山手線 が 渡る橋 ・くぐる橋
池 袋 → 大 塚

10. 空 蝉 橋
2010年2月 掲載、 2021年1月 改定

うつせみはし。 銘板にある名称は「空蝉跨線道路橋」。
山手線開通当初から跨線橋があり、現在の橋が三代目と思われる。長い間塗装が行われないために汚かったが、2016年にリニューアルされて見違えるようになった。
遠 景 (池袋側の栄橋から)
2010.2.12
くぐるのは 山手線と湘南新宿ライン。架線ビームで橋が見にくい。

きれいになった橋
立派な親柱、後ろは大塚駅 広くなった歩道
もともと交通量の少ない道なので、片側一車線にして歩道が広げられた。



以下の写真は 2010年1月頃の、錆だらけの橋の様子。

三代目 の 遠景 (大塚駅側から)
手前中央が 大塚駅ホーム ↑
駐車場の奥のあたりに、空蝉の名前の由来となる稲荷神社があったようだ。

全 景 (山手線の外側から)
 
近 景 池袋側

大塚駅ホームの端部から (池袋方向)
橋は台地の端に位置しており、写真の左右の道とも、駅に向かって下り坂となっている。

金 網
1966(昭和41)年当時でも安全基準はあったと思うが、この橋の手摺りの高さは恐ろしいほど低く、台座の上に乗ると80cm程度しかなかった。右側の2本のパイプの手摺は古くによく用いられたものだが、更に低くて高さ62cm、上下二段の間隔も広く、子供はすり抜けて落ちてしまうために、2mの高さの金網が取り付けられていた。

親 柱 街灯は既製品

桁の様子
下が線路だと、確かにペンキの塗り替えも大変だ・・・・。



空蝉橋 の 歴 史

1885(明治18)年:日本鉄道 品川-赤羽 開通
1903(明治36)年:山手線 池袋-田端 開通(複線敷地に単線)

地図 A:空蝉橋の位置

1909(明治42)年測図 / 1万分の1 早稲田 / 大日本帝国陸地測量部 / 国土地理院 に加筆
標高:
30m以上、
〜25m、
〜20m、
〜15m、
15m以下
池袋で分岐した後に踏切が続き、大塚駅直前の空蝉橋が初めての陸橋となるが、その標高31.5mは池袋駅とさほど変わらない。台地上をそのままのレベルで走ると、谷端川の低地との差が大きくなりすぎるため、後半は切り取りとしてレベルを下げ、標高24.5mに大塚駅の敷地を整地したとした。
カーソルを乗せると切り取り部を表示

崖線に小さく突き出した尾根の先端を切り取って線路を通し、木造の橋が架けられたものと思われる。

 1910(明治43)年4月:池袋 - 田端間 複線化
池袋 田端間では、初めから2線分を確保していたので、橋の架け替えはなかっただろう。

1924(大正13)年: 池袋-巣鴨 複々線化

地図B:複々線化時の状態 1929(昭和4)年

1929(昭和4)年 第3回修正測図 1万分の1 早稲田 / 大日本帝国陸地測量部 / 国土地理院 / に加筆
山手線の外側(ここでは北側)に増線されて線路敷きの幅が倍になり、ほぼ同じ位置で二代目に架け替えられた。コンクリート製だったと思われる。
震災復興で計画された明治通りや春日通が通されている。

写真C:終戦後 1947年の様子

1947(昭和22)年7月24日 米軍撮影 / USA-M377-123 / 国土地理院 に加筆
敗戦後まる2年が経っているが、まだまだこの焼け野原。大塚駅のホームの屋根は白く、造り直されたことがわかる。

写真D:1963年の様子

1963(昭和38)年6月26日撮影 / MKT636-C5-17 / 国土地理院
翌年には東京オリンピックが開催される。写真Cから僅か?16年でガラリと変わった道路と人家。空蝉橋周辺の道路も整備されている。大塚駅を発車した内回り電車が橋をくぐっている。
現在の橋は 1966(昭和41)年に架け替えられたものなので、橋の架替えが近い。二代目の寿命は約42年間だったことになる。

写真E:1966年の様子

1966(昭和41)年11月3日撮影 / MKT666X-C5-15 / 国土地理院
Dと同じ範囲だが、解像度が低いために大きくできない。
三代目、現在の橋が完成直後の撮影である。池袋側にある白い橋は仮設橋で、この後に撤去される。


位 置 (終戦後の様子)
1948(昭和23)年/国土地理院
池袋駅             旧東京拘置所          大塚駅

空蝉橋 データ
位 置: 豊島区北大塚三丁目〜東池袋二丁目
管理番号:  −
道路名: 空蝉橋通り
支 間: 27.1 m
橋 長: 27.8 m
幅 員: 20.7 m
竣工年:
 初代:1903(明治36)年、豊島線開通時
 二代目:1924(大正13)年、複々線化の時。
   線路幅が倍増したので架け替えたはずだ。
 現在の橋:1966(昭和41)年12月
   桁の製作年は1965年12月
跨ぐ線路: 4線:
山手線外回り、内回り、湘南新宿ライン2線
備 考:
桁の銘板では東京都が建造したことになっているが、現在の管理は豊島区。
鋼製I型桁+コンクリートの複合構造だが、保守が悪く錆だらけだった。その当時はまだ竣工後44年だったので、まだまた使えるはずだと思っていた。
名前の由来: 橋のたもとにあったという 稲荷神社の「空蝉の松」による
詳細は以下に・・・。

「空蝉の松」
空蝉と聞くと つい、源氏物語を思い起こしてしまい、どんな由来があるのかと期待していたが、実際は「蝉の抜け殻」だった。
出世稲荷
空蝉橋から山手線の外側に少しはいった狭い路地。
大塚駅の貨物ヤード増設時(大正初期)に神社の敷地が掛かり、遷座した。豊島区地域地図 第七集 復刻版『武蔵国豊島郡巣鴨村図』1801(享和元)年を見ると、確かに「イナリ」がある。

区/郷土資料館の制作による書き起こし図
祭神は「宇迦之御魂命 (うかのみたまのみこと)」で、五穀豊穣、商売繁盛、開運出世の神様であるから、「栄える」→「栄橋」の名の由来とも考えられる。
 
神社が元の位置にあった時、枝振りの良い 太いアカマツがあって「空蝉の松」と呼ばれていた。その由来としては、
「当時は見晴らしの良い原っぱで、富士山や筑波山まで見えるので、歌詠みや絵描きが来たそうで、その人たちが蝉の抜け殻が付いているその松を、洒落て呼んだのではないでしょうか。」区の資料(1981年10月、矢島喜太郎氏による 宮仲界隈むかし話)
「明治天皇が立ち寄った時に名付けた」という説は、眉唾のように思う。

現在の敷地は、当時の国鉄が買い取って稲荷を移転させたということだが、なぜか道路の隅に「二本の古いレール」が埋め込まれたままになっている。
きっと、これを取ってしまうと お稲荷さんの祟りが・・・・
 
戦災を受けた石碑 謎のレール


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