山手線 が 渡る橋 ・くぐる橋 | |
池 袋 → 大 塚 |
3. 池袋跨線人道橋 |
下の写真の白い屋根、池袋マンモスプールの跡地に作られた豊島清掃工場の隣に、余熱利用の温水プールなどを持つ「豊島区立健康プラザ」が誕生した。 池袋の駅から健康プラザに行きやすくするために新たに作られた人道跨線橋で、池袋大橋とは逆の稲妻形をしている。 愛称 パークブリッジ。 線路沿いの「池袋駅前公園」から スロープで登っていく。 |
パークブリッジの位置 (1989年度の写真に加筆) |
国土交通省『国土画像情報』/1989(平成元)年度撮影 CKT-89-4/C2-25 |
なつかしの「マンモス・プール」、冬はスケート場になった。 この時点では、東西を結ぶ自動車専用の「池袋大橋」の南側、水平部分にだけ、階段で上る歩道の形で人道橋が設けられていた。 その後 パークブリッジができ、黄色い点線の位置で池袋大橋と、階段で結ばれている。 |
遠 景 2010.1.14 |
遠くからで分かりにくいが、緑色の長い橋(池袋大橋)の手前にある、焦げ茶色の橋である。 池袋大橋よりも低い位置に架けられ、これをくぐって清掃工場側に抜けていく。 それが可能になった訳は、旧山手貨物線(現在の湘南新宿ライン)の線路レベルを下げて、堀之内橋など付近全てが立体交差化されたお陰である。 |
全 景 2011.6.7 |
山手線の内側に下りるスロープ ↑ 大橋との接続↑ |
自転車は、階段を押して上り下りして利用する。 |
付近の 歴 史 | |||
1885年(明治18年)3月 | :日本鉄道品川線開通 単線(品川 - 板橋) | ||
池袋踏切(仮称)開設 | |||
1903年(明治36年)4月 | :豊島線開通 単線 (池袋 - 田端) | ||
池袋駅 開業 | |||
1910年(明治43年) | :池袋 - 田端 複線化 (2本とも高いレベル) | ||
1924年(大正13年)12月 | :池袋 - 田端 複々線化 | ||
旧複線を貨物、新線(低いレベル)を山手線が使用 | |||
1925年(大正14年)3月 | :神田-上野間がつながり、環状運転が開始される | ||
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1965年(昭和40年) | :池袋大橋 架橋 踏切廃止 | ||
1980年(昭和55年)5月 | :池袋駅 貨物取り扱いの廃止 | ||
1983年(昭和58年)10月 | :池袋駅 山手線の内側にホームを1面増設 赤羽線のホーム変更、旧4番→新1・2番 (当時) |
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1985年(昭和60年)9月 | :埼京線運転開始 (池袋 - 大宮) | ||
1988年(昭和63年)3月 | :山手線の内側に 4つ目のホームを増設 東北本線・高崎線の一部の電車が池袋へ |
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1995〜1996年 | :旧山手貨物線の立体交差化工事 | ||
(平成7〜8年) | |||
1998年(平成10年) | パークブリッジ 架橋 | ||
2001年(平成13年)12月 | :湘南新宿ライン運転開始。 | ||
池袋駅前公園から始まるスロープ (山手線の内側) | ||
スロープの途中から 橋の池袋駅側 | ||
すぐ手前に架線用のビームがあって、橋が見にくい。 緑色は池袋大橋。 |
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パークブリッジを過ぎた位置から 橋の大塚駅側 | ||
下の写真の黄色い▼地点から、池袋大橋をくぐって健康プラザ方向に下りていく。 |
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駅の西口からパークブリッジに行くためには、線路に沿って歩き、まず池袋大橋の赤い▼印から階段を登る。 大橋の上の歩道で東上線や埼京線を越えたあと、黄色い▼印の階段を下りることになる。黄色階段は自転車用のスロープがない。 |
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池袋大橋の下から | 橋の上 | ||
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位 置 (終戦後の様子) |
1948年(昭和23年)の空中写真/国土地理院 |
池袋駅 旧東京拘置所 大塚駅 |
■ 池袋 跨線人道橋 データ | |||
位 置: | 豊島区上池袋二丁目 | ||
管理番号: | − | ||
愛称: | パークブリッジ | ||
橋 長: | 約 40 m (水平部分) 全長: 153. 72 m | ||
幅 員: | 3. 24 m | ||
竣工年: | 1998年(平成10年)10月 | ||
跨ぐ線路: | 4本: 山手線外回り、内回り、埼京線 | ||
備 考: | 鋼製梁の高さ: 1.3 m 自転車も通行可能。 | ||
名前の由来: | 池袋の人専用の跨線橋。 愛称は、山手線内側の池袋駅前公園からスロープが始まっているため、であろう。 |
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周辺の情景・橋からの風景 |
四面塔尊 | |
池袋駅前公園は細長い公園だが、パークブリッジとは逆の駅に近い部分にある祠である。 1721年(享保6年)に建立された、無差別殺人の供養塔を保存したもの。 以下は その説明板の内容である。 |
四面塔尊の由来 今から280年前の享保の頃、高田雑司ヶ谷と板橋を結ぶ街道と りく川と東長崎を結ぶ街道との四つ辻付近(現在の西武線池袋駅東口)は、夕方になると追いはぎや辻斬りが出没し、夜はその難を逃れるため 通行する人が途絶えました。 享保6年の夏、一晩で17名の辻斬り残骸があり、この不祥事を憂いて、池袋村民有志64人が雑司ヶ谷鬼子母法明寺日相上人に供養をお願いし、同年9月に法華経のお題目を刻した石塔を建立して、無縁仏の霊を供養しました。 正面には お題目、右側面には 北方板ばしみち、左側面には 南方高田雑司ヶ谷道が記され、道標としても使われました。 この塔は四面塔尊と称され、以来、法華経の功徳により災難は解消されました。 |
健康プラザへのスロープから 六ツ又陸橋を見る |
清掃工場専用出入り口の下にあたる |
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