山手線 が 渡る橋 ・ くぐる橋
浜松町 → 田町

1. 浜松町高架橋

現在 北改札口は高架橋の中にある。駅改良工事が完成すると閉鎖され、高架橋の一部は取り壊されて歩道が広げられる。
高架橋は 浜松町架道橋 の橋台を兼ねているため、新橋・浜松町間の最後の項目「14. 浜松町架道橋」の内容と、いろいろ重複する部分がある。

写真A:高架橋の範囲       撮影は 2011.8.27.
黄色の枠内が高架橋の範囲。写真は、A部の第4線(京浜東北線南行き)の桁が移動される前の状態である。
北 口
山手線の内側から。ガード下の高架橋(橋台)の間からも出入りできる。
改札機の手前の部分
右側に改札機が見える。コンクリートの梁は穴を開けることができないので、後からの配管はすべて露出である。
自動改札機
奥の階段の手前までが高架橋で、柱は4スパン。乗降客が2方向から来るので、改札口が折れ曲がった形で並んでいる。このようなレイアウトは ほかの駅にはには無いだろう。
改札内部
東方向(海の方向)を見ていおり、左に改札口、右にホームへの階段。狭小ではないが、高層のオフィスビルが数多くできているので、通勤時にはさぞ混雑することだろう。



浜松町高架橋 の 歴史

■ 最初の鉄道:浜松町架道橋は踏切だったと考えられる
初期A部 :1線
:2線
:3線
:1872(明治5)年 旧新橋 - 横浜間 単線開業
:1876(明治9)年 旧新橋 - 品川間 複線化
:1899(明治32)年 旧新橋 - 品川間 3線化
■ 最初の架橋と浜松町駅の開業:桁は4線分
A部
:3線?
:4線?
:1909(明治42)年12月 品川-烏森間 開業
:1914(大正3)年12月 東京駅開業 4線開通
いつ4線化されたかがはっきりしない

写真B:初代 浜松町駅

『東京市街高架鐡道建築概要』より
現在の竹芝通りから南方向を見ている。ホームの西側(山手線の内側)第1線にも線路が敷かれており、電車が停車している。
『東京市街高架鐡道建築概要』の発行は 1914(大正3)年であり、その時までには電車線が複線になっていたことになる。1910 (明治43) 年には 呉服橋駅まで開通しているので、そのタイミングかもしれないが、正確な2線開通の時期はわからない。
本高架橋はまだ無いが、入口横の「レンガ壁」に注目。


 ■ 東海道線2線増線に伴う架道橋の架け替え
A部 :4線 :1937(昭和12)年 架け替え、浜松町高架橋の建設
T部 :2線 :1942(昭和17)年7月頃 新東海道線開通
写真C:新架道橋 と 浜松町高架橋 1941(昭和16)年の写真

架道橋の工事現場に掲示されていたもの。出典不明。
右側の柱が 浜松町高架橋の駅北口。およそ90年が経過している。

浜松町高架橋北側外観 (浜松町架道橋 橋台)
第4線
←北口
浜松町架道橋の下、駅側の歩道部分。今後 新駅舎完成後に1スパンほど撤去されて、歩道幅が倍増する予定。
T部の橋台はコンクリートの壁だったが、第4線の移設工事のために、ワイヤソーでカットされた(次の写真)。
切断されたT部の橋台 (浜松町高架橋の東側)
見えている桁は、2022年に移動された第4線の側径間。切断されたT部橋台の奥に、レンガの壁がある。
明治末?のレンガ壁
T部の橋台は台形のコンクリート。
レンガですぐに思いつくのは初代の駅の写真だ。
写真B 部分:再掲
4線分の築堤が行われたので、前掲写真の場所はこことは反対側(海側)の部分にあたると考えられる。
積み方が雑なようにも思えるが、浜松町高架橋建造時ならば、レンガではなくコンクリートの壁にしただろう。
ただ、レンガの角が欠けているものやモルタルが付着しているものが多いので、昭和初期の高架橋の工事の時に、解体した昔のレンガを再利用したものかもしれない。
排気口があるので、この壁の裏側は倉庫か何かだろう。



位 置

1947(昭和22)年8月の空中写真 / 国土地理院

浜松町 高架橋 データ
位 置: 港区海岸一丁目
線路の数: A:4線:京浜東北線、山手線
橋 長: 約 25 m
径間の数: 線路方向:4スパン
直交方向:6スパン、一部7スパン
竣工年: A:1937(昭和12)年 頃
名前の由来:  地名および駅名「浜松町」による。





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