山手線 が 渡る橋 ・くぐる橋
田 町 → 品 川
− 架道橋 (ガード) ・跨線橋 − 1909(明治42)年測図/日本帝國陸地測量部/国土地理院

2. 旧 田町跨線線路橋
2022年2月 掲載

昭和の初めに建設され、100年近くの歴史に幕を閉じて解体された、長大な線路橋。名称は未確認だが、当時の田町六丁目から九丁目にかけて造られたので、ほぼ間違いない。

山手線の内側から    特記無き写真は 2011.10.4.
田町(北)方向を見ている。単線で京浜東北線北行き専用。
左奥、緑色の跨線橋を中心に、前後に緩やかな勾配の高架橋と築堤部がある。もっと急勾配にして、短くすることができたのではないか? 当時の電車の性能か?

東側 遠景             2014.11.7.
遠くからは、水平な高架橋が続いているように見える。


できるだけ田町側から近景写真を載せていく。

田町側の橋脚 第3径間の桁

右上の緑色が跨線橋の本体。

3径間の跨線橋

桁は2脚の鋼製門型ラーメンに載せられている。桁同士が繋がれているかどうかは不明。山手線は橋脚の間を通過する。
門型鋼製ラーメン 削られた橋台

車両幅

が10センチ広げられた時に削られたもの。
緩勾配

後ろの操車場の車両が水平。それとと較べるといかに緩い勾配であるかがわかる。
外回り電車が通過 削られた橋台
橋台部分を拡大してみると、削られた量は20センチでは済まないように見える。
品川寄りの築堤部
手前から、垂直のコンクリート擁壁による築堤、3径間の高輪橋梁、13本の橋脚と続く。
電車の右端が1号車なので、写っている電車の長さは約190m。


レーシングされたアングルトラスの架線柱
この柱は大正末あるいは昭和初めの、建設当初のものだったと考えている。その根拠は印の部分のデザインである。
ここでは腕木が片側だけという違いがあるが、かつて東京駅や新橋駅〈ともに1914(大正3)年開業〉に残っていた架線柱と同じ、半円形のデザインが用いられているのがその理由である。
本跨線橋は両駅の約10年後の建設であるから、建設当初のものと考えられ、100年近く使われたことになる。
東京駅 新橋駅
東京駅は当初の第二ホーム、新橋駅は2線の山手線の間に建っていた。撮影はともに 2012.2.10。



跨線線路橋 の歴史

田町-高輪GW 間の歴史は各項で重複するので、本項では明治時代の多くを省略する。

1910(明治43)年:品川駅改良・貨物操車場新設工事 〜1921(大正10)年
1910(明治43)年6月:有楽町駅開業
1914(大正3)年12月:東京駅開業、新橋駅レンガ駅舎完成

地図A 1916(大正5)年:埋め立て後

1909(明治42)年測図 1916(大正5)年第一回修正測圖 三田 / 大日本帝国陸地測量部 / 国土地理院 に加筆
広い範囲が埋め立てられた。いくつかの河岸(かし)は残されているものの 築堤はほぼ埋められ、海側の緩い傾斜の石垣はすべて姿を消した。役目を果たしたのは 約40年間だった。

.1918(大正7)年2月:田町 - 品川間の電車線 複々線化
この間の山手・京浜電車を分離して、計6線となった。
.1919(大正8)年:山手線「の」の字運転
中野 →新宿-四谷-東京-品川-新宿-池袋-田端→ 上野

.1925(大正14)年3月:山手線の複々線化(電車と貨物の分離)が完了
.1925(大正14)年11月:山手線 環状運転開始

地図B 1925年(大正14)年:操車場

1921(大正10)年第二回修正測圖 大正14年部分修正 / 三田 / 大日本帝国陸地測量部 / 国土地理院 に加筆
地図Aから12年後。海側の操車場部分に多くの線路が増えている。乗り越し線はまだできていない。

地図C 1928(昭和3)年:乗越線の建設後

1909(明治42)年測図 1928(昭和3)年第三回修正測圖 三田 / 大日本帝国陸地測量部 / 国土地理院 に加筆
山手線2線を乗り越す 跨線線路橋が建設されている。
このため、
1925(大正14)年から 1928(昭和3)年の4年間
に建設されたことになる。
田町駅以北での方向別運転のためだが、田町 - 田端間でそれが実現するのは、1956(昭和31)年である。
線路の陸側の河岸の大半が埋められ、跨線橋部分では元の河岸の上に湾曲する線路が造られた。海側では車両基地が拡大され、東京湾がさらに埋め立てられている(地図の南端)。

1928(昭和3)年12月:京浜電車が「京浜東北線」と改称
それまで桜木町-上野間だったものが、横浜-赤羽間となる。

1937(昭和12)年10月:品川客貨車操車場の新設工事開始
二年後に一部の使用が開始される。


仮称 田町跨線線路橋 データ
位 置: 港区芝浦四丁目
管理番号:  −
線路数: 山手線 2線
くぐる
 線路の数:
京浜東北線北行き 1線
竣工年: 1925(大正14)年から
 1928(昭和3)年の4年間の間
仮名の由来:  当時の地名 田町 による





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