山手線 が 渡る橋 ・ くぐる橋 目白 → 池袋
− 架道橋 (ガード) ・跨線橋 −

6. 池 袋 架道橋
2010年2月 掲載、2021年2月 追加・改定

通称「びっくりガード」。
今はびっくりでも何でもないが、強いて言えば JRと西武のふたつのガードの間に、道路と信号があることか・・・。

山手線の内側 から
架道橋の場所は、山手線外回り電車が渡り終えようとしているところ。鉄骨桁の架道橋であるが完全な閉床式であるために、どこに橋があるのかわかりにくい。
線路の数は 9線
山手外回り、待避線、内回り。埼京線2線。湘南新宿ライン2線。保線区用の古い線路2線

内側 明治通りの交差点付近から 内側 西武線架道橋の下

手前の架道橋は西武線で、最下部で日が当たっている部分に道路と信号があり、その先が池袋架道橋である。

両方の架道橋とも、両サイドに 車道とは別の歩行者通路がある。
交差点の目白方面への道 内側 全景



交差点は十分な広さがある。

交差点の 池袋駅 方向
ただし ここから先は駅構内なので一般車は はいれない。
昔はここがガードへの道で、向こうから来て、左方向にカーブを切って行った(次の 空中写真 参照)。
1947年(昭和22年)の空中写真/国土地理院
びっくりガードに行くためには、今よりも北の道からはいって 西武線を踏みきりで越え、細い道を線路に沿って下っていく。 大きくカーブを切ったところに狭いガードがある。

山手線の外側
池袋駅付近は比較的平らで、立体交差にするために両側から地下深く掘り込んでいる。

脇道は東武デパートの納品専用。

架道橋の直前に歩道橋がある。

多数主桁 上路プレートガーダ 閉床式  内部の様子



池袋架道橋の歴史

1885(明治18)年:日本鉄道 品川-赤羽(品川線) 開通
開通当初、ここに道路が 無かった。
1903(明治36)年:山手線 池袋-田端 開通、池袋駅開業
1904(明治37)年11月:新宿‐池袋間 複線化
           目白‐池袋間は 1903年の可能性もある
1906(明治39)年:貨物の取り扱い開始 (Wikipediaによる)

地図A 1909年:道がない状態

1909(明治42)年測量 1万分の1 早稲田 / 大日本帝国陸地測量部 / 国土地理院 に加筆
が後の池袋架道橋の位置。当初の山手線には踏切が多く、この地図内だけで10カ所もある。

1910(明治43)年4月:池袋 - 田端間 複線化
1915(大正4)年:武蔵野鉄道武蔵野線(現西武池袋線) 池袋-飯能間 開業

地図B 1916年:(仮称)池袋小踏切

1916(大正5)年第一回修正測圖 1万分の1 早稲田 / 大日本帝国陸地測量部 / 国土地理院 に加筆
地図Aとはスケールが異なる。仮称を池袋「小」踏切としたのは、大塚側にあった第二鎌倉踏切の通称が、池袋「大」踏切だったため。
池袋駅構内が広げられ、ふたつの踏切が廃止されて、目白寄りの現在の位置に踏切ができている(・・・が元の道)。 この結果、踏切を渡る直前で道が90度折れ曲がることになった。
また、山手線の内側には西武線が開業し、その踏切を越えてから山手線に向かうことになった。
この次に修正が行われた 1921(大正10)年「第二回修正地図」では、状況はほとんど変わっていないため割愛。

1923(大正12)年9月1日:関東大震災
1924(大正13)年9月:新大久保-巣鴨間、複々線化

地図C 1929年:架道橋となっている

1929(昭和4)年 第三回修正測圖 1万分の1 早稲田 / 大日本帝国陸地測量部 / 国土地理院 に加筆
複々線化時に、踏切を無くすために架道橋にされたものと思われる。山手線の内側の道に擁壁があり、下り坂になっていることがわかる。外側(地図では上側)は弦巻川の小さな谷で、内側に比べてレベルが低い。
これで、ビックリガードの状態となった。

写真 D 1947年:終戦後の状態

1947(昭和22)年7月9日 米軍撮影 / 国土地理院 に加筆
右下の明治通りを車が走っている。その大きさと比べれば、架道橋の幅が狭いことがわかる。これで対面通行だったようなので、びっくり! 現架道橋の壁に 南池袋1丁目町会による 「ビックリガートの由来」の説明板がある。


■第一に、ガードの天井が低く、電車や貨物列車の轟音と振動にビックリ。開床式のプレートガータで、ホームまではまだ距離があるためにスピードも落ちていなければ、間近で大きな音がするため。
■その二は、大雨の時に水没すること
  排水設備が向上した
  はずの現在でも、
  水位計がある
■第三に、道が狭くカーブして架道橋にはいること。
見通しの悪いカーブを曲がって、ガード下で対向車に出会ったらビックリである。どちらが譲るか、意地の張り合いだったとある。4線以外に貨物ヤードがあるので、8線分ほどあっただろう。バックするにしても、後続車が来ていたら大ごとである。
一般車はこんな道を敬遠していたに違いない。


戦後43年も経って、ようやく現在の幅広い道が完成した。
西口の道路の無い場所を広範囲に用地買収することから始まったために、相当長い期間が掛かったようである。

写真 E 1956年:道路整備が始まっている

1956(昭和31)年3月8日 米軍撮影 M316-35 / 国土地理院 に加筆
架道橋はまだまだ現役。東西に西東のデパートの第1期が建設されている。豊島師範学校の跡地は、後に芸術劇場となる。

写真 F 1957年:滑走路のような劇場通り

1957(昭和32)年10月10日 米軍撮影 M1010R1-8/ 国土地理院
架道橋はまだ現役のようだ。線路の内側(写真では下側)の整備が遅れている。西武の右隣に丸物(現パルコ)ができている。

写真 G 1963年:開通間近か

1963(昭和38)年6月26日 MKT636-C5-15 / 国土地理院
架道橋は前年1962(昭和37)年3月に完成したが、道路はまだ工事が続いている。全面開通は この写真の約4か月後。



位 置(終戦後の様子)
1947(昭和22)年の空中写真/国土地理院
 目白駅              明治通り       池袋駅
池袋 架道橋 データ
位 置: 豊島区南池袋一 (〜西池袋二丁目)
 品川から 14K 962M
管理番号: 山手線 ( 40 )
通りの名称:
線路の数: 9線:山手線2線、引上げ線1線、
   埼京線・湘南新宿ライン4線、
   保線区用の引込み線2線
支 間: 12.8 m + 両側に歩道
空 頭: 高さ制限表示無し
竣工年: 当初の開通日は不明。1924(大正13) 年の複々線化時と思われる
現在の内側の橋台:
 1962(昭和37)年3月、
 工期:1年3ヶ月
外側の鉄骨桁:1962(昭和37)年
内側のコンクリート部:
 1962(昭和37)年8月
 工期:1年8ヶ月
説明板による全面開通:1963年10月
名前の由来: 池袋駅に隣接するため。
「池袋」の由来については、次の池袋駅で取り上げる。
 

山手線の謎 その2

JRが付けているの「管理番号」の話である。
山手線の架道橋の管理番号は品川を起点としている。 
当然1番から始まって 外回り方向に順に番号が振られ、緊急連絡先の表示板には番号も記載されている。ただし、新しくできたものには番号の掲示がない。

さて、びっくりガートこと「池袋架道橋」の管理番号は 40番だが、ひとつ手前の架道橋、高田馬場−目白間の最後にある「新井薬師道架道橋」のの番号は 29番! 
30 から 39番が、欠番となっている・・・・。
新井薬師道架道橋 池袋架道橋

この番号が付けられたのはそれほど古くはないはずだ。
単純ミスはあり得ないことなので 何か理由があるはずだが、駅の区切りではなく、途中から変わっているという点が不思議。
記載されている連絡先は同じだが、保線区が違うのかも知れない。新井薬師までは 新宿保線区、その先は 上野保線区。
新しく架道橋ができる時のために、余裕を持たせて飛び番号にした可能もある。
山手線の架道橋のラスト・ナンバーは、中里第一隧道架道橋47番だが、途中に欠番があるために、その総数は 37 となる。


なお、飛び番号は「御徒町高架橋」付近にもあり、上野保線区と新橋保線区の境目という仮定となる。



周辺の情景
 
自由学園 明日館
羽仁もと子・吉一夫妻が創立した女学校「自由学園」の校舎。 震災・戦災をくぐり抜け、現在は修復されて、「明日館」として催し物などに使われている。 
  設計:遠藤 新 + フランク・ロイド・ライト
  竣工:1921(大正10)年、 重要文化財
エントランス 木戸 フラッグ・ポール下の照明
明日館の読み方は「みょうにち館」であるが、どうしても「あすか館」と読んでしまう。また、「あした館」の方が語呂がいい。 
集会室の部屋名を見ると、どちらも「あした」。
集会室のドア ドマーニ室・イタリア語
マニャーナ室・スペイン語
明日への希望 ということに違いないが、スペイン語の「マニャーナ」の文字を見ると、どうしても「明日があるさ」の「先送り」を考えてしまう・・・。


明日館とは対照的な巨大建築。駅間近かの池袋駅西口にある。
東京芸術劇場
非常時の避難の観点からも、通常は地面に近いところに 大ホール を計画するものだが、真横を通る地下鉄からの振動・音を恐れて、高層階にもっていった。
設計:芦原義信(芦原建築設計研究所)。 竣工:1990年
ターンテーブルで回転する2セットのパイプオルガンが特徴。
2012年に改修され、この長大エスカレーターは2階レベルから架けなおされている。

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