山手線 が 渡る橋 ・ くぐる橋
有楽町 → 新橋

8. 第1有楽町橋 高架橋

第1有楽町橋 高架橋下の店       2012.2.18
第一高架橋には 山手線の内側(皇居側)から外側(銀座側)に抜ける自由通路があり、山手線最古のレンガアーチの下で 頭がつかえそうになりながら、ビールを飲んだ。
現在は、耐震診断 あるいは補強のために、一時?閉店している店もある。

で囲われた範囲が 第1有楽町橋。 重複を避けるために、有楽町の名前の由来と 高架橋の構造 については、別項を参照のこと。
泰明小学校













↑  元は外濠  ↑
高架橋に、山手線の内側から 以下のような仮称を付ける。 


TX
 : 4線
 : 2線
 : 2線
 : 1909年(明治42年)12月 烏森-有楽町間 開業
 : 1942年(昭和17年)7月までに増線
 : 東海道新幹線1964年(昭和39年)開通



A 部分 : 電車線 と 旧東海道本線 計4線分 
   1909年(明治42年)烏森-有楽町間 開業

4線とも 昔のままで使われている 煉瓦造りの高架橋。 地盤沈下が激しい区域なので、昭和時代に補強がなされている。

新銭座−永楽町間 東京市街高架鉄道 

有楽町駅



『東京風景』1911年(明治44年)4月発行/国立国会図書館デジタルライブラリ より
有楽町まで開通したのが 1910年(明治43年)6月、呉服橋まで延長されたのが 同年9月。 東京駅が開業したのは 1914年(大正3年)なので、写真には 4線の高架橋のうち、まだ2線しか線路が敷かれていない。
中央に敷かれていた線路が、有楽町駅に向けて、ここで山手線の内側にシフトしている。
撮影位置の想定
1948年(昭和23年)3月の空中写真/国土地理院



有楽町駅




新橋駅
 晴海通り                              
写真サイズ 400 ×165 ドット


第1有楽町橋高架橋 北端        2012.4.2
第1有楽橋
架道橋





山手線の内側から。 北端は 晴海通りの拡張のために1スパンが削られている。 ここから新橋までの橋脚部分には、小さなアーチを重ねたデザインがなされている。 これも 円形のメダリオンと同じく、ドイツ ベルリンの市街線に使われていたデザインである。 
橋脚のデザイン

参考 : ベルリン Sバーン ヤノヴィツ駅
Wikipedia より

家康入府までは海だったこの地は、埋め立て地で非常に地盤が悪い。 施工時には地面を掘り下げ、基礎杭として松丸太を深くまで打ち込んである。
参考 : 旧 丸ビルに使われていた 松杭
新丸ビル竣工記念に配られたもの。 旧丸ビルは 1923年(大正12年)に竣工した。 杭の直径は約33センチ、斜めにカットされているため、左の断面は楕円形となっている。  ( 日本交通協会 所有 )

橋脚の模様部分は、少しでも躯体重量を軽減する事と、材料の節約のために穴が開いていたのだか、前掲写真の部分は後から塞がれたようだ。 基本設計を行った フランツ・バルツァーの論文にも登場しており、ほぼその通りに施工された。
Die Hochbahn von Tokio (1903) より
左は「グループ橋脚」、右が 通常の橋脚

本来は穴あき
開口部には簡単な鉄扉が付けられている。 アーチ部分は黒い煉瓦を交えて装飾されている。 白い部分は、1971年(昭和46年)に施工されたコンクリート補強。

有楽町駅方向を見る          2010.8.12
いつ取り付けられたのかわからないが、装飾付きの金物で支えられているのは保線通路。 竣工当時には無かった。

山手線の外側(この反対側)は、戦前に増設された T部、現東海道本線の高架橋が密着しているので、見ることができない。



T 部 2 線分 : 1942年(昭和17年)7月 竣工、現 東海道本線

T部はA部 と TX部に挟まれ、その立面(外観)はほとんど見えない。

T部の見える、唯一の場所         2013.3.29
トップに載せた東西通路。 ハンチ付きの梁がT部で、奥のアーチが A部。

上の写真の左下、赤い看板がある所で新橋方向を向くと、T部と新幹線高架下の店との間の「路地」が見える。

狭い路地             2013.3.21
新橋方向を見ている。 右側が 東海道線 T部の高架下。
手前は店の入口があまり無く、実際はもっと暗い。 奥の新橋側は 2013年に再整備されて、数多くの店が並んでいる。



TX 部分 : 東海道新幹線 2線 : 1964年(昭和39年)10月
     東京オリンピック開催に合わせて開通

山手線の外側            2013.3.29
連続した鉄桁連続橋梁だった新幹線部分が、ここから先はRC造の高架橋となる。 高架下の高さがあるために、入居している店舗は 二階建て。
午後4時、そろそろ開店の時間だ。 奥にそびえるのは帝国ホテル。
線路に沿った道はここまでで、T部の項に載せた 東西通路で、山手線の内側に出てしまう。
山手線の外側を歩くためには、一度戻って 迂回しなければならない。


あらためて 山手線の外側         2013.3.29
ここは 戦後まで、外濠があった場所。
泰明小学校

1948年(昭和23年)3月29日 米軍撮影の空中写真。 サイズ 192×300
新幹線 ●●も 首都高も外濠の上を通っている。 
1929年(昭和4年)にコンクリートで再建され、現在も現役の泰明小学校が、左下に写っている。





位 置
1948年(昭和23年)3月の空中写真/国土地理院
有楽町駅                               新橋駅
写真サイズ 400 ×135 ドット

第1有楽町橋 高架橋 データ
位 置: 千代田区有楽町二丁目
管理番号:
道路名:
線路の数: 8 線 (下記 A〜TX は仮の呼び名)
A: 4線: 京浜東北線、山手線
T: 2線: 東海道本線
TX: 2線: 東海道新幹線
橋 長: 山手線の内側で 約 193 m だった
アーチの数: A部 当初は 14
  晴海通り拡張のため 13、
  丸ノ内線工事のため 12 となる
竣工年: A: 1909年(明治42年)12月
         烏森-有楽町間 開業
T: 1942年(昭和17年)7月までに増線
TX: 1964年(昭和39年)開通
名前の由来: 江戸時代初期に 小田有楽斎の屋敷が付近にあったとされる事に由来する。

タイトルの地図について : 地図サイズ 299×94
明治42年(1909年)測図、 大正5年(1916年)第一回修正測図 1万分の1地図
「日本橋」に加筆            大日本帝国陸地測量部/国土地理院 発行

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