サトザクラ ' ニシナザオウ 仁科蔵王 '
Prunus serrulata var. lannesiana
又は Prunus Sato-zakura Group
' Nishina Zaou '
科 名 : バラ科 Rosaceae
属 名 : サクラ属 Prunus
園の名札: Cerasus Sato-zakura Groupe
        'Nishina Zaou'
原産地 :  -(園芸品種)
備 考 : 人工的に作出された品種。

サクラの学名は 各所、各人でまったく違う。サクラ属に関しても、米国農務省のデータベース『 GRIN*』の学名で統一する。
*):Germplasm Resources Infor. Network


仁科蔵王は、緑がかった花のサトザクラ「御衣黄 ぎょいこう」に、理化学研究所の加速器「リングサイクロトロン」で重イオンビームを照射して突然変異を誘発させて作りだしたもので、大型で黄色い花が特徴。共同開発者の「JFC 石井農場」を通じて、2008年に植物園に寄贈された。
園の説明板 および 理研のホームページを参考にした。

植えられた時は幼木だったが、15年以上経って立派になった。

樹 形        2010.9.15.
2012.7.4
2013.6.18
2017.4.13 2021.12.11
初めはなかなか大きくならなかったが、最近の成長は著しい。
2022.4.12 2024.12.28


花の様子
理研のホームページでは「黄色ピンクのふちに明るい黄緑色の筋が入り、咲き始めは淡い黄緑色白色で、終わりの頃には淡い黄ピンクが広がる」とある。
実際の花の状態は 年や開花からの経過日数、枝によっても様々で、以下はすべて小石川の同一個体のものである。
咲き始め       2013.4.5.
蕾や半開きのものがある。
緑の筋の多いもの     2017.4.13.
右に 芯がピンクがかったものも。新葉は濃い錆び色。
周囲がピンクのもの     2011.4.17.
葉が成長して緑色になってくる。
中央のピンクが筋状のもの   2022.4.12.

これは、元になった「御衣黄 ぎょいこう」の性質に拠る。
参考:御衣黄 新宿御苑            2009.4.18.
御衣黄 新宿御苑  2009.4.18. 御衣黄 多摩森林科学園 2007.4.15.
多摩のものは極端な黄緑色。出葉時の赤い葉は共通している。
御衣黄 の花のサイズを測っていないので、仁科蔵王が大型かどうかを確かめていない。

花 序        2009.4.3.
植えられた翌年から立派に咲いていた。低出葉にも托葉がある。小苞には葉と同様の細長い鋸歯があるが、萼には無い。


 
仁科蔵王 の 位置

名前の由来 ニシナザオウ 仁科蔵王

 和名 仁科蔵王:
「仁科蔵王」は、独立行政法人理化学研究所と 石井重久氏との共同育成品種。
「仁科」は 理化学研究所の加速器の父、仁科芳雄 博士(1890-1951) を顕彰したもの。
仁科氏は原子核物理のパイオニアで、1937年にわが国第1号(世界で第2号)のサイクロトロンを建設。原子核・素粒子研究の基礎を築いたばかりでなく、放射性同位元素(ラジオアイソトープ) を医学、生物学など幅広い分野へ応用するための先駆的な研究を指導した。1946年に文化勲章を受賞。博士のもとには朝永振一郎や湯川秀樹など、多くの研究者が集ったそうだ。
参考:理研の仁科加速器科学研究センターのホームページ
「蔵王」は、仁科加速器研究センターで重イオンビームを照射したあと、石井重久氏が主催する Japan Flower Culture 石井農場(当時山形市) に送られ、山形蔵王インターチェンジのすぐ近くの畑で、蔵王ダムから流れる水で育てられたことにちなむ。
命名者は 当時の理研理事長 野依(のより)良治博士。
JFC石井農場のホームページ より
 学名 Prunus serrulata var. lannesiana 'Nishina Zaou'
米国農務省のデータベース『GRIN』での「サトザクラ」の学名 Prunus serrulata の変種。
では Prunus serrulata は何かを知りたいところだが、GRIN の同項に和名は載っておらず、今のところわからない。自生地は、日本と朝鮮半島や中国となっている。

サトザクラ の学名
桜 は 桜 を踏まえた名称である。広義のサトザクラは「サクラの栽培品種」を指し、山桜性・大山桜性・里桜性・彼岸桜性に大別されるという。
他方 狭義のサトザクラは、オオシマザクラ系の園芸品種とする考えがあり、学名は「Prunus lannesiana '品種名'」あるいは「Cerasus lannesiana '品種名'」である。これは、それらがオオシマザクラ「旧名 P. lannesiana var. speciosa」などとの複雑な交配の結果に生み出されたと考えられているため。
さらに 最近付け直された植物園の名札では、「Cerasus Sato- zakura Groupe '品種名'」と変わり、GRIN でも「 (Prunus Sato-zakura Group) 」が付加されている。
これは、サトザクラの出自が複雑・曖昧なために、出自の追求が難しいせいかもしれない。
それにしても、元となる Prunus lannesiana が何なのか、さらに Prunus serrulata も含めて、命名の経緯を調べてみた。


 
Prunus serrulata var. lannesiana の命名物語

は正名、 は異名
  肖像写真は Wikipediaより
  図版は主に、Biodiversity Heritage Library より


 学名の出発点『植物の種』(1753) 以前の記載  正名・異名の対象外
1830
当然ながら『植物の種』以前にも、属名(に準ずるものとして) Prunus はあったが、Cerasus が多く使われ、ほかに CerasiCerasoPadusPrunaLaurocerasus などがあった。
リンネの『植物の属』(1737) には Cerasusu が入っていたが、『植物の種』ではこれらをすべて Prunus とし、Cerasusu は用いなかった。

『植物の種』以降の出版、記載  基準日:1753年5月1日
様々な形で記載されてきた植物の名前を「属名と種小名」で表す二名法は一部で以前から使われていたが、リンネが『植物の種』で記載の全ての種についてこれを定めたことで、後に学名の出発点として選ばれた。
学 名 命名者 備 考
1753  Prunus  リンネ以前に
  使われていた
 GRIN での正名
『植物の種』には、10種+14変種を記載。
1754  Cerasus  ミラー  GRINではPrunus の異名
『The gardeners dictionary』で 19種を取りあげているが、もっぱら食用とする果実に興味があって、花がきれいな種についての記述は少ない。
学 名 命名者 備 考
1830  Prunus serrulata  リンドリー  八重のピンク
John Lindley (1799-1865) はイギリスの植物学者、園芸家、蘭の研究家。父親の果樹園を手伝っていたが、フッカーの知己を得、さらに植物学者のバンクスを紹介されてその助手となった。その後、生涯に多くの著作・園芸書を著した。①を記載したのは ロンドン園芸協会の機関誌『Transactions of the Horticultural Society of London』第7巻 238ページ。 Lindley

以下 略
これは、1825年5月からの一年間に園芸協会の庭で咲いた、新しい植物あるいは貴重な植物についての「年間開花報告」の中のひとつである。
リンドリーの本文は 以下のようになる。
この種は 1822年(江戸時代後期 文政2年) にリーブス氏によって中国から協会に Yung-to という名前で送られた。また、同じ年にサミュエル・ブルックス氏によっても輸入された。通常はダブル チャイニーズ チェリーという名前で知られている。これは美しい植物で普通のチェリーに似ているが、葉の輪郭、表面および、非常に細かく剛毛のように尖っている鋸歯が異なる。全体的な外観では、葉が特に粗野である。
花は 4 月に数多く咲き、透明な白色で花びらは多数、5角形または 5 次元の配置を維持するように並ぶ。屋外で咲くと美しいピンク色になる。 ( 中略 )
これは私が知る限り最も観賞価値の高い 丈夫な植物の 1 つで、一般に栽培されている八重桜よりもはるかに美しいものである。
この記述では「葉の鋸歯が目立ち、ピンクの八重咲き」というだけで、具体的にどんな花を咲かせる木なのか見当が付かない。
なお この文章の公表は 1828年で、それが 1830年に出版されたもの。
『GRIN』や『flora of China』には P. serrulata が登録されていて、その産地は中国・朝鮮半島と 日本 も含まれているのだが、日本の事典類にはこの学名の種は見あたらない。
学 名 命名者 備 考
1830  Cerasus serrulata  G. Don  ラウドン刊行の本で
George Don (1798–1856) はスコットランド出身の植物学者 および 植物収集家。エジンバラ植物園やチェルシー・ガーデンに勤め、英国園芸協会によって、ブラジル・西インド・シリアレオネの植物採取を行った。多くの新種を命名した。弟に植物学者の D. Don がいる。
『Loudon's Hortus britannicus』に C. serrulata を一覧表の形で出版したのはイギリスの造園家 ラウドン:John Claudius Loudon (1783- 1843) だが、その前書きには「第1部 リンネの分類法 はすべて G. Don氏 の研究(作業)による」と書かれているために、命名者は Don とされている。

記載内容は、英名:serrulata-leaved (cherry)、落葉低木、Flame(霜よけ?)、鑑賞樹、樹高4m、開花4・5月、花色 白、原産地 中国、導入時期 1822年、〈 繁殖 接ぎ木、土壌 通常の庭土〉 である。
同じ 1830年の出版なのに 参照文献に①の記載があるのは、それ以前に記事が公表されていたためと思われる。
学 名 命名者 備 考
1872  Cerasus lannesiana  キャリエール  一重の白花
Élie-Abel Carrière (1818–1896) はフランスの植物学者で、おもにパリで活躍した。新種を含む多くの針葉樹を記載し、新たに ツガ属・ユサン属・トガサワラ属をたてた。また 園芸の分野でも数多くの著作を残した。
本種の記載は『Revue Horticole (Paris)』第44巻、198 ページ。
なお、Carrière の読み方が違っているかもしれない。
Carrière

後 略
冒頭の部分を訳してみると、
「この種は、世の中で最も美しい種の一つであり、私たちはブローニュの森植物園で花を見る機会があった。それは、1870年に モンテベロのランヌ氏によって日本から送られたもの。」とある。
上記から、種小名は ランヌ氏を顕彰したものだとわかるが、「Montebello の M. Lannes 氏」については調べが付かない。
1870年といえば 明治3年、植物を移入するのが仕事だとすれば、園芸家かプラントハンターだろう。
また 植物学的な記述は少なく、花に関しては「長い花柄で、散形花序のように結合しており、その枝分かれには有鋸歯の托葉がある。花は美しい淡いピンク色の蕾、白ピンクの糸が入る。4月に咲き、一重で幅3~4センチ。」とあるくらいで、図版が無いためにどんな桜なのか見当が付かなかった。しかし、翌1873年版にカラー図版が載っていた。
1873  Cerasus lannesiana  キャリエール  同誌による続報

『Revue Horticole (Paris)』第45巻、Anne 1873、351 ページ。
図版が変色しているので、色については参考程度となろう。

この号の説明文の主旨は、
「優れた観賞用植物だが、成長した果実が半分ほど落ちてしまうので、果樹の位置付けにはならないだろう」で、育種家としての関心が勝っている。

一重で 花弁数はすべて5枚。
Cerasus lannesiana
『日本の桜』勝木俊雄 / 学習研究社 (2001)、『APG 原色樹木大図鑑』邑田・米倉 監修 / 北隆館 (2016) は、C. lannesiana をサトザクラ(グループ)として採用している。
学 名 命名者 属名・備考 など
1916  Prunus lannesiana  ウィルソン  ヒトエザクラ、白
Ernest Henry Wilson(1876–1930)は イギリスのプラントハンター。約2,000種のアジアの植物を ヨーロッパ、アメリカ合衆国に紹介した。
アジア植物の調査・採集を7回ほど行い、6回目には日本を訪れ(1911- 16)、屋久杉の切り株「ウィルソン株」を調査して西欧に紹介したことでも知られる。晩年には、ハーバード大学アーノルド樹木園の園長を務めた。残念なことに、若くして交通事故で亡くなった。
ウィルソン
本種を記載したのは『The cherries of Japan』の43ページ~。

後 略
学名のあとに n. comb. とあるのは「new combination」で、既存の属名と種小名を組み合わせて、ウィルソンが新しい学名を付けたことを示している。冒頭の属性の記述は簡潔なもの。
これまでに出版された文献が多数並んでいる。ウィルソンは5年あまり滞在して各地で観察を行っており、本種の観察は1914年で、ともに栽培されていたものだが、本州の 駿河御殿場近郊の二の岡、下野日光の中善寺 を挙げている。和名は「ヒトエザクラ」。
ウィルソンは P. lannesiana を「サトザクラ グループ」として捉えており、続けて同ページに その代表とする品種 P. lannesiana f. albida を挙げ、写真も掲載している。

中 略
花は一重で白。
多数の文献(異名)が並び、その観察地の数は驚くほど多くて「小石川植物園」も含まれ(次図 緑の下線)、1914(大正3)年に4回訪れて観察している。講師となった牧野に会っているのでは?
ウィルソンはこの品種を、C. lannesiana やその他多くの八重桜の親木と記し、また「日本の植物学者によると、この品種は伊豆大島固有のものと考えられており、手元のコレクションにも大島からのものがいくつもある」と書いている。
P. lannesiana f. albida

しかし、この品種には和名が書かれていない。
P. lannesiana」の項にはこのほかに、47種もの「サトザクラ」が記載されており、すべてを各地で観察していて、荒川堤での観察も多い。'御衣黄' や '鬱金'、奈良時代から知られているという '不断桜' まで何でもござれで、100年前なのだから驚きである。さすがウィルソン。

GRIN では P. lannesiana は、Prunus serrulata var. lannesiana の異名となっている。

学 名 命名者
1928  Prunus serrulata var. lannesiana  牧野富太郎
牧野富太郎 (1862-1957) は幕末生まれの 日本の植物学者。
⑤を掲載した『植物研究雑誌』は、1916(大正5)年に個人で発行を始めたものだが 一時休刊後、1926(大正15)年に津村氏(津村順天堂)の援助を得て復刊した。 第5巻の英語版に載っていた。

和名は サトザクラ で、命名者は 植物病理学者・本草学者の 白井光太郎 (1863-1932) である。
そして続けて無数のサトザクラが列記されている。すべてに命名者が書かれており、ここでも「博覧」ぶりが発揮されている。


Prunus サクラ属:スモモ から
ラテン語のスモモ prunum(『植物学名辞典/牧野』によると proumne)に由来する。リンネ以前に、トゥルヌフォール(1656-1708)が命名していた。
「サクラ」の由来は、別項 サクラ・コレクション を参照の事。

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