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| | 『植物の種』以降の出版、記載た | 基準日:1753年5月1日 | |
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年 |
学 名 |
命名者 |
備 考 |
❶ |
1753 |
Prunus |
リンネ以前に
使われていた |
GRIN での正名 |
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❷ |
1754 |
Cerasus |
ミラー |
GRINではPrunus の異名 |
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『The gardeners dictionary』で 19種を取りあげているが、もっぱら食用とする果実に興味があって、花がきれいな種についての記述は少ない。 |
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年 |
学 名 |
命名者 |
備 考 |
① |
1830 |
Prunus serrulata |
リンドリー |
八重のピンク |
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| John Lindley (1799-1865) はイギリスの植物学者、園芸家、蘭の研究家。父親の果樹園を手伝っていたが、フッカーの知己を得、さらに植物学者のバンクスを紹介されてその助手となった。その後、生涯に多くの著作・園芸書を著した。①を記載したのは
ロンドン園芸協会の機関誌『Transactions of the Horticultural Society of London』第7巻 238ページ。 | Lindley |  |

以下 略
これは、1825年5月からの一年間に園芸協会の庭で咲いた、新しい植物あるいは貴重な植物についての「年間開花報告」の中のひとつである。 リンドリーの本文は 以下のようになる。 |
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この種は 1822年(江戸時代後期 文政2年) にリーブス氏によって中国から協会に Yung-to という名前で送られた。また、同じ年にサミュエル・ブルックス氏によっても輸入された。通常はダブル チャイニーズ チェリーという名前で知られている。これは美しい植物で普通のチェリーに似ているが、葉の輪郭、表面および、非常に細かく剛毛のように尖っている鋸歯が異なる。全体的な外観では、葉が特に粗野である。
花は 4 月に数多く咲き、透明な白色で花びらは多数、5角形または 5 次元の配置を維持するように並ぶ。屋外で咲くと美しいピンク色になる。 (
中略 )
これは私が知る限り最も観賞価値の高い 丈夫な植物の 1 つで、一般に栽培されている八重桜よりもはるかに美しいものである。 |
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この記述では「葉の鋸歯が目立ち、ピンクの八重咲き」というだけで、具体的にどんな花を咲かせる木なのか見当が付かない。 |
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なお この文章の公表は 1828年で、それが 1830年に出版されたもの。 |
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『GRIN』や『flora of China』には P. serrulata が登録されていて、その産地は中国・朝鮮半島と 日本 も含まれているのだが、日本の事典類にはこの学名の種は見あたらない。 |
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年 |
学 名 |
命名者 |
備 考 |
② |
1830 |
Cerasus serrulata |
G. Don |
ラウドン刊行の本で |
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George Don (1798–1856) はスコットランド出身の植物学者 および 植物収集家。エジンバラ植物園やチェルシー・ガーデンに勤め、英国園芸協会によって、ブラジル・西インド・シリアレオネの植物採取を行った。多くの新種を命名した。弟に植物学者の
D. Don がいる。 |
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『Loudon's Hortus britannicus』に C. serrulata を一覧表の形で出版したのはイギリスの造園家 ラウドン:John Claudius Loudon (1783- 1843) だが、その前書きには「第1部
リンネの分類法 はすべて G. Don氏 の研究(作業)による」と書かれているために、命名者は Don とされている。 |
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記載内容は、英名:serrulata-leaved (cherry)、落葉低木、Flame(霜よけ?)、鑑賞樹、樹高4m、開花4・5月、花色
白、原産地 中国、導入時期 1822年、〈 繁殖 接ぎ木、土壌 通常の庭土〉 である。 |
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同じ 1830年の出版なのに 参照文献に①の記載があるのは、それ以前に記事が公表されていたためと思われる。 |
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| 年 | 学 名 | 命名者 | 備 考 |
③ |
1872 |
Cerasus lannesiana |
キャリエール |
一重の白花 |
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| Élie-Abel Carrière (1818–1896) はフランスの植物学者で、おもにパリで活躍した。新種を含む多くの針葉樹を記載し、新たに ツガ属・ユサン属・トガサワラ属をたてた。また 園芸の分野でも数多くの著作を残した。
本種の記載は『Revue Horticole (Paris)』第44巻、198 ページ。 なお、Carrière の読み方が違っているかもしれない。 | Carrière |  |

後 略
冒頭の部分を訳してみると、
「この種は、世の中で最も美しい種の一つであり、私たちはブローニュの森植物園で花を見る機会があった。それは、1870年に モンテベロのランヌ氏によって日本から送られたもの。」とある。 |
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上記から、種小名は ランヌ氏を顕彰したものだとわかるが、「Montebello の M. Lannes 氏」については調べが付かない。
1870年といえば 明治3年、植物を移入するのが仕事だとすれば、園芸家かプラントハンターだろう。 |
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また 植物学的な記述は少なく、花に関しては「長い花柄で、散形花序のように結合しており、その枝分かれには有鋸歯の托葉がある。花は美しい淡いピンク色の蕾、白ピンクの糸が入る。4月に咲き、一重で幅3~4センチ。」とあるくらいで、図版が無いためにどんな桜なのか見当が付かなかった。しかし、翌1873年版にカラー図版が載っていた。 |
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③ |
1873 |
Cerasus lannesiana |
キャリエール |
同誌による続報 |
b |
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『Revue Horticole (Paris)』第45巻、Anne 1873、351 ページ。
図版が変色しているので、色については参考程度となろう。
この号の説明文の主旨は、
「優れた観賞用植物だが、成長した果実が半分ほど落ちてしまうので、果樹の位置付けにはならないだろう」で、育種家としての関心が勝っている。
一重で 花弁数はすべて5枚。 |
Cerasus lannesiana |  |
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『日本の桜』勝木俊雄 / 学習研究社 (2001)、『APG 原色樹木大図鑑』邑田・米倉 監修 / 北隆館 (2016) は、C. lannesiana をサトザクラ(グループ)として採用している。 |
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| 年 | 学 名 | 命名者 | 属名・備考 など |
④ | 1916 |
Prunus lannesiana |
ウィルソン |
ヒトエザクラ、白 |
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| Ernest Henry Wilson(1876–1930)は イギリスのプラントハンター。約2,000種のアジアの植物を ヨーロッパ、アメリカ合衆国に紹介した。
アジア植物の調査・採集を7回ほど行い、6回目には日本を訪れ(1911- 16)、屋久杉の切り株「ウィルソン株」を調査して西欧に紹介したことでも知られる。晩年には、ハーバード大学アーノルド樹木園の園長を務めた。残念なことに、若くして交通事故で亡くなった。 | ウィルソン |  |
本種を記載したのは『The cherries of Japan』の43ページ~。 |

後 略 学名のあとに n. comb. とあるのは「new combination」で、既存の属名と種小名を組み合わせて、ウィルソンが新しい学名を付けたことを示している。冒頭の属性の記述は簡潔なもの。
これまでに出版された文献が多数並んでいる。ウィルソンは5年あまり滞在して各地で観察を行っており、本種の観察は1914年で、ともに栽培されていたものだが、本州の
駿河御殿場近郊の二の岡、下野日光の中善寺 を挙げている。和名は「ヒトエザクラ」。 | |
ウィルソンは P. lannesiana を「サトザクラ グループ」として捉えており、続けて同ページに その代表とする品種 P. lannesiana f. albida を挙げ、写真も掲載している。 |

中 略
花は一重で白。
多数の文献(異名)が並び、その観察地の数は驚くほど多くて「小石川植物園」も含まれ(次図 緑の下線)、1914(大正3)年に4回訪れて観察している。講師となった牧野に会っているのでは?
ウィルソンはこの品種を、C. lannesiana やその他多くの八重桜の親木と記し、また「日本の植物学者によると、この品種は伊豆大島固有のものと考えられており、手元のコレクションにも大島からのものがいくつもある」と書いている。 |
P. lannesiana f. albida |
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しかし、この品種には和名が書かれていない。 |
「P. lannesiana」の項にはこのほかに、47種もの「サトザクラ」が記載されており、すべてを各地で観察していて、荒川堤での観察も多い。'御衣黄' や '鬱金'、奈良時代から知られているという '不断桜' まで何でもござれで、100年前なのだから驚きである。さすがウィルソン。 |
GRIN では P. lannesiana は、Prunus serrulata var. lannesiana の異名となっている。 |
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年 |
学 名 |
命名者 |
⑤ |
1928 |
Prunus serrulata var. lannesiana |
牧野富太郎 |
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牧野富太郎 (1862-1957) は幕末生まれの 日本の植物学者。
⑤を掲載した『植物研究雑誌』は、1916(大正5)年に個人で発行を始めたものだが 一時休刊後、1926(大正15)年に津村氏(津村順天堂)の援助を得て復刊した。 第5巻の英語版に載っていた。 |

和名は サトザクラ で、命名者は 植物病理学者・本草学者の 白井光太郎 (1863-1932) である。
そして続けて無数のサトザクラが列記されている。すべてに命名者が書かれており、ここでも「博覧」ぶりが発揮されている。 |
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