山手線が渡る橋・くぐる橋  − 架道橋 (ガード) ・跨線橋 −

神田 → 東京
24. (仮称)呉服橋 高架橋

1896年(明治29年)に開始された 新銭座〜永楽町間の新線工事の記録が 『東京市街高架鉄道建築概要/鉄道院東京改良事務所』(1914)である。 永楽町は現在東京駅がある場所の旧町名。

同書の橋梁一覧表には 「呉服橋高架橋」の名前はない。 東京駅を挟んだ区間が 土を盛った「築堤」だったためである。 

『東京市街高架鉄道建築概要』の 市街線金杉橋銭瓶町間 縦断面図 (一部)
図の向きは本ホームページの進行方向に合わせて左右を 逆転してある。
部に 名前はない。

現在では、新設中央線を初めとした高架橋があるのは明らかなので、神田 - 東京間の多くの高架橋名に倣って、仮称を 「呉服橋高架橋」とした。

神田 - 東京間 は長かった〜! ようやく 東京駅に着く・・・。

            東京駅方向を見た (仮称)呉服橋高架橋     2012.1.30

山手線の内側から 以下のような仮称を付ける。 A部はもともと築堤だったが、中央線新高架(H部)建設時に一部が作り替えられ、高架下が店舗となった。

  
  
 : 現 中央線 2線
 : 4線 +アルファ
    一部作り替え
 : 1995年(平成7年)完成
 : 1910年(明治43年)9月開業
   4線は呉服橋架道橋寄りの一部
   東京駅寄りは分岐して線路が増える
    : 新幹線 4線  : 1991年(平成3年) 新幹線東京乗入れ
   1997年(平成9年) ホーム増設


H 部分 : 現中央線2線 1995年 7月2日開通。

               山手線内側の様子        2012.3.26
呉服橋架道橋がある永代通りから東京方向を見ている。 この時点では新駅舎の屋根だけが 出現していた。
高架橋の高さの決め方は、もともとの中央線の軌道を生かしながら 電車を2階建てにするための「最低限」のはずだが、道路側の鋼管丸柱には 途中に繋ぎ梁が無く、高さを際だたせている。 H部は そのまま東京駅まで続いている。

H部 下部
遠く突き当たり部分が 工事中の東京駅。 高架橋をそこまで と考えると、約150mとなる。 左側 A部と一体になっている。

                   高架を走る 中央線           2012.1.30
山手線の内側から。


A 部分 4 線、 : 1910年(明治43年)呉服橋駅まで開通

『東京市街高架鉄道建築概要』の 市街線金杉橋銭瓶町間 線路平面図 (一部)
                   呉服橋↑                     東京駅
図の向きは本ホームページの進行方向に合わせて逆転してある。

この時点では まだ東京駅までしか開通していないが、神田方向から見ると、呉服橋を渡った後 各ホームへと分岐していく場所である。

『東京市街高架鉄道建築概要』の 東京駅平面図 (一部)
図の向きは本ホームページの進行方向に合わせて逆転してある。

上図は 呉服橋高架橋というよりは東京駅構内の平面図であるが、山手線の内側部分(部)に破線で「柱と円弧」が書かれている。
はじめは 擁壁の立面を表しているのかと思ったが、平面を表していることがわかった。 東京駅の有楽町側に、唯一 オリジナルが外から見える場所がある。

                 鍛冶橋寄高架橋 横           2012.1.30
山手線の内側、東京駅から南に 約150m。 左側のコンクリートは後から足された 「鍛冶橋寄高架橋」。 右のアーチがオリジナルと思われる 構造物で、つい最近に コンクリートで補強された。
よくよく見ると、壁が湾曲している! 土圧を受けるので、アーチダムのように平面的にもアーチ状にして、壁を薄くする工夫だ。 (カーソルを載せると 点線表示)


東京駅構内の話題だが、北通路拡張工事に伴って、このレンガ擁壁のオリジナルが 部分的に取り壊されているのを見ることができる。 A部オリジナルの話題として ここで取り上げる。

北通路 工事現場
丸の内北口をはいると、一段あがって通路となる。 これは 通路からホームへの階段を短くするためで、新橋・秋葉原・御徒町・神田 などが同じ構造だった。

工事現場はホームの北端だが、フェンスがあって どのホームからも穴の中を見ることはできない。 唯一、山手線内回り電車左側の窓から 一瞬だが取り壊し中の擁壁アーチが見える。

電車の窓から             2012.8.14.
前掲のレンガアーチ写真とは 反対側から見ているので、手前に湾曲した壁があったはずだ。 アーチ部分を取り壊し中。 次の写真は 部分拡大。

『東京市街高架鉄道建築概要』の 東京駅平面図 (一部)









山手線
内回り









神田→
前掲の図面と同じだが、写真と向きを合わせるために、右側を神田方向とした。
駅舎との位置関係から 印のスパンだと思うが、特定はできていない。


D 部分 新幹線 2線 : 1990年(平成2年)頃

言問橋から南下してきた「江戸通り」は 呉服橋架道橋で突き当たりとなる。

           (仮称)呉服橋高架橋 山手線の外側部分    2012.1.29
ここから先へは はいれない。



位 置 (終戦後の様子)
龍閑川               1947年(昭和22年)7月の空中写真/国土地理院
       神田駅                外濠                               東京駅

(仮称)呉服橋高架橋 データ
位 置: 千代田区丸の内一丁目
管理番号:
道路名:
線路の数: 合計は 分岐多数のため割愛
H: 2線: 中央線
A: 4線: 現在 山手線・京浜東北線
B: 2線: 現在 東北縦貫線の工事中
C: 2線: 現在は新幹線に
D: 4線: 東北新幹線
橋 長: 約 150 m
竣工年: A: 1910年(明治43年)9月竣工
B: 1925年(大正14年) 計6線に
C: 1956年(昭和31年)2線増線
D: 1990年(平成2年)頃 新幹線高架橋
   1997年(平成9年)頃 増線
H: 1995年(平成7年)完成
備 考: 当初は高架橋ではなく 築堤だった
名前の由来:  旧橋名・町名に由来する。

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