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雄しべが多数、雌しべは1個のカテゴリーの、花弁が5個の区分に分類されている。p.24 に、S. martinicensis なる種を記載したが、説明文が無いために有効とはなっていない。 |
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1763 |
科 の概念を示す |
アダンソン |
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Michel Adanson (1727-1806) はフランスの植物学者。リンネとは異なる分類法で『植物の科:Familles des plantes』2巻を出版したが、あまり受け入れられなかった。Wikipediaによると、アダンソンは
65種の形質について各々に複数のクラスを設け、各植物の形質がどのクラスに含まれるかで植物を分類し、その結果から 58の科を設けた。その科は現在の分類学の「目」に近い、という。 |
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| 年 |
学 名 |
命名者 | 備 考 |
③ |
1784 |
Laurus lucida |
ムレイ |
クロキの最初の記載 |
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May.
-Jun |
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ツュンベリーの原稿を、引用の許可を得た Johan Andreas murray (1740- 1791) が『植物分類体系:Systema
vegetabilis』に、先に発表してしまったもの。 |
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③' |
1784 |
Laurus lucida |
ツュンベリー |
少しだけ出版が遅かった |
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Aug |
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Carl Peter Thunberg (1743-1828) はスウェーデンの植物学者・博物学者でリンネの弟子。1775年に来日、翌年には出島商館長に従って江戸参府を果たし、徳川家治に謁見したが
同年 離日。
1784年に『日本植物誌:Flora Iaponica ~』を出版したが、上記のように学名の先取権はムレイにあるため、命名者としては本来ムレイ単独となるが、
通常は Thunb. ex Murray と標記される。 |
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ツュンベリーは クロキを「ゲッケイジュ属(Laurus)」として記載した。ジャカンのハイノキ属 ②はまだ普及していなかったようだ。
左 p.172:クラス IX は雄しべの数が9個(Enneandria)であり、トップにはクスノキ(現 クスノキ属)が載っている。 |
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クスノキ |
クロキ |
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クスノキの撮影:福岡教育大学 福原達人、掲載許可取得済み |
クロキの雄しべを数えてみたところ、25個以上あった。
クスノキは3数性で花被片が6、雄しべは3個が3輪について9、さらに4輪目に仮雄しべがあって12個である。そもそも クロキは萼片も花弁も5個で、クスノキと同じグループにするのには無理がある。 |
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1820 |
Symplocaceae |
デスフォンテーヌ |
ハイノキ科、保留名 |
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René Louiche Desfontaines (1750-1833) はフランスの植物学者。初めは医師を目指したが、パリに出て植物学に目覚め、後にパリ植物園や自然史博物館の所長を歴任した。 |
Desfontaines |
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④ |
1825 |
Symplocos theifolia |
D. ドン |
クロキの異名 |
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David Don (1799-1841) はイギリス スコットランドの植物学者。
『Prodromus florae Nepalensis 』p.145に記載したもの。theifoliaは チャノキの葉に似た、の意味だが、文献の引用は行っていない。クロキだとすると、③の種小名 lucida に優先権があるので、異名とされている。 |
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| 年 |
学 名 |
命名者 | 備 考 |
⑤ | 1837 |
Symplocos lucida |
シーボルト & ツッカリーニ GRINでの正名 |
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or
1838 |
| Philipp Franz Balthasar von Siebold (1796-1866) はドイツの医師、植物学者、博物学者。出島の商館医として
1823年から28年まで滞在。
帰国後、ツッカリーニの協力のもとに 1835年から44年まで、逐次『日本植物誌:Flora Japonica, ~』を出版。クロキは第1巻 p.55で、図版は第24図。 | |
図の葉は少し黄色味がかっているが、ツッカリーニが書いたと思われる解説は詳細にわたっており、日本名も Kuroki であり、参考文献として まずケンペルの『異邦の魅力』p.788
❶が挙げられている(下図)。
ところがツュンベリーの『日本植物誌』からの引用は、p.174 ③' ではなく、Myrtis laevis p.198 である。(下図 緑の下線部、さらに その次の図参照。) |
これはいったいどうしたことか?
これが、現在支持されている学名 S. kuroki の命名の有効性に関係してくる。 |
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❸' |
参考 |
ツュンベリー『日本植物誌』p. 198 Myrtis laevis の部分 |
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1784 |
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M. laevis は、雄しべが 20個以上ある Icosandria に記載されており、和名は コヤスノキ となっている。現在この記載はバラ科カマツカとされており、カマツカならば20個の雄しべがある。ツュンベリーはハイノキ属を認識していなかったためか、雄しべが多数あるフトモモ属としたのかもしれない。記載は1種のみ。トベラ科のコヤスノキは雄しべは5本なので、和名は他種と混同したものだろう。 |
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年 |
学 名 |
命名者 |
備 考 |
⑥ |
1828 |
Symplocos lucida |
ウォーリッチ |
有効な記載ではない |
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~ |
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Nathaniel Wallich (1786-1854) はデンマークに生まれ、イギリスの東インド会社など、インドで活躍した外科医・植物学者。多くの植物を採取し、インド協会博物館そのほかに寄付した。1817年からは東インド会社植物園の職員として働き、自身以外の標本を含めて2万種を越える手書きのリスト『Numerical
list of dried specimens of plants in the Museum of the Honl. East India
Company』(1828~)を作成した。 |
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Wallich |
左は
その1ページ目
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Smithonianの
Biodiversity
Heritage
Libraryより |
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155ページには多くのハイノキ属の種が並んでおり、S. lucida は標本番号 4414 として載っている。
これを正式に記載したのが D. Don の兄、G. Don である。 |
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⑦ |
1838 |
Symplocos lucida |
Wall. ex G. Don |
正名の可能性有り |
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Mar- Apr |
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ウォーリッチ ex G. ドン |
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George Don (1798–1856) はスコットランドの植物学者・植物採集家。
『A general history of the dichlamydeous plants:~』は園芸家と植物学者のための辞書 および 過去の出版一覧で、4巻からなる膨大なボリュームのデータベースである。
その第4巻 1ページから3ページにかけて 33種のハイノキ属が掲載され、ウォーリッチの⑤の標本リストに基づくものも 11種 取り上げられている。 |
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(Wall. cat. no. 4414.) と明記されているが、そのほかには過去の著作の引用はなく、自生地は東インドなので、ツュンベリーの記載やシーボルトの図とは異なる標本に基づいていることになる。 |
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GRINのコメント欄には、シーボルトの出版⑤よりも早くて、こちらが正名の可能性がある、と書かれている。 |
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年 |
学 名 |
命名者 |
備 考 |
⑧ |
1844 |
Symplocos japonica |
A. ドゥ・カンドール |
クロキの異名 |
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Alphonse L. P. P. de Candolle (1806-1893) はスイスの植物学者で、ジュネーブ大学の植物学教授を勤めた。国際植物命名規約の草案を作り、1867年
第4回パリでの植物学で「ド・カンドル法」として発行され、現在の規約のスタートとなった。S. japonica は『Prodromus systematis naturalis regni vegetabilis, ~』第8巻 p. 255 に記載。 |
de Candolle |
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シーボルト『日本植物誌』⑤ の S. lucida が引用され、それに続けて non Wall. ウォーリッチのものではない、との断り書きがある。 |
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年 |
学 名 |
命名者 |
備 考 |
⑨ |
1993 |
Symplocos kuroki |
永益 英敏 |
新しい命名 正名? |
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永益 英敏 は 京都大学 総合博物館 教授。
京大の雑誌『Contributions from the Biological Laboratory』第28巻 2号 に「日本のハイノキ科
The Symplocaceae of Japan」を掲載。
p. 240 にクロキを新しい名称 Symplocos kuroki として記載した。 |
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