谷端川 の跡を歩く
文京区 後楽

富坂 から、 終点 神田川 まで
今回の範囲 地 形










西



神田川

















神田川
カーソルを乗せると 川が表示されます 地図サイズ:300×400ピクセル
  1921年(大正10年)第二回修正測図 / 国土地理院
(1909年(明治42年)測量)
早稲田・上野・四谷・日本橋を合成。
  等高線 : ● ● ● 5m ● ● ● 10m ● ● ● 15 m ● ● ● 20 m
  地図サイズ : 400 × 300
・・・・ はこの時点ですでに暗渠化されていた部分。     付近は1909(明治42)年-1916(大正5)年の間に暗渠化された。

最後の範囲が 元祖「小石川町」。 1878年(明治11年)に府下に15区が設けられ、「小石川区」では 後楽園を含んだ もとの水戸藩上屋敷跡が小石川町となった。 区内には 周辺のみならず、多くの 小石川 を冠した町名があった。 1907年(明治40年)の地図では 40もの「小石川○○町」があり、区内の町名総数の 半数にのぼっている。
地形的には川の近くは平らとなり、少し離れて本郷台への坂道が数多く見られる。
後楽園 の スタート地点へ

Top へ 谷端川の跡を歩く 高橋俊一