山手線が渡る橋・くぐる橋  − 架道橋 (ガード) ・跨線橋 −

神田 → 東京
番外.常磐橋 ・常盤橋

常盤橋架道橋に含めると長くなりすぎるので、番外として掲載する。

常 磐 橋
右手が常盤橋門跡。 高速の橋脚がじゃまだ。

三つの 常盤橋 架橋の歴史
1947年(昭和22年)の空中写真/国土地理院






神田

江戸時代から架かっていた @ 旧常盤橋(現在は 常磐橋)、 震災前に架けられたA 新常盤橋、 震災後に架けられたB 常盤橋 が並ぶ。 
今はその上に高速道路が覆い被さっている。 Aの新常盤橋は、新幹線工事のために架け替えられた。

大正の中頃まで、車が通れる橋としては呉服橋の上流は神田橋だった。

西暦(年号) 事 項 備考
1590  (天正18年)  徳川家康、江戸城にはいる
江戸初期
 1600年頃
 南へ流れていた「平川」を迂回させるために現在の「外濠」が
 作られ、初代 常盤橋 @ (大橋、浅草口橋)が架けられる
 当然の事ながら、木造であった
 推定事項
1603  (慶長8年)  日本橋が架けられ、翌年 五街道の起点となる  徳川家康
1626  (寛永6年)  橋@の内側に 常盤橋門 が設置される  徳川家光
  この頃、家光の要請によって常盤橋の名が付けられた

常盤(トキワ) は 本来「常磐 トコイワ」で、常に変わらない岩 の意味から、永久不変なこと、転じて 松や杉などの常緑樹が常に緑色の葉を保つことを表す。 
「盤」は「バン、皿」を指し、姓として使われる常盤も ”ときわ” と読む。 また、常陸(ひたち)の国と磐城の国を合わせた「常磐」は ”じょうばん” である。

千代田区教育委員会の説明によると、常盤橋の名の出典は平安時代の『金葉和歌集』(1124〜26頃)にある、「色かへぬ松によそへて東路の常磐のはしにかかる藤浪」からで、常盤橋が江戸から東方向の道に架かる重要な橋であり、また当然、徳川家光の出身である 松平家の姓「松」を意識したものである。

金葉集には「常」とあったのに、誤用で「常」となってしまったようで、後出する明治の地図にも「常盤橋」が使われている。

旧々 常盤橋 @ (木造)
撮影年代 不詳 /常盤橋門の説明板 より


西暦(年号) 事 項 備考
1873  (明治6年)  官立の小学校「常盤学校」創立  現在の地ではない
1877  (明治10年)  常盤橋が石橋に架け替えられる
1900  (明治33年)  「常盤小学校」が現在地に移転  次の地図で

旧 常盤橋 @ (石造)
1880年(明治13年)頃/ Wikipedia より
旧 常盤橋 @ (石造)
1916年(大正5年)修正測量 1万分の1 / 国土地理院


西暦(年号) 事 項 備考
1919  (大正8年)  旧中央線 2線が開通する
1920  (大正9年)  常盤橋 A が建設される 市電が通る

新常盤橋 A (印 )
1921年(大正10年)修正測量 1万分の1 / 国土地理院
     常盤橋架道橋 のすぐ東に 「常盤橋」があったことがわかる。 
     調査する前は 新常盤橋が最後に架けられたのかと思っていた。


西暦(年号) 事 項 備考
1923  (大正12年)  関東大地震  常盤橋が被害を受ける
 常盤小学校も全焼
1926  (昭和元年)  常盤橋 B が建設される  帝都復興道路
1929  (昭和4年)  常盤小学校、新校舎建築

常 盤 橋 B (印 )
1930年(昭和5年)測量 1万分の1 / 国土地理院
被害を受けた旧常盤橋は、記載されていない! 内。

中央区立 常盤小学校
東京都歴史的建造物、経済産業省近代化産業遺産 に指定されている。


西暦(年号) 事 項 備考
1933  (昭和8年)  渋沢栄一によって旧常盤橋が修復される
 このとき 親柱の橋名が「常磐橋」とされる
  本来の文字「常磐」に変更された。
  付近は公園として整備され、渋沢の銅像
  ができる。

常磐橋 復活 親柱
1937年(昭和12年)修正測量 1万分の1 / 国土地理院 2010.2.2
名前を「常磐橋」と変えたのは 渋沢栄一の考えであろう。 下流の「常盤橋」と区別する意味もあったかもしれない。


西暦(年号) 事 項  備 考
1939〜  第二次世界大戦
1941〜45  太平洋戦争
1988  (昭和63年)  新幹線建設に伴い、新常盤橋 B 架け替え

架け替え 前 (1984年)
         架け替え 後 (1989年 新幹線工事中)
航空写真の撮影角度が違うために、位置の対比が難しい。 隣にまず片側分の新しい橋を架けた後で旧橋の半分を取り壊し、下り車線を完成させたたようにも見えるが、そんなはずはないだろう。 歩道が広くなった。



常 磐 橋

2011.3.11 の東北大震災で旧常盤橋門の石垣が危険になったために、現在、常磐橋の歩行者用通路は通行止めである。 なかなか修復工事がはかどらないのは、「橋上生活者」を締め出す狙いがあるのかもしれない。
撮影は 2010.2.2(橋に人がいる写真) と 2011.12.22

上流 新常盤橋から
左岸に日本銀行本店が見える。

下流 右岸から

左岸の親柱
奥の緑の桁が「新常盤橋」。

欄 干
下流に 「常盤橋」。

常盤橋公園の渋沢栄一像

                         現在は立ち入り禁止                 2011.12.22
2011年の東北大地震で常盤橋門の石垣がずれてしまい、解体修理を行うようだ。 全ての石に番号が貼られている。



常 盤 橋

1926年(昭和元年)12月竣工。 想像していたより古い橋だった。

上流 左岸から
コンクリートアーチ造。 石張りのイメージは旧常盤橋に似ている。 欄干の開口部から水が垂れて 橋を汚している。

下流 右岸から

左岸の親柱



新 常 盤 橋

初代は震災前の 1920年(大正9年)。 旧常盤橋と同じデザインの二連アーチだったそうだ。

現在の橋の竣工は 1988年(昭和63年)3月。 上野から東京を目差す新幹線が、ギリギリの所で橋に当たるために架け替えられた。 新幹線の開通は 1991年(平成3年)11月で、橋を架け直してから3年半後であった。 費用は国鉄持ち だったのだろうか?

川下 左岸から
川上側は線路敷きで 「外濠橋梁」があるために 見えない。

右岸の親柱


左岸の親柱
写っているのはともに歩道のみ。 上空の首都高速とあわせて 3つの橋が交錯する。 新幹線は新常盤橋ぎりぎり。 設計通りだが・・・・。



常盤橋架道橋の 位置 (終戦後の様子)
龍閑川               1947年(昭和22年)7月の空中写真/国土地理院
       神田駅                外濠                               東京駅

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