山手線が渡る橋・くぐる橋  − 架道橋 (ガード) ・跨線橋 −

新宿 → 新大久保
4. 淀橋 跨線線路橋
山手線が、中央緩行線(上り)と中央線、計3線を跨ぐ 跨線橋である。

全 景 (山手線 内側より、2010年1月)
鉄橋を通過中の電車は 山手線内回り。 左に中央線快速。奥に中央線緩行。
手前の縞模様の青い屋根は、西武新宿駅である。
 
線路橋を渡りきろうとする 山手線外回り
ここは、山手線の中での最高地点となっている。 標高 40. 84 m

山手線内側 (西武新宿駅から) 山手線外側 (新宿に向かう中央緩行線から)

西武新宿駅とJRとの間には背の高いフェンスがあり、そのほんの少しの隙間から撮ったもの。
手前の保線区には、砂利を積んだ貨車が止まっている。
 

右側の線路:中央緩行線西行きは、すでに代々木駅の手前で山手線内をまたいでいるために、ここでは山手線をくぐる必要がない。
埼京線は山手線の左側をそのまま新宿へ向かう。
山手線外側

新大久保方向を見る

新宿駅方向を見る

内回り電車から (新宿方向を見ている)
ちょうどカーブ区間で 橋の長さが長いため、5つに折れまがった桁となっている。


位 置 (終戦後の様子)
1947年(昭和22年)の空中写真/国土地理院
    新宿駅         新宿通り                      新大久保駅
淀橋 跨線 線路橋 データ
位 置: 新宿区歌舞伎町一丁目
管理番号:
線路の数: 2本:山手線外回り、内回り
橋 長:
支 間:
竣工年: 1995年 (平成7年)
『歴史的鋼橋一覧/土木学会』より
跨ぐ線路: 3本:中央緩行線 下り、中央線 上下線
歴 史: 日本鉄道品川線開通: 1885年(明治18年)
甲武線(現在の中央線)開通当初は山手線の外側にあったため、跨線橋はなかった。
立体交差化の時期 : 未確認
推定では 1923年 頃
備 考:
名前の由来: 当時の地名「淀橋」による
 
歴 史: 線路の数
1885年(明治18年)3月 :日本鉄道品川線(品川-赤羽)開通 単線 ( 1 )
 開通当初は高架ではなく ほかに線路もなし
1889年(明治22年)4月 :甲武鉄道開通 単線
 当初 甲武鉄道は山手線の外側(西側)
1904年(明治37年)頃 :品川線 新宿-池袋間 複線化 ( 2 )
1906年(明治39年) :甲武鉄道 新宿-大久保間 複線化
 甲武鉄道、日本鉄道が国有化される
1916年(大正5年) :山手線 複々線化の開始
複々線化と併せて新宿駅の改良工事が計画され、現在の「中央緩行線の上り」と「山手線内回り」、「中央線下り」と「山手線外回り」がそれぞれ同じホームで乗り換えられるように「淀橋跨線線路橋」を新設して、山手線が中央線を乗り越す形とした。
1918年(大正7年) :品川-大崎間 複々線化
1922年(大正11年)7月 :渋谷-原宿間 複々線化
1923年(大正12年)頃 :旧 淀橋跨線線路橋 完成 推定
1924年(大正13年)9月 :新大久保-池袋間 複々線化
            12月  :原宿-新大久保間 複々線化
1925年(大正14年)までに :品川線 複々線化完了
     ( 山手線と貨物線の分離 )
1928年(昭和3年)までに :新宿-中野間 複々線化 完了
1933年(昭和8年) :中央線の長距離列車はすべて新宿発となる
1995年(平成7年) :現在の線路橋に掛け替え

参考: 旧 淀橋跨線線路橋 データ
『歴史的鋼橋一覧/土木学会』より
位 置: 同位置
橋 長: 52.62m
支 間: 14.432m ×3 + 14.020m
竣工年: 1922年(大正11年)
橋 脚: 鋼製  門形ラーメン
備 考: ラーメン橋脚としては最初期のひとつ

1947年(昭和22年)の様子
国土地理院、撮影は米軍 / データサイズ: 400×298 ピクセル
山手線・中央線とも すでに現在の位置関係と同じである。
1918年の品川-大崎間を皮切りに、山手線の複々線化は1925年までに完了している。 また、中央線 新宿-中野 全区間の複々線化の完了は1928年だが、この跨線橋の竣工は1922年(大正11年)のようだ。

周辺の情景
モード学園の「コクーンタワー」のユニークさは 群を抜いている。
設計は 丹下都市建築設計

Topへ 山手線が渡る橋・くぐる橋 高橋俊一 構内架道橋へ