山手線 が 渡る橋 ・ くぐる橋 | 駒込 → 田端 |
− 架道橋 (ガード) ・跨線橋 − |
駒 込 駅 |
2010年3月 掲載、2020年9月 全面改定 |
都民にとって駒込駅は馴染みの薄い(下りたことの無い)駅のひとつだが、駒込 - 田端間は次のようなトピックスがあり、山手線で最も話題の豊富な区間である。 | |
・急勾配?に位置する駒込駅 本項 後半に ・よくわかる ホーム延長の歴史 ・多くの施設につく「中里」の名称 ・暗渠化された川に架かっていた橋梁に残る レンガ橋台 ・急変する線路勾配 ・山手線に残る唯一の踏切 ・かつて使われていたトンネルの閘門の一部が見られる ・複々線化時の打開策、中里隧道 ・小さな角度で交差する、山手線と京浜東北線 |
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1903(明治36)年 山手線の池袋-田端間(旧名称豊島線)の開通から遅れること7年、駒込駅はここが複線となった 1910(明治43)年11月15日に開業した。その時の線路は現在の湘南新宿ラインで、改札口は山手線の内側の平地にあったと思われる。 | |
さらに15年後に複々線化された1925(大正14)年3月、現在のホームの利用が開始された。駅舎は現在の位置に移り、階段でホームに下りる形になった。 | |
詳しくは、次の「駒込駅の歴史」の項で考察する。 | |
2006年に 新駅舎が完成した。 | |
全 景 (巣鴨駅側から) | |
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手前が 山手線を跨ぐ駒込橋。 山手線の内側から跨線橋が架けられているスタイルは、巣鴨駅と同じである。 |
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シンプルだが変化のある駅舎のデザインに好感が持てる。カーブして上に突き出た部分は、階段・エスカレータ上部の吹き抜けで、機能一点張りではない 商業施設としての性格を出している。 |
以前の駅舎:1957(昭和32)年竣工 | 現在の姿 | |
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駒込橋 跨線橋+駅舎 南北線入口 |
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写真提供:「だから東京が好き!」キヨちゃん |
山手線の内外に2カ所あった改札は ひとつにまとめられ、跨線橋は自由通路となった。 |
ホーム巣鴨寄りの階段 | その手前のエスカレータ |
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評判の ツツジの植え込み |
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工事に伴う植え替え | 駒込駅前郵便局 |
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![]() ホームが描かれた風景印は 少ないとか。 |
傾斜しているホーム |
駒込は駅全体が 千分の10の ”急勾配” 区間に位置している。 この勾配は、蒸気機関車が貨車を牽いていた時代の最大勾配だった。 |
駒込 − 田端間の 終戦直後の様子 |
1947(昭和22)年8月の空中写真/国土地理院![]() |
山手線では2つの○の間が千分の10で、田端に向かって下っている。 |
勾配標 A | 勾配標 B |
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写真はともに駅方向を見ているため、Aは下り勾配、Bは上り勾配を示している。新しい標識は不要な少数値を省略している。 |
1903(明治36)年の開業当時に、山手線のこの区間が当時の最大勾配となった理由: |
下り始めるA地点は、本郷台地を堀割り状態にした線路敷だが、標高は 約 20m。次の駅田端は約5.5mでその差が15m程度あり、限度いっぱいの急勾配で下っていく必要があったためである。道灌山の尾根はトンネルで抜けていた。 |
複々線化時に電車専用である新しい駒込駅が誕生した時、貨物線と段差を付けてホームをフラットにすることは可能だったが、既存の「中里第一踏切」を活かすために、山手貨物と同じ勾配にした。このため、駅は傾斜区間に造られることになった。 |
ホームの田端側 約半分 |
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1mで1cm。こうやって外からホームを眺めても、実際にホームを歩いても、例えそのことを教えられたとしても、100分の1という勾配は、人間の体には感知しにくい傾斜である。 |
筆者自身、今回の改定で初めてそれを意識した次第。 |
傾斜しているホーム |
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西口駅舎の低層部の屋根は水平。それと比べると、確かにホームの屋根やホーム全体が傾いている。 |
駅名 「妙 義」 の由来 |
駒込駅の開業当初の名前は「妙義駅」だった。 (『山手線誕生/中村建治』) 1910(明治43)年4月の 池袋 - 田端間 複線化以前の1月に、妙義駅が開業していたという説があるが、いまひとつ納得できない。 山手線の線路を増やす「複線化」の工事中の状態で、まず駅だけができてしまって開業・・・?。 その年の11月には「駒込駅」に名称変更? 可能性があるとしたら、以下のような事だろうか。 |
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4月に複線化工事が終わった時点で、駅舎の建設工事が完了していなかったため、仮駅として「妙義駅」を付近に開設。 11月になって、正規の駒込駅が開業。 しかし、 『日本国有鉄道百年史/年表』にある「駅名改称一覧」表 には、駒込駅が改称されたことにはなっていない。また、JTBの『停車場変遷大事典』も同様である。 東京駅の仮駅 呉服橋駅が、東京駅の元の名前とは言われていないのと同じだろう。 |
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鉄道のことはやたらと詳しく書かれている Wikipedia にもその記述がないが、まずは「妙義」の由来。 | |
駅前の本郷通りが王子の方向に向かう所が「妙義坂」で、駅は坂上に位置している。駅の所在地は「妙義坂下町」ではなかったようだ。日本鉄道が 何か「妙義」に拘ることがあったのだろうか・・・? | |
坂の名前は付近に「妙義神社」があるために名付けられた。 |
妙義神社 | 駅より奥が妙義坂 |
![]() 2010.2.24 |
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坂の途中を左にはいった所にある。 |
妙義神社の由来: | |
神社で配布している『略由緒』によると、「ここは日本武尊が東征時に陣を構えたところで、651(白雉2)年に社が建てられて、当初は 白鳥社 と号したという。15世紀に太田道灌が戦勝祈願。二度も勝利したので「勝負の神様」として信仰を集めた。豊島区最古の神社」とある。 | |
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『巣鴨区史』によると、「1439(永享11)年、地頭の今井弥平四郎茂義が 駒込妙義社 相殿神明宮を祀る」とある。 | |
この茂義という人は上州の人で、本国の新田神明郷の神明宮を勧請したのが「妙義神社」の縁起ということである。 | |
神社本殿は、同じ敷地内でもともと本殿があった位置に新築移転した。 | |
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地名「駒込」の由来は、巣鴨 - 駒込間の「駒込橋」の項を参照のこと。 |
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