| 山手線が渡る橋・くぐる橋 | − 架道橋 (ガード) ・跨線橋 − |
| 1. 上野駅東西自由通路 |
| 愛称「パンダ橋」。 オープンスペースが少ない線路の東側の人々が、大災害時に上野公園に避難しやすいようにと建設された橋である。 普段の 特に平日の人通りは少ない。 建設の事業主体は台東区であるが、国と都から補助金が出ている。 |
| 全 景 (御徒町方面を見る) |
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| 3枚の写真を貼り合わせ。 |
| 近 景 (パンダ口から) |
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| 公園口と パンダ橋 |
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| 山手線の内側は、道路を越えるために階段となっている。 パンダ石↑ |
| パンダ? 石 |
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| 橋に親柱はないが、その代わりとしてはあまりにでかい 橋の名称。 公募で名付けられた「パンダ」にこだわるあまりに、変成岩の一種であるホルンフェルスを据えて 「パンダ石」と称している。 黒が多すぎて、パンダには見えないのが惜しい。 左下の白い部分「パ」のところが花崗岩で、マグマの上昇時に泥岩などに貫入したものである。堆積岩には熱と圧力で変化が起きる。 ホルンフェルス(角岩、硬い石の意味)の適切な訳語がないので、パンダ石でもいいのかも知れないが、中国でこれを「熊猫石」と呼んでいるかどうかは 未調査である。 |
| 階段の横から 山手線の外側(東方向)を見る |
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| 単なる東西連絡跨線橋なら、幅は半分、いや四分の一でもいい。 避難のための橋であるから、屋根も イスも なし。 |
| パンダ橋口 |
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| 奥には、動物園の代わりに 巨大なジャイアント・パンダの縫いぐるみが 鎮座している。 名前は?・・・。 |
| 橋の東詰から 公園方向を見る |
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| 奥には 東京文化会館が見える。 |
| 山手線の外側 駅舎本館前の2階レベル | |||
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| この階段の下は、地平ホームのコンコースの一部となっている。 |
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| 毎日使っている駅だけに、工事は夜中だけに限られる。 継ぎはぎのひどい状況となった最大の原因は、一定期間閉鎖してきれいに撤去したりすることができない駅の事情にあるのだろう。 パンダ橋の工事期間は、何と 11年間! という話である。 |
| ■ 上野駅東西自由通路 データ | |||
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位 置: | 台東区上野公園〜台東区上野七丁目 | |
| 管理番号: | − | ||
| 道路名: | − | ||
| 跨ぐ線路: | 高架ホーム : 計12本 | ||
| 4本 : 山手、京浜東北線各2本 8本 : 宇都宮、高崎、常磐線 地平ホーム部分は、橋の下には線路 無し |
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| 橋 長: | 約 220m | ||
| 幅 員: | 約 22m | ||
| 竣工年: | 2000年(平成12年) |
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| 備 考: | 愛称「パンダ橋」 | ||
| 名前の由来: | 公募によるが、上野動物園のジャイアント・パンダからの連想である | ||
| 付近の情景 |
| 東京文化会館 | |
| 竣工 : 1961年(昭和36年) 設計 : 前川國男 ![]() |
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| 写真右は大ホールの裏側の壁。 外壁は石を打ち込んだPC版である。 |
| 国立科学博物館 本館 | |
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| 本館の竣工 : 1930年(昭和5年)。上野新駅舎と同年代である。 その新館の屋上から見た 上野駅。 |
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| 山手線・京浜東北線のホームは写っていない。 5〜12番線の高架ホームの奥に、鉄道関係人材教育で有名な「岩倉高等学校」が見える。 現在は入谷口のすぐ前。 |
| 岩倉高等学校 (当初の名称:鉄道学校) | |
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| 開校は古く 1897年(明治30年)である。 校名は株式会社「日本鉄道」の設立に係わった岩倉具視に因んでいる。 校章は岩倉家の紋「笹竜胆 ササリンドウ」の中央に、レールの初期の形状である「双頭レール」をあしらっている。 双頭レールは、片側がすり減った時に上下を逆さまにして二回使えるという、レールが貴重品だった時代の省資源レールであった。 |
| 双頭レール (汐留停車場跡) | |
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