山手線 が 渡る橋 ・ くぐる橋 目白 → 池袋
− 架道橋 (ガード) ・跨線橋 −

4. 長崎道踏切 跡
日本鉄道品川線の開通 1885年(明治18年)の当初からあったのか、後でできた踏切だったのかが未調査であるが、閉鎖された踏切跡は 注意して見ないと どこだったかがわからないくらいになっている。
踏切跡の ほぼ全景 (山手線の外側より)
ガードレールが新しい部分が 踏切跡。
向かい側に較べてこちら側の幅が広いのは、道路が線路と平行しているために車が曲がりにくく、線路敷き内に「隅切り」があったためである。(次の写真 参照)


満 開 の 桜
写真提供 : 東京ペンギン堂本舗 高野ひろし タイトルは「誰も向こうに渡れない」
昔は西武池袋線のガードまで、ほぼ真っつぐの道だった。

以前の長崎道踏切 と 西武線架道橋
いつ開くとも知れぬ「開かずの踏切」に座り込む人
写真提供 : 「だから東京が好き!」キヨちゃん
撮影は 2003年8月頃
 
1947年(昭和22年)の空中写真/国土地理院



あぶない! 注意書き ?
山手線の外側に残っている、高さ制限用のワイヤや注意書き。 工事には支障がなかったためか 残されたまま・・・・。

いや、当初の位置(提供写真 下)では、注意書きは角切りの位置だった。
明らかに別の位置に移動されたものだ。 一種の「記念碑」かもしれないが、さすがに黄色の「踏切名称板」は取り外されている。

山手線の内側
こちら側は 西武線の跨線橋工事のために使われたため、一新されている。


位 置 (終戦後の様子)
1947年(昭和22年)8月の空中写真/国土地理院
目白駅                           明治通り            池袋駅
長崎道踏切 跡 データ
位 置: 豊島区目白三丁目
管理番号:  −
線路の数: 4本:山手線、埼京線
長 さ :
幅 員:
開通年: 不明
備 考: 2005年(平成17年)1月に廃止
名前の由来: 長崎道は、関口台の尾根を通って練馬方面に向かう「清戸道」(現 目白通り)の高田村の中心地で分かれる道で、そこから北に向かい、鬼子母神を通って北西方向の長崎村に通じる道である。

古い道であるから、踏切も開通当初からあったものと思われる。
豊島区地域地図 第3集/参考地図/ を加工
豊島区立郷土資料館
1909年(明治42年)測量図
(資料特別利用許可 取得済み)
 


周辺の情景
  ちょっと珍しい踏切を・・・。
西武池袋線 踏切
角度が振れた街区に 後から電車を通したために、踏切の間近に交差点があり、踏切が 「V字型」 になっている。
場所は、長崎道踏切跡から西に 500m。
たまたまであるが、住所もこの踏切で、目白3、目白4、西池袋2、西池袋4 の4つに区切られている。
 
V字の元の方から。 
もっと高いところから写真を撮りたい・・・・

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