カンヒザクラ 寒緋桜
Prunus campanulata Maxim. (1883)
科 名: バラ科 Rosaceae
属 名: サクラ属 Prunus
別 名: ヒカンザクラ 緋寒桜、タイワンザクラ
植物園の
 名札:
Cerasus campanulata (Maxim.)
  Masam. et S. Suzuki
   → 命名物語 参照
原産地: 中国南部、台湾、ベトナム
中国名: 鐘花櫻桃 zhong hua ying tao
用 途: 庭木
備 考: 学名は GRIN によるもの。
沖縄のものは栽培されたものではないかという疑いがある。本種との種間雑種や園芸品種にはピンク色のものが多い。
タイトル欄が .青い写真. は 10年以上前の撮影を示す。

サクラの学名は 各所、各人でまったく違う。
本ホームページでは、米国農務省のデータベース
『GRIN / Germplasm Resources Infor. Network』の学名で統一している。

最近(2022年あたりから)、植物園のサクラ属の名札が Prunus から Cerasus に、次々と変更された。



①:植栽場所      2012.3.27.
桜並木のメインの通り(20番通り)から振り返ったところ。
10年前の写真で、見えている屋根は今は取り壊されてしまった作業機材置き場。本館から曲がって柴田記念館へと行く道の右側にある。
樹 形           2023.3.9.
機材置き場から東を見ている。右下が柴田記念館。現在の樹高は 9m弱。
①:幹の様子
柵内に入れないので目視だが、地際でふたつに分かれたそれぞれの太さは、約 40cm と 30cm。
樹皮は細かな突起で ざらざらで、苔むしている。

②:本館裏手のカンヒ    2011.3.13.
右側のピンクの花がカンヒザクラ。中央の大きな木はオオヤマザクラ。


開きだした花芽      2015.2.15.
2月上旬から芽が動き出す。前年枝の葉腋に多数の純正花芽がつく。通常は頂芽が葉芽。
蕾 から 開花へ      2012.3.22.
短い花梗の先に数個の小花が散形につく。花被はすべて真っ赤。当然ながら、開花は年によって早い遅いがある。
蕾 と 満開       2023.3.9.
また 同じ枝でも、蕾ばかりの花序と満開のものが同居する。
下から        2009.2.21.
花は どれも完全に下を向く。この年はことのほか早かった。
花弁の形 花の断面
いずれも 落ちていた花を使ったもの。結実しないと小花柄ごと落花する。花弁の先にははっきりとした切れ込みがある。
花弁のつく位置は右写真の辺りなので、子房を囲む細長い筒は萼筒ではなく、正確には「花托筒」となる。
花托:ひとつの花のなかで、花葉(萼片・花弁・雄しべ・心皮)のつく部分。


開 葉          2023.3.21.
花期の終盤には頂芽が伸び出す。幼葉は銅色。成熟した枝では伸びは少ない。小花が散形についているのがわかる。
受精した花?は花冠だけが落ち、緑の子房が膨らみかけるが、まもなくほとんどが脱落してしまう。
成 葉        2025.4.6.
ただし まだ伸びきっていない。
頂芽の基部
花外蜜線
蜜線はバラ科の葉の特徴。托葉は刺状でまるで龍の角か髭?のようだ>


紅 葉        2012.11.14.
きれいに紅葉する。
左:ソメイヨシノ と 右:カンヒザクラ
カンヒザクラは 10cm程度で、ソメイよりも小形で細長い。

 
カンヒザクラ の 位置
写真①: C13 d 機材置き場 横
写真②: E13 a 本館 裏手


名前の由来 カンヒザクラ Prunus campanulata
 カンヒザクラ:寒緋桜
まだ寒い時期に咲く緋色のサクラで、ヒカンザクラ 緋寒桜とも呼ばれるが、ヒガンザクラ と紛らわしいために、いわゆる標準和名では「カンヒザクラ」とされている。
 種小名 campanulata:鐘形の
下向きに半開きに咲く花を鐘に例えたもの。
種小名が campanula~ の植物は無数にある。
落ちた花の写真でわかるように本種は離弁花だが、キキョウ科 ホタルブクロ属 Campanula属 は合弁花であるために、花冠の形は大いに異なる。
ヤマホタルブクロ Wikiより ハタザオキキョウ

Campanula punclata var. hondoensis

C. rapunculoides

 Prunus サクラ属:スモモ から
ラテン語のスモモ prunum(『植物学名辞典/牧野』によると proumne)に由来する。リンネ以前に、トゥルヌフォール(1656-1708)が命名していた。
「サクラ」の由来は、別項 サクラ・コレクション を参照の事。

 
カンヒザクラ の命名物語

は正名、 は異名
  図版は、Biodiversity Heritage Library より

学 名 命名者 属名・備考 など
1825  Prunus cerasoides  D. ドン  ヒマラヤザクラ
David Don (1799–1841) は兄の G. Don (1798–1856) とともに、スコットランドの植物学者。
ヒマラヤザクラの記載は『Prodromus florae Nepalensis ネパール植物相の先駆者(使者)』で、カルカッタ植物園の植物学者フランシス・ハミルトンとナサニエル・ワォーリッチが収集したコレクションを基に編纂したもの。
1883  Prunus campanulata  マキシモヴィッチ  本種の正名
Carl Johann Maximowicz (1827-1891) はロシアの植物学者。アムール川流域の植物調査の後、1860年から1864年2月まで日本に滞在して、日本の植物相調査を行った。滞在先は全国各地にわたった。
牧野富太郎を初めとして、日本の植物学者の多くが採集した標本をマキシモヴィッチの元に送り、種の同定を依頼していた。
Maximowicz
本種を記載したのは サンクトペテルブルク帝国科学アカデミーの機関誌 第11巻で、「新しいアジアの植物の診断(分析)」という論文だった。本文によると「福建省で標本を採取したのは、ドイツの軍医で中国語の通訳者 de Grijs (1832-1902)。日本では大阪で栽培されていて、3月中旬に開花する」とある。
学 名 命名者
1917  Prunus cerasoides var. campanulata  小泉源一
日本植物分類学会を創立した植物学者 小泉源一が記載したのは、『東京帝国大学理学部紀要』第34巻に寄せた論文「日本のバラ科の概観」で、4亜科、40属、244種の詳細な記載があり、300ページにもなる。
カンヒザクラの自生地は 琉球本島読谷と台湾で、「Distrib. Sp. 分布地?」として、中国南部・西部とヒマラヤ、ビルマが挙がっている。
この変種名は、過去に小石川植物園で使われていた。
撮影:2000.3.18
学 名 命名者 属名・備考 など
1936  Cerasus campanulata  正宗 & 鈴木  植物園の現在の名札
金沢大学理学部教授の正宗厳敬 (1899-1993) と 台湾に移住した植物学者 鈴木重良 (1894-1937) によって、『台北農林学会報』第1巻に記載された。②を Cerasus属としたもの。
現在の名札はこの学名。
1957  Cerasus campanulata  ワシリエワ  GRINでの異名
A.N. Vasílieva (1928- ) はロシアの植物学者。Wikipediaによると、アブラナ科とアカザ科の専門家であり、分子マーカーと系統学に重点を置いている、とのこと。詳細は不明。

小石川植物園の樹木 -植物名の由来- 高橋俊一 五十音順索引へ