山手線が渡る橋・くぐる橋  − 架道橋 (ガード) ・跨線橋 −

新宿 → 新大久保
2. 角筈 架道橋
新宿駅の東西を連絡する 歩行者専用の便利な近道。
2009年12月に改装工事が完了し、きれいになった。 


山手線 内側 (2009年11月時点、 改装工事中)

アルタ前のスクランブル交差点に面している。
こちらは 通りから入口がよく見える。
 

11月15日の状態。 新宿駅側半分で通行
              完成した斜路など (山手線の内側)
「旧青梅街道」の立て札も建てられた。
 
山手線 外側

露地の奥まった所にあるので、近づかないと見えてこない。知らない人は「大ガード」や駅の地下道などを利用する。

2009年11月20日時点、新大久保側は完成。
角筈 架道橋 データ
位 置: 新宿区新宿三丁目 (〜西新宿一丁目)
 品川より 10K 951M
管理番号: 中央緩行線 ( 33 )
通りの名称:  −
線路の数: 11本  山手線外側より
中央緩行線(下り)、山手線 2本、中央緩行線(上り)、中央線 2本、埼京線・湘南新宿ライン (共用)3本
支 間: ( 通路幅 約 3.6 m )
空 頭: ( 天井高 約 2.1 m )
構 造: 鉄筋コンクリート
竣工年: 不明 (1964年・昭和39年にはできていた)
備 考: 2009年12月 内装を改修
名前の由来: 新宿駅周辺の旧町名「つのはず」による。

新宿区の施設、角筈図書館・角筈区民ホール、および西口公園南の陸橋など、主に西新宿地域に名前が残されている。

角筈の意味 : 広辞苑をもとに
1.弓の筈または矢筈の角製のもの
「筈」とは、弓の両端の弦をかける所、あるいは 矢を弦につがえる部分で、それを角(つの) で作ったもが「角筈」である。
相撲で、親指と人差し指を開いた状態で押すことを 「はず押し」と言う。
2.(斎宮の忌詞で) 優婆塞のこと
これだけでは何の事やら・・・・
斎宮 : さいぐう : 伊勢神宮に奉仕した皇女。天皇の名代として、天皇
  の即位ごとに未婚の内親王または女王から選ばれた。後醍醐天皇
  の時代に廃絶。
斎宮の忌詞 : さいぐうのいみことば : 神慮をはばかり、斎宮が 仏語と
  不浄語を忌んで使わないようにするために、代わりに用いた言葉。
優婆塞 : うばそく : 在俗の男子の仏教信者のこと。
  梵語の音に漢字をあてたもの。 (女子は優婆夷 うばい)
  優婆塞は仏教用語なので、斎宮は「角筈」と呼んだ、ということ。

つまり「角筈」は在俗の仏教信者の事である。 
恐らく「修行を積んだが 出家をしなかった特定の人」の事であって、「一般信者」のことではないであろう。
 

角筈の地名の由来 : 『東京23区の地名の由来』/金子 勤 より
代々この村の名主をしていた渡辺家の先祖・与兵衛にちなむ。

与兵衛は天文・永禄年間(1532〜70年)の 熊野の乱の時、紀州・和歌山よりこの地に流れ着いて、新田開発を行い、熊野権現の社をつくったという。与兵衛は真言宗の信者で、正式の僧とならずに自宅で修行する「優婆塞」だったので、この地を「角筈」と呼ぶようになった。


地名の由来別案? : 
南豊島郡時代の旧村名「角筈村」は、青梅街道 と甲州街道 が内藤新宿で斜めに合流する、その内側の部分である。
「角筈」の由来は、この 少しくびれた鋭角三角形の「」の形を 弓の筈になぞらえたもの ?
明治13年測量 東京近傍中部/陸地測量部
まあ、正確な地図などの無かった時代には無理な由来だろう ・・・。


角筈架道橋 の 歴史

1885年(明治18年): 日本鉄道 品川-赤羽間 開通
現在の角筈架道橋の位置が 「青梅街道」であり、踏切(次掲地図の)が設けられた。 「内藤新宿」の市街地を避けたため、新宿駅付近は畑であった。
1889年(明治22年): 甲武鉄道(現中央線) 新宿-立川間 開業
1894年(明治27年):  同 牛込まで延伸開業

1897年(明治30年) 2万分の1 地図
                                   青梅街道
甲武鉄道 ↑跨線線路橋            甲州街道

1906年(明治39年): 新宿駅構内に電車線を設置。 
甲武鉄道の駅は構内に2つ。 駅本屋甲州口に移された。
甲州街道には車が通れる木造の橋。青梅街道には跨線橋が作られた。

1921年(大正10年)修正の地図
                               初代 青梅街道架道橋↓
1万分の1 四谷/国土地理院 (大日本帝国陸地測量部)に加筆
恐らく明治末には、隣に初代青梅街道架道橋が作られている。
角筈に車用の架道橋を通さなかったのは、線路とのレベル差が全くないためで、
現青梅街道架道橋の位置は線路が「築堤」となっていたためである。

1925年(大正14年)3月: 品川 − 田端間 複々線化 完了
三代目の駅舎東口に完成。 RC2階建て
1928年(昭和3年)5月: 中央線 新宿 - 中野間 複々線化
角筈架道橋ができる

1928年(昭和3年)修正の地図


周辺の情景
 
東口 スタジオ・アルタ 西口 思い出横町

この左手に、角筈ガードがある

1999年11月に大火があり、再開発が計画されたが見送られた。一部はビルに。
旧名は、しょんべん横丁

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