シダレザクラ 枝垂れ桜
Prunus itosakura Sieb. (1830)
Prunus x subhirtella var. pendula (1891)
2013.3. 掲載、2018.7. 修正、2022.11、2022.12. 改定、2023.3 一部修正
科 名 : バラ科 Rosaceae
属 名 : サクラ属 Prunus
亜属名 : サクラ亜属 Cerasus
別 名 : イトザクラ
英語名 : weeping cherry
原産地 : GRINによると 日本(本州・四国・九州)
用 途 : 庭園樹
備 考 : 平安時代から栽培され、全国各地に名木が多い。

サクラの学名は 各所、各人でまったく違い、様々な名前が付けられてきた。本ホームページでは、米国農務省のデータベース『GRIN』Germplasm Resources Infor. Network の学名で統一する。そして2018年5月に学名が変更された。
              後半の 命名経緯 を参照のこと。

一般に エドヒガン の枝垂れたものが「シダレザクラ」とされているが、GRIN の以前の学名は P. subhirtella 'Pendula' で、コヒガンザクラ(ヒガンザクラ) が枝垂れたもの、コヒガンザクラの栽培品種だった。


① : 枝振り          2011.4.5.
標識35番 震災記念碑の先。周りにほかの樹木が迫っているわけではないのに背が高く、約 14mもあるのは、枝垂れる性質が少ないためか。もっとも エドヒガンの突然変異だけに、事典には20m以上になる、とある。
あまりに高いところで咲いているため、普通に歩いていると見過ごしてしまうので、上を向いて歩こう。
見上げると 天空に占める面積がとても大きい。
シダレザクラ ① の 位置

 ① : 樹 形      2012.4.9.
トップの小さな写真とは反対側から撮ったもの。この写真は 少し色が白めに写っているが、ソメイヨシノより白いのは確か。



② : 温室前のシダレザクラ    2011.4.5.
二年後 2013年      2013.3.17.
高さは 約7mであまり変わっていないが、周囲の枝が伸びて 地面に着きそうになっている。文句のない枝垂れ具合。色も ①よりも濃い。ハンカチノキを上回る、植物園の目玉商品になる事を期待している。
19年後 2020年     2020.3.3.19.
上背を増して、樹冠上部はさらに上へと伸びている。

新緑の様子       2011.5.15.



③:カリン林横のシダレザクラ 2014.4.4.
エドヒガン ↑          ↑ シダレザクラ
中央に淡いピンクの花を咲かせているのは エドヒガン。シダレザクラは右の斜めに立っている木で、元の方は太い。昔は大きな木だったのだろうが、枝が少なくなり、花も少なかった。

台風被害 2018      2018.10.6.
2018年9月30日の台風24号によって,シダレザクラとエドヒガン(奥)が共に倒れてしまった。エドヒガンの左側の幹は,隣の木により掛かる形で生き延びた。
③:根元付近の断面
中央部が腐り、全体が弱ってきていた。しかし幹が折れたわけではなく、根も弱っていたために倒れたものと思われる。


 
シダレザクラ の 位置
①: C6 d 標識35番 震災記念碑の先。 20通りと30番通りの間
本家である エドヒガンの隣に植えられている。
②: C12 b ソメイヨシノ サクラ林と温室の間、ロープ内
③: B4 b カリン林が始まる 標識26 右側。倒壊。



参 考: 六義園のシダレザクラ
植物園は4時半で閉園。照明設備もないので夜桜は楽しめないが、同じ文京区、都立六義園のシダレザクラは有名で、開花時には公開時間が延長される。
明るいうちから入園      010.3.30
まずは、夕日に映える様子。ひっきりなしに人が近づいて記念撮影をするのだが、一瞬だけの、誰もいないシャッター・チャンス!





参考: ベニシダレ シダレザクラの栽培品種
園内にはないが、シダレザクラのピンクが濃いものは より尊ばれ、「ベニシダレ」と呼ばれる。

北の丸公園付近の ベニシダレ   2011.4.10

ニューヨーク ブルックリン植物園の ベニシダレ     2008.4.9



 
シダレザクラ の 学名

GRIN の学名は Prunus subhirtella 'Pendula' から
P. itosakura Siebold (1830)
に変更された。(2018年5月)
GRIN:米国農務省のデータベース Germplasm Resources Infor. Network
シダレザクラほど、何度も事典の学名が変わる例は少ないのではないか? まず植物園に掲載されていた ①②の名札と、3つの事典類を較べてみるが、発行された年代によって学名が変わっていることがわかる。
そして今回、GRINの学名も再度の変更となった!

P.PrunusC.Cerasus の略、
事典類の名称 シダレザクラ
枝垂れ桜
エドヒガン
江戸彼岸
種小名や品種名
などの意味
『園芸植物大事典』1988 Prunus pendula P. pendula f. ascendens  pendula : 下垂する
 spachiana:人名による

 ascendens:斜上する
 エドヒガンは、
  シダレザクラの
  枝垂れない品種の意
植物園の名札 ② P. pendula f. pendula P. pendula f. ascendens
『朝日百科/植物の世界』1997
植物園の名札 ①
Cerasus spachiana C. spachiana f. ascendens
大場秀章ら 2007 C. spachiana ' Itosakura ' C. spachiana
『APG原色樹木大図鑑』2016 C. spachiana C. spachiana f. ascendens
この時期までは、シダレザクラはエドヒガンが枝垂れたもの という考えが定説だった。



ところが GRIN の近年の考えは上記の定説ではなく、「コヒガンザクラが枝垂れたもの」だった。
シダレザクラの遺伝子に マメザクラの要素が見うけられる、ということだろうか? この説についての詳しい理由は不明。



事典類の名称 シダレザクラ エドヒガン 種小名の意味
GRINの学名 2011 P. subhirtella 'Pendula'
コヒガンが枝垂れたもの
 subhirtella:やや毛のある
GRINの学名 2018 P. itosakura P. itosakura  itosakura:糸桜
   ↑ 今回の変更


さらに 2018年の変更では、これまでシダレザクラの変種や品種扱いだった エドヒガン や ジュウガツザクラが、遺伝子の差異が少ないためか「同一種 P. itosakura」ということになった。
はたして、1830年 シーボルト命名の P. itosakura に、遺伝子鑑定が可能な標本があるのだろうか。それとも別の標本、あるいは新規に現在のもので鑑定したのだろうか? 詳細は不明。
姿 形は違えど 学名は同じ。なんとも味気ないことに・・・。






シダレザクラ の命名物語
は正名、 は異名、
内は 推定事項
  肖像写真は Wikipediaより
  図版は主に、Biodiversity Heritage Library より

 参考:学名の出発点『植物の種』(1753) 以前の記載  正名・異名の対象外
 
名 称 命名者 備 考
1694  Prunus  トゥルヌフォール
Joseph Pitton de Tournefort (1656–1708) はフランスの植物学者。
『基礎植物学 Eléments de botanique, ou Méthode pour reconnaître les Plantes』で、約7千種を 約700 の属に分類した。
リンネ以前から多くの植物学者が属名を記載していた。『基礎植物学』には、ほかにも Amygdalus、Armeniaca、Cerasus、Laurocerasus なども載っている。
ただし トゥルヌフォールが最初の命名者とは限らない。
1712  櫻、O、Sakira  ケンペル  多名法で Cerasus~
Engelbert Kaempfer (1651–1716)はドイツの医師で博物学者。オランダ商館付きの医師として、1690年8月(元禄3年)から1692年9月までの2年間、出島に滞在した。2回の商館長の江戸参府にも随行して、街道沿いの植物・生物のみならず、日本の歴史、政治、社会についても観察した。
帰国後の1712年に『異邦の魅力』を刊行。その第5部は「日本の植物」に充てられ、植物画が多数載せられているが、サクラの図は無い。
そして サクラをなぜか sakira としている。
本種 Ito Sakira も記載されているが、説明内容がきわめて簡潔で 心もとない。
『植物の種』以降の出版、記載  基準日:1753年5月1日
学 名 命名者 備 考
1753  Prunus  リンネ  サクラ属
『植物の種』第1巻に 10種と多数の変種を記載しており、規約上の正式な属名となる。その10種すべてが現在でも「正名」である。
この間に ツュンベリーが来日し、ケンペルの『異邦の魅力』を参考にしながら数種のサクラ属を命名したが、シダレザクラは目にはいらなかったようだ。
1830  Prunus itosakura  シーボルト  GRINによる 正名
Philipp Franz B. von Siebold (1796–1866) はドイツの医師で博物学者。1823年から1829年まで、オランダ商館医として日本に滞在した。江戸参府にも参加し、多くの植物を採取してヨーロッパに持ち帰った。
本種をはじめとして、数多くの日本の植物がシーボルトによって命名されている。
Prunus itosakuraは『Verhandelingen van het Bataviaasch Genootschap der Kunsten en Wetenschappen / 仮称 バタビア芸術・科学協会 論文集』第12巻に寄稿した 「SYNOPSIS Plantarum Oeconomicarum universi regni Japonici」p.68 に記載されている。
右図は 論文集第12巻のタイトルページ。

 シーボルトの表題の意味は
   「日本の植物全般を分類した概要」
 だと思われるが、確信はない。
同書はバダビア(現在のジャカルタ)で1830年に発行されたもの。シーボルト事件で幽閉された後に日本を追放されたのが 1829年10月、オランダに帰国したのが 1830年7月であるから、滞在中にまとめておいた原稿を、途中のバタビアで出版社に渡して刊行したものと考えられる。
「SYNOPSIS 概要あるいは一覧」だけに、それぞれの記載内容はシンプルである。そのためか、以前のGRINの見解は記載内容が不十分な学名に付けられる「裸名」 nomen nudum の扱いだったのだが、見直されて有効なものになったようだ。
さらにGRINの見解では、シダレザクラ と エドヒガン・ジュウガツザクラなどは遺伝子的に違いが少ないためか、シダレザクラと同じ学名
   P. itasakura である、
というオマケまでついて、非常に分かりにくくなってしまった。

これ以降の シダレザクラや上記の複数の種に対するあまたの命名は、すべて Prunus itosakura の異名となるが、GRIN に載っているもののうち、シダレザクラに関係するものを以下に掲げる。
ただし GRIN では、前記のように関係する学名が P. itosakura に変更済みで、対応する和名を確認しにくい状態であるために、以下の内容が間違っている恐れもあるので、あくまで参考としていただきたい。

学 名 命名者 備 考
1827  Cerasus pendula  リーゲル  イトザクラの異名
Georg Liegel (1779-1862) はオーストリアの植物学者。記載したのは 『Ann. Obstkunde, Thei 2』p.199。
これは ②Prunus itosakura (1830) 以前に命名されたもの。
1865  Prunus subhirtella
   → P. x subhirtella
 ミクエル  コヒガンザクラ
 (ヒガンザクラ) 
参考  
Friedrich Anton Wilhelm Miquel (1811-1871) はオランダの植物学者。記載は『Annales Musei botanici lugduno-batavi』第2巻 p.91。
コヒガンザクラは、マメザクラ P. incisa と エドヒガン P. itosakura との交雑種であるため、現在の GRIN の表記は P. x subhirtella となっている。
学 名 命名者 備 考
1876  Prunus pendula  コッホ  イトザクラの異名
Karl Heinrich Emil Koch (1809-1879) はドイツの植物学者。記載は
『Deutsch. Obstgeh. 』p.167 で、③を Prunus属に変更したもの。
1883  Prunus pendula  シーボルト
 ex マキシモヴィッチ
 無効名
 イトザクラの異名
 
Carl Johann Maximowicz (1827-1891) はロシアの植物学者で、日本との関りがあり、当時の日本の植物学のレベル向上に大きな役割を果たした。来日時に長崎でシーボルトとも会っている。
マキシモウィッチは1883年に Ⓐ『Bulletin de l'Académie impériale des sciences de St.-Pétersbourg』と、同協会の生物学部門の会報 Ⓑ『Mélanges biologiques tirés du Bulletin ~』の両方に、一字一句違わぬ論文を掲載した。下図は Ⓑの p.690。
Syn. pl. oecon. n. 368 (緑の下線) は前掲の②、すなわち 「SYNOPSIS Plantarum Oeconomicarum universi regni Japonici」で、シーボルトが記載した P. itosakuraP. pendula に変更したもの。通し番号 n. 368 は、360 の間違い。
この命名は、後から⑤と同じ学名を付けたもので、無効である。
ところが、⑤の存在が見過ごされていたためか 以前は正名と考えられていて、牧野がエドヒガンに名付けた P. pendula var. ascendens とともに一般的に使われていた。
学 名 命名者 備 考
1891  Prunus subhirtella var. pendula 田中芳男  イトザクラの異名
   コヒガンザクラが枝垂れた「変種」として命名。
   GRINでは以前、栽培品種 P. subhirtella 'Pendula' としていたが、
   現在は Prunus x subhirtella var. pendula
田中芳男 (1838-1916) は日本の植物学者。
記載は『Qai Nippon Nokai』p.70。詳細は不明。
『Useful Plants of Japan 有用植物図説』p.153 (1895)にも記載。
1971  Prunus spachiana  北村四郎  イトザクラの異名
北村四郎 (1906-2002) は日本の植物学者。
記載は 日本植物分類学会の論文集『Acta Phytotaxonomica et Geobotanica』第25巻に投稿した「Short reports of Japanese Dicotyledons / 日本双子葉類の短報」p.2。
種小名の spachiana は、フランスの植物学者 スパック (Édouard Spach 1801-1879)を顕彰したもの。



参考:シダレザクラ P. itosakura (1830) の異名

シダレザクラ、エドヒガン、ジュウガツザクラが同一種となったため、GRINのシダレザクラのページには、Heterotypic Synonym (正名の種とは異なる標本 あるいは異なる記載に基づいた異名)として、15の異名が載っている (命名者は省略)。

https://npgsweb.ars-grin.gov/gringlobal/taxon/taxonomydetail?id=480607





❶v




➋f

❸v1
❸v2
❸v3
Cerasus spachiana
Prunus microlepis
Prunus microlepis var. microlepis
Prunus microlepis var. smithii
Prunus pendula
Prunus pendula var. ascendens
Prunus pendula var. pendula
Prunus spachiana
Prunus spachiana f. spachiana
Prunus spachiana var. spachiana
Prunus spachiana f. ascendens
Prunus taiwaniana Hayata
Prunus ×subhirtella var. ascendens
Prunus ×subhirtella var. autumnalis
Prunus ×subhirtella var. pendula

・印をつけた 基準変種・基準品種 を除くと11種となる。その中の 種小名が pendula❶、spachiana➋、subhirtella❸ の7例について書き出してみた。
シダレザクラについては 命名物語と重複する。
なお、上記の異名のページには「和名」は記載されていないので、あくまで推定となる。

異 名 命名年 和 名 備 考
 Prunus pendula Siebold ex Maxim. 1883  シダレザクラ  「命名物語」では ⑥
  同じ名を後から付けた無効な命名
❶v  Prunus pendula var. ascendens Makino 1893  エドヒガン  ❶の変種として記載
  ❶が無効であるため、これも無効
 Prunus spachiana Kitam. 1971  シダレザクラ  「命名物語」⑧、 異名
➋ f  Prunus spachiana Carrière
   f. ascendens (Makino) Kitam.
1971  エドヒガン  学名的には、エドヒガンはシダレザクラの
 枝垂れていない「品種」としたもの
❸v1  Prunus ×subhirtella Miq.
   var. pendula Y. Tanaka
1891  シダレザクラ  シダレザクラは、コヒガンザクラが
 枝垂れた「変種」としたもの
 「命名物語」⑦
以前のGRINでは P.subhirtella 'Pendula' とされていた
❸v2  Prunus ×subhirtella
   var. autumnalis Makino
1908  ジュウガツザクラ  ジュウガツザクラは、コヒガンザクラが
 八重咲き、四季咲き性となったもの
 同じく、P. subhirtella 'Autumnalis' とされていた
❸v3  Prunus ×subhirtella
   var. ascendens (Makino) E. Wilson
1916  エドヒガン?  この学名をそのまま解釈すると「コヒガン
 ザクラの枝垂れていないもの」となって意味
 不明となるが、下記のような命名の経緯が
 あったために生じた学名である。
 
 
 
 
 
 参考:Prunus ×subhirtella Miq. 1865  コヒガンザクラ  以前は P. subhirtella
    = Prunus incisa マメザクラ × P. itosakura (エドヒガン)


参考:P. subhirtella var. ascendens の命名経緯
名 称 命名者 備 考
1883  P. pendula  シーボルト ex
 マキシモウィッチ
 シダレザクラ
 無効名
前掲「命名物語」⑥を参照のこと。
❶v 1893  P. pendula var. ascendens  牧野  タチザクラ
タチザクラ(エドヒガン)を シダレザクラの変種として命名。
記載は『The botanical magazine (Tokyo) 植物学雑誌』第7巻 第75号「Notes on Japanese Plants, XVII」、 p.103。
右は 雑誌の掲載状態。左上は 本文を回転したもので、記載はわずか3行のみ。左下はその部分詳細。
そこに挙げている P. pendula の命名者はマキシモウィッチとなっており、シーボルトの名が無い(緑色の下線)。
文献 Mél. biol. XI. p.690『Mélanges biologiques tirés du Bulletin de l'Académie impériale des sciences de St.-Pétersbourg』、前掲「命名物語」⑥の図によれば、もとの命名者はシーボルトであるから、正確には シーボルト ex マキシモヴィッチ とすべきである。
1908  エドヒガン と命名  牧野
名 称 命名者 備 考
❸v3 1919  P. subhirtella var. ascendens  ウィルソン  エドヒガン と
 いうことになる
❶v の種小名を変更。命名規約に従って 変種名はそのまま使用。
記載は『The standard cyclopedia of horticulture;~』5 p.2841。
発行者は アメリカの植物学者・農学者 Liberty Hyde Bailey (1858- 1954)。
  なお、現在の GRIN の表記は、Prunus ×subhirtella var. ascendens
     = P. itosakura の異名




シダレザクラは エドヒガン が枝垂れたものとされていたため、植物園では両者が隣同士に植えられてている。
        ↑① のシダレザクラ と エドヒガン↑

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