山手線が渡る橋・くぐる橋  - 架道橋 (ガード) ・跨線橋 -

代々木 → 新宿
番外. 玉川上水 暗渠

戦後の写真にも はっきりと写っている「旧玉川上水」。
甲州街道のすぐそばを平行して流れ、短いながらも古くは「橋梁」であった。

線路の下は、貨物駅の線路が多くなってきた大正末から昭和初めにかけて、暗渠化されたようだ。

山手線と新宿御苑  1921年(大正10年)
1921年(大正10年)修正の1万分の1地図/国土地理院
新宿御苑の北縁を通って、新宿大木戸の番小屋、分水地へと流れていく。

同 拡大詳細








上水→




→上水
一番左 甲武鉄道の線路では、鉄橋である。 山手線あたりでは暗渠か?

現在は、上水の位置が 新宿区(北側)と 渋谷区(南側)の区界となっている。

1947年7月24日 撮影の空中写真
国土地理院/撮影は米軍
ひとつ前の地図とほぼ同じスケールで、約25年後の姿。
小田急の線路の手前までは、上水がはっきりと開渠で残っており、代々木へ南下する道の 印に架かっていたのが、葵橋である。

              上水の跡(葵通り) と 葵橋跡         2011.1.9
親柱風の碑は あおい通りを挟んで両側にある。


玉川上水 の 歴史

神田上水に続け
神田上水は 寛永年間 (1624-44年)には完成したといわれている。
1652年 幕府によって上水の計画がなされる。
1653年 庄右衛門・清右衛門兄弟が工事を請け負う
     2度の失敗の後、私財をも投入した突貫工事で 同年 または 翌年
     に新宿まで開通。 羽村からの距離は 約43km
1654年 江戸への給水を開始
 
1898年(明治31年) 新宿淀橋浄水場 完成。 杉並区和泉から 新水路敷設
 
1965年(昭和40年) 淀橋浄水場 廃止
1986年(昭和61年) 小平以降に、下水処理水を流した 清流復活
2003年(平成15年) 国指定の 史跡 となる
2010年(平成22年) 新宿御苑北縁に流れを復活させた「散策路」が作られる


周辺の情景

新宿御苑 旧正門
外周柵の奥にもうひとつ柵があり、その間が遊歩道となっている。
開門時間は 9時から4時半、月曜休み。

復活玉川上水 新渓流のスタート地点
真下を通る「新宿御苑トンネル」(新宿四丁目~四谷四丁目)に湧き出す地下水を利用している。 流れの幅は ほんの40cm程度。 この先少し広くなる。
時代は変わり、新玉川上水には ビルの姿が映る。

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