山手線 が 渡る橋 ・ くぐる橋 駒込 → 田端
− 架道橋 (ガード) ・跨線橋 −

9. 田端 跨線線路橋

右へとカーブしながら田端駅に下りていく山手線が、京浜東北線 北行き と立体交差するための跨線橋。 
銘板が見あたらず、完成年が確認できていない。竣工は、1924(大正13)年から 1928(昭和3)年の間である。
遠 景 (山手線の外側より)
あまりにも遠すぎて橋が見えないが、山手線が小さく見えている場所である。見えている京浜東北線は南行き。田端駅で山手線外回りと同じホームの左側にはいるので、交差はしない。

この写真を載せたのは、旧山手線から 新山手線への切り替えの「工事手順」を考えるためである。それが解れば本架道橋の竣工年がもう少し特定できる。
旧山手線の推定ルート
旧線(赤点線・複線)のルートを営業しながら、どうやって新しい線を敷いて切り替えたのか? 今よりもずっと低い位置で下りているので、現山手線を仮説の跨線橋でくぐらせたとしか考えられない。

山手線(当時 品川-新宿-池袋-田端)の複々線化工事は 1916(大正5)年に始まり、ほぼ 品川の方から進められていった。

巣鴨-田端間が最後となったが、それに合わせるように田端駅の大改造が行われており、1925(大正15)年3月に複々線化が完了したあと、同年11月に 神田-上野 間がつながって、ようやく環状運転の運びとなる。
 
考察と筆者の結論については「田端駅の歴史」として、田端の項で記載する。




あらためて 遠 景 (山手線の外側から望遠で)
                   田端トンネル↓

田端駅から 千分の25で登ってくる内回り電車。旧山手線はもっと低い位置を通っていたはず。
外回り電車から
                 田端トンネル↓
ぶれているが、なんとか。内回り線は トンネル横のすれすれを通っている。
田端跨線線路橋 (山手線の内側から)
走っているのは京浜東北線南行きで、北行きは次の写真に。
田端トンネルを出てすぐにこの橋をくぐる。

開床式の下路プレートガーダだが、あまりにも小さな角度で京浜東北線と交差しているために、主桁の位置が完全に食い違っている。
桁の詳細
このため 横桁は反対側の主桁ではなく、すべて橋台に固定されている。
こんな変則的な橋にはならないようにするのが普通だが、田端-品川間で併走する山手線と京浜東北線の、相互の乗り換えが便利な「方向別配線」(2つのホームのそれぞれに同じ向きの電車が走る)を意識したため、田端駅の北側で京浜東北線を乗り越す形にした。
この「先見の明」は、半世紀以上後の1988(昭和63)年に京浜東北線の「快速運転」というかたちで結実する。
完結は品川駅の南側で乗り越して、品川駅も方向別配線にすることだが、それは難しそうで、どうやら別の計画があるようだ。



位 置 (戦後の様子)
1947(昭和22)年8月の空中写真/国土地理院
   駒込駅                          田端駅
田端 跨線線路橋 データ
位 置: 北区田端六丁目〜東田端二丁目
  品川より 20K 149M
管理番号:  −
線路の数: 2線 : 山手線
橋 長:
支 間: 18m 61
竣工年: 不明、1925(大正14)年頃 から
   1928(昭和3)年の間
跨ぐ線路: 1線: 京浜東北線北行き
備 考: 塗装年:2006年9月
名前の由来: 田端に架かる跨線線路橋
地名の由来: 田端の地名は「田端駅」の項で


周辺の情景
斜めに切り取られた道灌山台地。
コスト削減のために、急な擁壁などは作らずオープンカットしたので、いわゆる切り通しの圧迫感は少ないかも知れない。
究極の三角地帯
夕暮れを走る山手線の内回りと 京浜東北線南行。 奥に広がる車両基地。

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