山手線 が 渡る橋 ・くぐる橋
渋 谷 → 原 宿

13. 神 宮 橋

明治神宮が造られることになり、表参道から明治神宮へのメインの道路に架かる神宮橋には、立派な橋が架けられた。 

山手線内側の 旧山手貨物部分を A部、山手線部分を B部と呼ぶことにする。

                   全 景 (山手線の内側から)          2010.11.6
通常の車は左側の五輪橋を通過するため、ここを渡るのは 神宮の駐車場に出入りする車ぐらいである。 雁行する親柱の外側jまで入れると、橋の幅の方が長さの 1.5 倍。  初詣の人出を捌くために、とにかく歩道が広い。

                遠 景 (山手線の外側から)       2010.11.6
奥に原宿駅、右手前が 五輪橋である。

            近 景 (五輪橋から原宿駅方向を見る)     2010.11.6
橋の銘板によると、ポストテンション(コンクリート硬化後に 鋼棒に引っ張り力を働かせる)コンクリート桁工法。

          近 景 (原宿駅ホーム端から渋谷駅方向を見る)  2011.1.11

初代のデザインと部材を受け継いだ 親 柱
                           名称は「志゛んぐうばし」

 
         ↑ 五輪橋との関係


神宮橋 と 表参道 の 歴史

1885年(明治18年) : 日本鉄道 品川 - 赤羽間 開通 (現 埼京線部分)
現在の「水無橋」の位置に、大山街道(青山通り)の現青山学院の所からから穏田村を通って代々木村に抜ける古い道があった。 
この場所には道などあるはずもなく、切り取り(堀割)で鉄道ができた時には 付近は茶畑だったようだ。

単線時代
1880年(明治13年)測量、1897年(明治30年)修正の2万分の1地図
  渋谷 大山街道           渋谷川 

1905年(明治38年)10月   : 日本鉄道品川線 渋谷 - 新宿間 複線化
1906年(明治39年)9月23日 : 代々木駅 開業 (中央線のみ)
            10月30日 : 原宿駅開業、恵比寿駅旅客営業開始
1909年(明治42年) : 山手線と改称、 山手線に代々木駅停車開始

複線化後
1909年(明治42年)測図 1916年(大正5年)修正の1万分の1地図/大日本帝国陸地測量部/国土地理院
          山手線  渋谷川                     青山通り  (前図とは向きが90度異なる)

1912年(明治45年)7月 : 明治天皇 崩御
1920年(大正9年) : 明治神宮が創建される
大正初めからは、品川から順に山手線の複々線化も開始されており、明治神宮の創建に合わせて 原宿駅や代々木駅も整備された。
 
神宮橋は鉄骨入りのコンクリートで、複々線に対応する4線分の幅で造られた。
完成は 新 原宿駅よりも先で、その時点ではまだ複線の状態だったため、従来の位置 つまり現在の埼京線側2線を、汽車が牽く貨物列車 と 山手電車が共用していた。  『鉄道ファン』2011年1月号 136ページに、筆者小野田氏所有の絵葉書が掲載されている。

神宮橋 と 表参道 の完成 1920年(大正9年)
1921年(大正10年)修正の1万分の1地図/大日本帝国陸地測量部/国土地理院
               渋谷川                       青山通り
線路はまだ複線の状態なのだが、この地図では西寄りに表現されている。 複々線化に先だって西側に新線(現在の山手線)が敷かれ、それを仮設線として利用しながら、旧線の立体交差工事や改修が行われたものと考えられる。

青山通りから一直線に作られた表参道は、東京府の予算の関係で紆余曲折があり、幅20間(約36m)の道は当初「砂利敷き」であった。
翌年には予算が付いて4間の歩道と12間の車道が舗装され、街路樹として
ケヤキが植えられた。                     『明治神宮叢書』より

今も残る 当初に植えられた ケヤキ
樹齢は 約100年



1922年(大正11年)7月: 山手線 渋谷 - 原宿間 複々線化。
1923年(大正12年)9月: 関東大震災

複々線化後
1928年(昭和3年)修正側図の 1万分の1地図/大日本帝国陸地測量部
               渋谷川         青山アパート↑     青山通り
神宮橋は変わっていない。 明治通りの一部ができている。
同潤会青山アパートは 1926年・1927年(昭和2年)。

1924年(大正13年)12月 : 原宿 - 新大久保間の複々線化 完了


1941年(昭和16年)12月〜1945年(昭和20年)8月 : 太平洋戦争

終戦後の様子 1947年
1947年(昭和22年)の空中写真/国土地理院/撮影は米軍
戦後2年が経つが、家が建っていない所がほとんどである。

戦禍を免れた ケヤキ並木
前掲の写真の部分拡大。 30本以上が残っているが、交差点付近は撤去されている。。

植え直されたケヤキ 1953年(昭和28年)の表参道
神宮前交差点立て替え工事現場に掲載されていた昔の写真
約60年前の様子。 明治通り交差点から 青山方向を見たもの。 左側の同潤会アパートの手前に渋谷川があったが、今は暗渠化されている。

説明には 「昭和24〜26年に植えたばかりの欅がまだ小さい」 とある。

ほぼ 同じ位置から           2011.6.9
まさに隔世の感がある。 昔の写真の方が 画角が小さいようだ。

1967年(昭和42年)の原宿駅交差点
神宮前交差点立て替え工事現場に掲載されていた昔の写真
写っているのは生き残った初代のケヤキ。 神宮前交差点の「セントラルアパート(1958)」や 写真右側の「コープ・オリンピア(1965)」など、表参道には先進的な集合住宅が建設された。
歩道橋の上から見下ろす          2011.6.9


1982年(昭和57年) : 神宮橋は、約60年を経て現在の橋に架け替えられた



位 置 (終戦後の様子)
1947年(昭和22年)の空中写真/国土地理院
写真サイズ
400 × 115
   渋谷駅                渋谷川   明治通り  原宿駅

神宮橋 データ
位 置: 渋谷区神宮前六丁目〜代々木神園町
  品川より 約 8K 350M
管理番号:  −
道路名: 表参道
線路の数: 計 4 本  山手線 : 2本
       埼京線、湘南新宿ライン : 2本
支 間:
幅 : 約30 m
竣工年: 初代 : 1920年(大正9年)
二代目: 1982年(昭和57年)
備 考:
名前の由来:  明治神宮へ通じる道路に架かる橋。



周辺の情景

南参道 大鳥居
外人の姿もよく見かける。 そして こういうシーンも・・・・。

新郎は外国人
やはり 神前結婚は和装ですね。


外拝殿の 長押 と 柱
まるで模様として付けたような凹み、じつは「傷跡」である。 参拝者が投げた
10円玉・100円玉が当たった跡であり、正面側にしか付いていない。

三が日には巨大な賽銭箱が作られるが、大変な人出となって そこに近づけない人が、あるいは近くから意図的に? お金を投げつけるためにできるキズ。 硬貨の周囲のギザギザまでが木の柱に残っている。

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