山手線 が 渡る橋 ・くぐる橋 | |
渋 谷 → 原 宿 |
番外. (仮称) 旧 北谷踏切 および (仮称) 旧 横断地下道 |
最初に付近を歩いた時には気が付かなかったが、国土地理院で古い地図を購入して調べたら、開通当初は踏切、その後に架道橋になっていることがわかった。 そして改めて現地に行ってみると、背の低いアーチ型のトンネルが残っていた! もちろん閉鎖されていて 正確な高さなどはわからないが、架道橋と呼ぶにはあまりに小さく また半地下となっていめため、仮称は「地下道」とした。 |
横断地下道 (山手線の内側より) 2011.2.26 |
遠 景 2011.2.26 |
付近の人に聞いた所では 1955年(昭和30年)頃まで使っていた記憶があるそうだ。 区役所などで調べてみる必要がある。 地下道へは階段で何段か下りていたようだ。 鉄板の壁には 小さな潜り戸があり、かんぬきに南京錠が掛かっている。 今でも中に入れるのだろう。 「ブラタモリ」なら JRに交渉すること間違いなし! 左側に見える斜めのコンクリートは水道管で、水道局がここを借りて 径300mmの管を通している。 張ってある表示板によると、長さは29m。 それにしても、ここを庭代わりにしている右側の家の人は「ナンテン好き」だ。 |
当然、線路の外側にも痕跡があるはずだ・・・・、 と 探してみた。 |
地下道があった場所 2011.6.25 |
坂道で、普通に歩いていると、まったく気が付かない。 |
あるはずだ、 と思って歩かないと 近付いてもわからない・・・ これだけ埋まっているということは、昔は道路がもっと低い位置にあった、坂の傾斜が変えられた、という事だ。 |
付近 の 歴史 |
1885年(明治18年)3月 : 品川線 品川-赤羽間 開通 |
日本鉄道品川線 単線の状態 1897年 | |
北 | |
1897年(明治30年)修正の 1万分の1地図/陸地測量部/国土地理院 |
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1905年(明治38年) : 渋谷-新宿間複線化 |
複線の状態 1916年 |
1916年(大正5年)修正の 5千分の1地図/大日本帝国陸地測量部/国土地理院 |
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複々線化の工事中 1921年 |
1921年(大正10年)修正の 5千分の1地図/大日本帝国陸地測量部/国土地理院 |
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1922年(大正11年)7月 : 渋谷-原宿間 複々線化 |
複々線化後 1928年(昭和3年) |
1928年(昭和3年)修正の 5千分の1地図/大日本帝国陸地測量部/国土地理院 |
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開通当初の踏切の位置 (山手線の内側) |
現在は「区立 神宮通公園」として整備されている。 |
終戦後の様子 1947年 |
上の写真の 部分拡大 |
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位 置 (終戦後の様子) | ||
1947年(昭和22年)の空中写真/国土地理院 | ||
写真サイズ 400 × 115 |
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渋谷駅 渋谷川 明治通り 原宿駅 |
■ (仮称)旧横断地下道 データ | |||
位 置: | 渋谷区神宮前六丁目〜神南一丁目 品川より 約 7K 900M | ||
管理番号: | − | ||
道路名: | − | ||
線路の数: | 計 4 本 山手線 : 2本 埼京線、湘南新宿ライン : 2本 | ||
長さ: | 約 30 m | ||
幅 : | 約 2 m | ||
竣工年: | 開通当初 〜 大正末または昭和初期までは 踏切 通路の開通年は 未確定 | ||
備 考: | 踏切も地下道も 人専用通路 | ||
名前の由来: | 踏切の仮称は、山手線の外側にある「北谷稲荷」から。 「地下道」は、土手の高さが高くないために通路が半地下になっていたため。 | ||
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