山手線 が 渡る橋 ・ くぐる橋 | 目白 → 池袋 |
− 架道橋 (ガード) ・跨線橋 − |
3. 西武鉄道 高田架道橋 |
日本鉄道品川線開通(1885年)の30年後、1905年(明治38年)に、当時の武蔵野鉄道が 池袋−飯能間の営業を始めた。 当初から山手線を跨ぐ跨線橋であった。初代は木造か? 未確認であるが、レンガ造の橋脚は1915年(大正4年)に作られたようだ。 新しい架道橋の完成は 2006年(平成18年)4月 |
全 景 (山手線 外側より、2009年12月) | ||||
西武鉄道は普通電車の色を、「西武ライオンズ」のチームカラーである青色に変更した。 新しくした架道橋の腰パネルにも「青の帯」を入れている。 準急として使っている黄色い電車の場合はコントラストが良くてきれいだが、普通電車の場合は同じ色になってしまって見栄えがしない。 |
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山手線 外側より | ||||
カーブしている線路に直線形状の橋を架けているので、幅が広くなる。 |
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山手線の内側より | ||||
この跨線橋の架け替えは大工事であった。 まず橋のすぐ右側に迂回用の線路を用意し、さらにここに見えている空間全体に仮設の構台を作る。 その構台の上で新しい桁を組み立てたあと、「横取り法」という方法で、何回か桁をスライドさせて完成させた。 |
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第33回土木学会関東支部技術研究部会 資料より |
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左側が 埼京線の線路 | ||||
一枚目の写真も、池袋側から目白方向を見ている。 橋の目白側には人道橋「花の橋」があるため、全景は写せない。 |
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桁の詳細 | ||||
池袋方向を見る。 下路ボックスガータ 閉床式。 2本の大梁の間に、無数の小梁(横桁)が かけられている。 |
位 置 (終戦後の様子) |
1948年(昭和23年)の空中写真/国土地理院 |
目白駅 明治通り 池袋駅 |
■ 西武鉄道 高田架道橋 データ | |||
位 置: | 豊島区目白三丁目 | ||
管理番号: | − | ||
線路の数: | 2本 : 西武池袋線 | ||
橋 長: | 40. 4 m | ||
支 間: | 38. 9 m(1スパン) 旧橋総支間:23. 1 m(2スパン) |
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幅 員: | 有効幅員 : 7 m | ||
竣工年: | 現在の橋 :2006年(平成18年)4月 最初の橋 :1905年(明治38年) 二代目上り線:1915年(大正4年) 下り線:1928年(昭和3年) | ||
跨ぐ線路: | 4本:山手線、埼京線 | ||
備 考: | 橋の主要部分は上記の住所だが、4つの住所の交点に位置しており、西武線の線路を池袋側から辿ると、まず南池袋一丁目に始まり、目白二丁目をかすめて目白三丁目で山手線を越え、渡り終えると西池袋二丁目となる。 | ||
名前の由来: | 開通当時の地名「高田村」の名によるものであろう。 | ||
ただ、高田村の領域は、北は「巣鴨村大字池袋」に接し、南は神田川までと広範囲であるため、場所を特定しにくい。 踏切や架道橋の名前に使う場合は高田という村名ではなく、「大字」や「字」名がよいだろう。 | |||
この場所の当時の字名は、山手線の内側が「大字雑司ヶ谷字大原」、外側は「同 字代地」であった。 |
東京オリンピック前年 1963年(昭和38年)頃 の様子 |
国土地理院/ 撮影は米軍 |
周辺の情景 |
西武池袋線 池袋駅 |
架道橋からは少し離れているが、その架け替えの前に新装された、池袋駅の様子である。 地下鉄との相互乗り入れは練馬駅で分岐しているため、今後 この池袋駅は「終着駅」として長く残りそうだ。 |
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