山手線 が 渡る橋 ・くぐる橋 | |
原 宿 → 代々木 | |
地図については 脚注参照 |
3. 青山街道 架道橋 |
山手線七不思議のひとつ。 青山街道は「大山道」と呼ばれ、赤坂から青山・渋谷を通って 厚木、大山へ向かう道である。 本架道橋のある位置は、青山練兵場と角筈村を結ぶ道で、とても「街道」などとは呼べない千駄ヶ谷村高台の田舎道であった。 品川線(現在の埼京線)の開通時には、現在も残っている踏切ができ、その名称が「青山街道踏切」である。 なぜ この名前が付いたのだろうか? 謎である。 |
1897年(明治30年)修正 二万分の一地図/陸地測量部/国土地理院 | |
北 | |
青山通り大山道 甲武鉄道 甲州街道 |
遠 景 (山手線の外側) 2009.12.23 |
代々木商店街から見た架道橋。 斜めに架かっている。 |
青山街道架道橋 の 歴史 |
1885年(明治18年) : 日本鉄道 品川 - 赤羽間 開通 (現 埼京線部分) | |
|
1889年(明治22年) : 甲武鉄道 新宿 - 八王子間開通 |
1894年(明治27年) : 新宿 - 青山間に 軍用線が延長される |
1905年(明治38年)10月 : 日本鉄道品川線 渋谷 - 新宿間 複線化 |
1906年(明治39年)9月23日 : 甲武鉄道 代々木駅 開業 (甲武鉄道のみ) |
1909年(明治42年) : 山手線と改称、 山手線に代々木駅(旧駅)停車開始 |
1912年(明治45年)7月 : 明治天皇 崩御 |
1920年(大正9年) : 明治神宮が創建される | |
|
1923年(大正12年)9月 : 関東大震災 |
1924年(大正13年)12月 : 原宿 - 新大久保間の複々線化 完了 |
新山手線は高架の新代々木駅に合わせて築堤で作られた。 |
推定事項 |
現埼京線の「裏参道踏切(仮称)」を「架道橋」にするために、新設山手線を仮設線として使ったのではないか と考えている。 このために、1924年(大正13年)の複々線化開業のはるか前から 代々木駅周辺の工事が始められた。 |
青山街道架道橋の竣工は、1920年(大正9年)ないし 1921年(大正10年)であろう。 |
近 景 (山手線の外側) 2010.21.31 |
道路が斜めに通っているので この鋭角! 右側 山手線外側の道はこのガードが造られる時に新設された。 明治神宮へ抜ける。 |
山手線外回りの下から 2010.12.31 | |
レンガの状態 2009.12.23 | |
隅石が角張っているために 硬い印象を受けるが、何かおかしい・・・。 実は レンガ本来の色ではなく、ペンキ塗りであった。 いたずら書きを消すためだと思うが、一度全部を茶色く塗ってから 目地の部分を白で塗る という、もの凄い手間を掛けている・・・。 |
青山街道踏切 と 架道橋 2011.2.1 |
山手線の内側から。 道は手前から奥への一方通行である。 埼京線と湘南新宿ラインの運行間隔は山手線ほどではないし、車の通行量も少ないので、踏切で渋滞する事はない。 山手線と埼京線の間に店舗がある というのも珍しい。 |
山手線の内側 踏切から 2010.12.31 |
湘南新宿ライン と 山手線 2011.2.1 |
踏切から原宿方向を見ている。 旧山手貨物の開通時、ここは 千分の10の急勾配だったのだが、今はほぼ水平。 ということは、ここから原宿間で勾配の変更があったはずだ。 一方 新設山手線は 千分の25で登っていく。 |
代々木駅ホームから 2010.5.2 |
原宿方向を見ている。 |
開床式 下路プレートガーダ |
桁にかかる応力は中央ほど大きいので、上下ともカバープレートを重ねてフランジを補強している。 |
位 置 (終戦後の様子) |
1947年(昭和22年)の空中写真/国土地理院 |
原宿駅 一部省略 中央線 代々木駅 |
■ 青山街道架道橋 データ | |||
位 置: | 渋谷区千駄ヶ谷四丁目〜代々木一丁目 品川より 9K 815M 50 | ||
管理番号: | 19 | ||
道路名: | ? | ||
線路の数: | 2 本 (山手線) | ||
支 間: | 22m 10 | ||
空 頭: | 高さ制限 3. 8 m | ||
竣工年: | 1921年(大正10年)頃 | ||
備 考: | |||
名前の由来: | 青山街道踏切の隣にできた架道橋。 | ||
渋谷 → 新宿 |
番外. 青山街道 踏切 |
開通は 1885年(明治18年)3月1日。 |
高架の山手線、地上の埼京線、高架の中央線 の関係 2011.2.26 |
中央線のガードは「代々木跨線線路橋」 |
中央線 代々木 - 信濃町間の複々線化開通は 1927年(昭和2年)であるが、代々木跨線線路橋は 1922年(大正11年)または23年(大正12年)にはできていたと思われる。 桁の銘板が「大正十一年」である。 山手線の複々線化完了(原宿-新大久保間)は 1924年(大正13年)12月。 1986年(昭和61年)3月 池袋までだった埼京線が、新宿まで伸びる。 1996年(平成8年)3月 恵比寿まで延伸して ここを通るようになる。 |
埼京線になって四半世紀が経つが、山手貨物線だったときの名残が色々と・・・ |
枕木のプレートには「↑山手貨上」 | やまてかもつ線2番 |
隣の踏切も近い・・ |
厩道踏切は 中央線を挟んで新宿側にある。 |
脚注、タイトルの地図について : 地図サイズ 299×93 |
明治42年(1909年)測図 大正5年(1916年)第一回修正測図 1万分の1地図 「四谷」に加筆 大日本帝国陸地測量部/国土地理院 発行 |
Top Menu へ 山手線が渡る橋・くぐる橋 高橋俊一 代々木街道架道橋 へ |