山手線が渡る橋・くぐる橋  − 架道橋 (ガード) ・跨線橋 −

3. 西武鉄道 跨線 線路橋
山手線のこの区間は当初から築堤(盛土)区間であったため、1928年(昭和3年)と、早くから西武線が下をくぐって山手線の内側に乗り入れていた。
全 景 (山手線 内側より、2009年12月)
鉄橋を通過中の電車は 山手線外回り。 ガード下で西武新宿線の 準急と普通が行き交う。
西武線は、高田馬場駅を出て 早稲田通りを高架で渡ったあと、地上レベルへ下りていく途中である。小さい半径のカーブであり、またかなり窮屈なガードであるために、極端にスピードを落として通過していく。
低い位置から
 
山手線 外側
直接撮るのはこれが精一杯。 山手線が通過中。
金網越しなら、もう少し左から 全体を撮れるが・・・・。


位 置 (終戦後の様子)
1948年(昭和23年)の空中写真/国土地理院
  高田馬場駅     神田川                               目白駅
西武鉄道 跨線 線路橋 データ
位 置: 豊島区高田三丁目
 品川から 13K 562M
管理番号:  −
線路の数: 4本:山手線外回り、内回り、埼京線
橋 長: 約 19 m
支 間:
竣工年: 現在の桁については 不明
跨ぐ線路: 2本:西武新宿線上下線
備 考: 最初に跨線線路橋ができたのは 1927〜28年(昭和初期)
名前の由来: 西武新宿線を跨ぐため
 
 
 

歴 史:
1885年(明治18年)3月 :日本鉄道品川線(品川-赤羽)開通 単線
 開通当初より高架
1904年(明治37年)頃 :品川線 新宿-池袋間 複線化
1910年(明治43年) :山手線 高田馬場駅 開業
1924年(大正13年) :新大久保-池袋間 複々線化
1927年(昭和2年) :山手線の外側に西武線の高田馬場 仮駅
1928年(昭和3年)4月 :西武線が山手線の内側まで伸長
現在の位置に高田馬場駅ができる


周辺の情景
神田川付近から目白方面を見る。

高田馬場駅から 遠くの目白駅まで、神田川の低地に築堤(盛土)された山手線。

当初 単線であった時は、どこを走っていたのだろうか。
恐らく、今 電車が走っているあたり・・・。

りんかい線の先頭車付近で線路が緩く左に曲がっているが、1894年(明治27年)に作成された実測図では、目白駅まで直線となっている。
1903年(明治36年)に目白駅で貨物の取り扱いが始まったが、そのスペースを右側に作るために、左に寄せたものと思われる。

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