山手線 が 渡る橋 ・くぐる橋
大 塚 → 巣 鴨
− 架道橋 (ガード) ・跨線橋 −

6. 江 戸 橋

えどばし。 
最初は 山手線 池袋-田端間が開通した時にできた橋。複々線化時にコンクリートの橋となったが、老朽化のため、2000(平成12)年に架け替えられた。

全 景(大塚駅側より)
2010.4.4
山手線の外側に植えられたソメイヨシノは、宮下橋、巣鴨橋、さらには巣鴨駅の先へと続く。
江戸橋に近い3本が小さいのは、橋の架け替え工事の時、ここに仮設の橋を架けるために古い木が切られ、橋の竣工後に改めて植え直されたため。
近 景(巣鴨駅側より)
 
山手線の外側から
幅は12m近くあるが、一方通行であるために歩道を広めに取ってある。このまま文京区方面に行きたい時は、宮下橋を迂回することになる。

方位案内 車止め


橋の袂に 植え込みとピクトグラムによる案内があり、腰掛けることもできる。
親柱 と 街灯


位 置 (戦後の様子)
1947(昭和22)年8月の空中写真 / 国土地理院
 大塚駅                         巣鴨駅
ここに写っているのは 二代目の橋である。
江戸橋 データ
位 置: 豊島区南大塚一丁目〜北大塚一丁目
管理番号:  −
道路名: 江戸橋通り
橋 長: 20.70 m
幅 員: 11.80 m
竣工年: 初代:1903(明治36)年山手線開通時
   木製か?  未確認
二代目:1924(大正13)年複々線化時
   コンクリート製、
   幅 6.68m、長さ 19.9m
現在の橋:2000(平成12)年
跨ぐ線路: 4線 : 山手線、湘南新宿ライン
備 考:
名前の由来:  不 明
1998年2月号の『巣鴨百選』は江戸橋架け替え工事の特集が組まれており、経緯や図面まで詳しく載っている。
そこに、名前について一つの推測が載っていた。「御府内」と呼ばれた江戸の範囲に関係するのではないか、というものである。 以下は その文章。
「豊島区の江戸橋改築工事計画書の中では、【江戸橋の名前の由来は解明することはできなかったが、ごく近くに江戸と郊外との境界があったことによるものだと推測する】とある。」
「一般に“御府内”と表現された江戸の範囲は長らく不明確だったが、1818年(文政元年)、府内外の境界を朱引きで表示した。それが『江戸朱引図』で、駒込・染井・巣鴨等はかろうじて朱引き内にある。明治・大正期にはいってもこれが尾を引いたのだろうか。」
 
太字の部分は正確な記述ではないのだが、それはともかくとして、江戸橋の位置は その「朱引線」まで あと180mである。
つまり、
  新しく橋ができるので名前を付けたい。
  「巣鴨」は駅前の橋に取られてしまった。
  隣の人道橋は小石川区の地名「宮下」を付けた。
それならいっそのこと、「ここも江戸だよ!」 とばかりに「江戸橋」となった・・・。
    「巣鴨町 江戸橋までは 江戸の内」
100年以上前の話である。

東京市十五区・近傍34町村 北豊島郡巣鴨町・巣鴨村全図 / 人文社 に加筆
1911(明治44)年発行の地図。赤の内側が当時の 小石川区と巣鴨。

先代の 江戸橋
豊島区の資料より 撮影は1997(平成9)年
コンクリートがあまりに老朽化していたために、大型車両はもちろんのこと、天祖神社の「町内御輿」も通行禁止だったという。


橋からの眺め

次の宮下橋
雨に煙る宮下橋。

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