ボダイジュ 菩提樹
Tilia miqueliana Maxim. (1840)
科 名 : シナノキ科 Tiliaceae
APG分類:  アオイ科
属 名 : シナノキ属 Tilia Linn. (1737)
中国名: 南京椴 nan jing duan
原産地 : 中国 (案徽省、広東省、江蘇省、江西省、浙江省 など)、朝鮮半島
用 途 : 寺院などに植えられる。


精子発見のイチョウの裏にあるボダイジュ並木。私としては 「シナノキ並木」にして欲しかったのだが・・・・。

シューベルトの「冬の旅」の中に Der LindenBaum という有名な曲があるし、とにかく 「菩提 : 仏の悟り、死後の冥福」 という言葉の重み、「ボダイジュ」という響きにはかなわない。

        ボダイジュ並木   2011.3.29
モミジバスズカケノキ       ボダイジュ@ 根元のひこばえ
中央の黒い二股の木も菩提樹で、ともに 高さ 約15m。両方の木ともに古くなってきているためか、根元から細かな枝がたくさん出ている。
ホダイジュ並木は スズカケ通りでもある。

              新 葉        2011.4.14
葉を包んでいた茶色の托葉はすぐに落ちる。 枝に毛があるのがボダイジュの特徴で、シナノキには毛がない。

        葉表        つぼみが付いた枝      葉裏     2008.6.1
ハート型の葉のほとんどが 左右非対称の形をしている。葉の裏には星状毛(1か所から多方向に枝分かれして放射状に生える毛)があり、白く見える。

花序にはシナノキ科の特徴である「ヘラ型」の総苞が付く。

           木の下から並木の北方向を見る     2008.6.1

              花の様子       2007.6.16
葉の下にあるために この写真の色は実物より濃いが、花弁はもともと黄色い。

 
ボダイジュの 位 置
写真@ : C 9 a 精子発見のイチョウの裏側
C 8 c @の木の先
写真A : C 8 a さらに奥

名前の由来  ボダイジュ Tilia miqueliana
 ボダイジュ 菩提樹 : 仏教の”悟り”から
「菩提」はサンスクリット語のボーディ "bodhi"の音を漢字にしたもので、真理に対する目覚め、すなわち悟りを意味する。

これはサンスクリット語のブッドフ "budh"「目覚める」から作られた言葉で、「目覚めた者」が「ブッダ」である。 そのため、紀元前5世紀頃に悟りを開いたゴータマ・シッダールタは ゴータマ・ブッダ Buddha と呼ばれるようになった。

その「仏陀」が悟りを開いたのはインド、ブッダガヤの地の「インドボダイジュ Ficus religiosa の樹の下であったといわれており、その木を「悟りの木」の意味で bodhi-druma 菩提樹と呼ぶようになった。

「インドボダイジュ」は仏教の三霊樹のひとつとなっている。
インドボダイジュの葉 幹(沖縄)

葉の先端が細く長くとがる形が特徴。関東地方では温室栽培となる
沖縄で地植えされた
インドボダイジュ

日本のボダイジュは 代用品
上記の説明でわかるように、インドボダイジュこそが 「ボダイジュ」と呼ぶべき木である。

ブッダの教えはインド全域に広まった後、紀元前3世紀に南のスリランカへ、また西域に伝えられたものが1世紀頃に中国に伝えられた。
恐らく 熱帯・亜熱帯では、仏教と一緒に 聖樹であるインドボダイジュも「ボダイジュ」として伝えられたものと思う。
現に、インドボダイジュの中国名は「菩提樹」である。

しかし中国の中でも乾燥、あるいは気温の低い地域では、熱帯性のインドボダイジュは育たない。そこで「葉の形」が似ているシナノキ科の植物で代用され、寺などに植えられた。
それが 本種、和名「ボダイジュ」である。

仏教が朝鮮を経由して日本に伝えられたのは6世紀であるが、代用品の聖樹「ボダイジュ」の方はずっと遅く、1168年に僧 栄西が中国から持ち帰ったとされている。

ところが、熱帯植物である「インドボダイジュ」が伝えられたのはもっと後だったために、時すでに遅し。本家「ボダイジュ」の名を名乗ることができずに「インド」を付けたというわけである。
ホンボダイジュ」 あるは 「シャカボダイジュ」でもよかった・・・。

インドボダイジュの葉 ボダイジュの葉
三角の形が ちょっとは似ているかもしれない。

日本には日本原産の「シナノキ」があったのだから、ボダイジュを、「ナンキンシナノキ」 あるいは「シナ(支那)シナノキ」 とでも名付けておけば、あとで「インドボダイジュ」を正統な「ボダイジュ」とすることができた・・・・。

しかし、代用品とはいえ「聖樹 菩提樹」であるから、栄西が持ち帰った時に「ボダイジュ」以外の名前にすることなどは、考えられなかったのだろう。

今更、名前を変更することはできない。すでに知れ渡った名前を無理に変えると、いろいろと不具合が生じる。

学名でも「保留名」がこの考え方で、”正式な名前がほかにあることがわかっても、昔の名前を使い続ける” というものである。

 種小名 miqueliana : 人名による
19世紀オランダの植物学者、ミクエル(1811-1871)を顕彰したもの。
ミクエルは20代の若さで ロッテルダム植物園の園長となり、アムステルダム、ユトレヒト植物園園長を歴任した。
自身は遠方への採取旅行には出かけなかったが、派遣員を遣わして オーストラリアや東インドを中心に、その植生を研究した。
写真はともに Wikipediaより
命名者はロシアの植物学者 マキシモヴィッチ(1827-1891)で、ミクエルよりも16歳若い。
幕末の1860年(万延元年)から 62年にかけて日本にも訪れ、植物調査を行った。
ミクエルとの関係は不明だが、1852年からは サンクトペテルブルグ植物園に勤め、後に園長になっているので、親交があったのではないだろうか。

 シナノキ属 Tilia 属 : シナノキ科 Tiliaceae
ヘラノキの、シナノキの説明を参照のこと。

 
 トピックス

仏教の三聖木
仏教の開祖ブッダの「生・悟り・死」に関わりのある3つの木、
「ムユウジュ」、「インドボダイジュ」、「シャラソウジュ」
を 三聖木という。

・ ムユウジュ 無憂樹 : この木の下で生まれた
Saraca indica Linn. (1767)
ジャケツイバラ科ムユウジュ属。 原産地はインドからミャンマー。

紀元前5世紀(一説に紀元前6世紀)にサーキヤ(Sakiya)族の国王の長男として生まれたゴータマ・シッダールタ、後のブッタ。
伝えによると、懐妊中の母マーヤーが現在のネパール国にあるルンビニーで、この木の花を見て右手でひと枝折ろうとした時に、右脇腹から生まれたという。
ムユウジュ ムユウジュ属の一種
名札がなくて種は不明
 
もとの名を「アショカジュ」または「アシュカジュ」という。 asoka はサンスクリット語で「憂いのない」という意味であるところから、無憂樹と漢訳された。和名はその音読みである。

なお、無憂樹の学名は Saraca asoca W. J. Wilde (1968) だという説も多い。

・ ボダイジュ菩提樹(和名:インドボダイジュ):
                   悟りを開いた
当時の風習によって16歳で結婚し、豊かで平穏なくらしをしていたが、29歳の時に一切を捨てて出家する。激しい苦行を行ったが目的は達せられず、ブッダガヤの「インドボダイジュ」の下に座って思索にふけり、ついに悟りを開いた。

Ficus religiosa Linn. (1753)  クワ科 イチジク属
  本項 菩提樹の由来 参照。

・ シャラソウジュ 沙羅双樹 : 80歳で入滅した
悟りを開いたあとの45年間、ブッダはインド各地で教えを説いて廻ったが、ついに クシナガラの郊外で入滅する。
そこには東西南北に2本ずつのシャラ(沙羅樹)が生えていたということから、この木を「沙羅双樹」と呼ぶようになった。

シャラはサンスクリット語のシャーラ salaで、優れた木、堅固な木の意味である。沙羅はその音を漢字に写したもの。
サラソウジュ、シャラノキ などとも呼ばれる。
  Shorea robusta Gaertn. f. (1805) 
         フタバガキ科シャラソウジュ属
私は日本の温室でしか見たことがない。
シャラソウジュ

 
15cm程の幹だが、割れ肌となっている。
新宿御苑 温室
下から見上げた葉 葉のアップ

 
なお、日本で一般に「シャラノキ」と呼んで寺院に植えられているものは、ツバキ科の「ナツツバキ」であり、これまた シャラソウジュとは全くの別物である。

温帯地域ではインド原産のシャラソウジュが育たないため、ボダイジュの時と同じように、代用品としてナツツバキが選ばれたのかも知れないが、外見上の共通点はまったく見あたらない。
ナツツバキ はげ落ちる幹

 
小石川植物園の樹木−植物名の由来− 高橋俊一 五十音順索引へ