![]() セント・ジョージ・カテドラル 43.5m |
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ガイアナ協同共和国 ![]() |
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人 口 : | 213,705 (2002 ガイアナ国勢調査) | |||
面 積 : | 不明 | |||
位 置 : | 北緯6度48分、西緯58度10分 | |||
産 業 : | 商業、輸出品の積み出し港 | |||
ガイアナ国の主な輸出品目は砂糖、ボーキサイト、木材、金、ダイヤモンド。 ジョージタウンはガイアナ国の首都で、行政と金融、そして商業の中心地である。 愛称は「カリブのガーデン・シティー」。 |
名前の由来 ジョージタウン Georgtown | |||
ジョージタウンの歴史は17世紀の初めに、オランダの植民地の町として始まった。 その後、イギリス、フランス、オランダの間でガイアナの領土争いが続く。 18世紀の終わりには、ベルギー アントワープ州の都市の名前である Stabroek と呼ばれていたが、19世紀はじめ 1812年に当時のイギリス国王、ジョージ3世(在位:1760年-1820年)にちなんで ジョージタウンと改名された。 |
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ガイアナ共同共和国 : 南アメリカ大陸北部の国 |
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ガイアナは南米の北部、ベネズエラの隣りに位置する小さな国 (面積は日本の6割弱) である。 旧英国領のため、南米唯一の英語国で左側通行。しかも国民はインド人と黒人がほぼ半分づつという、特異な国である。 (中米ではベリーズやジャマイカも英語) |
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Wikipedia より![]() |
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下の写真のように国土のほとんどが熱帯林であるため、人口は大西洋沿岸の町である首都のジョージタウン、第二の町ニュー・アムステルダムなどに集中している。 | |||
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写真右下を見ると、川の色 は赤茶色のどろ水である。 もう一本西側の大きな川、エセキボ川も同様で、海に流れ出した水は海流の影響で南側に流れる。 このため、ガイアナ附近の海も一面 土の色。 ガイアナの人たちは海は茶色いものだと思っている。 ジョージタウンの愛称には「カリブ」が付いているが、「青いカリブ海」はトリニダード・トバゴまでである。 日本からガイアナへは、ニューヨークに1泊した後で朝早い便に乗り、トリニダード・トバゴに寄って、約7時間。 |
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乗った飛行機は BWIA West Indies Airways である。 機体に白でペイントされたマークに注目。 ガイアナの国花が「ハス」だと勘違いしていたものだから、レンコンの断面か?などとも考えた...。 |
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ターミナルビル | タラップに正解が.. | ||
![]() 正解は「スチール・ドラム」。 BWIAはその発祥の地 トリニダード・トバゴの航空会社であった。 |
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ガイアナは木材が豊富で逆に石材は少ないために、建物はすべて木造であった。 ジョージタウンには18〜19世紀に建てられた、「世界遺産もの」の古い木造建築が、たくさん残っている。 年代の古いものから挙げていこう。 建築年や解説は、ガイアナの公式ガイドブックである『Explore GUYANA』 による。 |
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ゴシックとチューダーの折衷様式。大きな4面時計塔がシンボルとなっている。 食料品から金銀装飾品まで、なんでも揃う。 |
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建物の外 | 内部の肉屋 | ||
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時代が古いものは、装飾がなくてシンプルである。 |
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議事堂 The Parliament 1829-34年 建設 | |||
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市役所 City Hall 1889年 ネオ・ゴシック様式 | |||
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正面 | 裏側 | ||
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左側立面 よく見るとかなり痛んでいる |
正面の塔を左側から見上げる | ||
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高さ 43.5m。「世界で最も高い木造建築」 と解説書にある。 法隆寺の五重塔は、相輪まで入れて約 34mであるから確かに高い。 しかし! |
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奈良の大仏殿は棟までの高さ 49.1メートル、しかも再建されたのが 1709年であり、この教会よりも 約200年前である。 法隆寺は今から約 1,300年前の建築、日本の木造はすごい! |
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内部を写そうとしたら、番をしているおばあさんに「ダメ!」と言われてしまった。しかたなく、隠し撮り。 確かに木造だが、身廊と側廊との間の柱は、鋳鉄製だったような気がする。 |
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河口の町ジョージタウンのもうひとつの特徴は、標高が低いこと。 満潮時には水面下約90cm にもなるという。 「オランダ人」が、あえて低地に作った町であることが一つの理由だが、建設当初は一面の湿地帯であったはずで、今でも町の中に水路が残っている。 コンクリートの防潮堤ができた現在では普通の建物が並んでいるが、かつては郊外やニュー・アムステルダムに現存するような、1階は柱だけの「ピロティー構造」の家々であったと思われる。 現実に、2004年の暮れにも大雨のために市内全域が水没した。 |
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町を守る防潮堤 Sea Wall | |||
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この写真では、右奥の白い建物が海面より低い位置にあるのだが、わかりにくい。 |
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町の外れの堤防 | |||
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車窓から写したもの。これが延々と続く。 |
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市街地の水路 と 門扉 | |||
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道路と敷地の間に水路がある区域。橋を渡らないと家にはいれない。 一本橋の奥に門があり、回り込めないように「張り出し」がある。 |
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参考文献 : Explore GUYANA/The official tourist guide of Guyana、 Wikipedia、 Google Earth |
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