山手線が渡る橋・くぐる橋  − 架道橋 (ガード) ・跨線橋 −

秋葉原 → 神田
14. 黒門町橋 高架橋

旧名称(左上) と 現在の名称
1919年(大正8年)に開通した 中央線部分の高架橋。  レンガの橋台に 当初の高架橋名が残されている。
古いものを大事に使う精神には感心するが、名前を大切にしすぎて、おかしな名前になってしまった。  旧名称に付いている「」は高架橋の意味。 それを外さずに「高架橋」を付け加えたために、橋が重複してしまった。 「黒門町高架橋」とすべきである。


黒門町橋高架橋は 中央線部分 が先にでき、間に細長いV字型のJR用地を挟んで山手線部分 ができた。

このため、山手線の内側は一部を除いて立ち入れない部分であり、山手線の外側は 新幹線高架下から眺めることになるため、写真が撮りにくい。
中央線部分はトップの写真だけにしたい。

黒門町橋高架橋の形状 1947年(昭和22年)の状態 / 国土地理院
中央線                        中央通り                神田駅
山手線・京浜東北線の4線を 部、旧東北線を 部、新幹線を部分とする。

全 景 (山手線の外側から 秋葉原方向を見る)




東松下橋架道橋
               ↑15. 鍋橋架道橋    神田ふれあい通り


A 部分 4線分、架道橋本体 竣工時期:1922年(大正11年)11月

山手線の内側 (神田方向を見る)
  ↑東松下橋架道橋            鋭角の黒門町橋高架橋
高架橋の横へ行く道には柵があるが、いつも開いている。 少し先の高架下は駐車スペースになっていて、出入りが自由である。 
 
ひとつ目のアーチ
黒門橋ガードからひとつ目、前掲写真に白いアーチが見えるところで、高架橋の
「厚み・奥行き」がまだ小さいために、このような浅い穴が開いている。

公道に面していないので、レンガやタイルによる仕上げはないが、アーチの足元のコーナーにだけ、石積み風「擬石仕上げ」が施されている。

山手線の内側 (秋葉原方向を見る)
前掲写真のもう少し奥である。 JRの倉庫のようだ。

山手線の外側
1956年(昭和31年)の完成時から 手前に2線増設されるまでの30年以上、道路から見える状態だったので、こちら側はタイル仕上げされている。 震災の被害後に補修されたものかも知れない。

橋台内の二つの穴は 今は塞がれているが、当初は隣同士とつながっていた。

 
参考 : 黒門町橋高架橋 中央線部分 の 図面
山手線
の外側
山手線
の内側
『東京市街高架線東京万世橋間建設紀要/鉄道省/1920年』より
配筋の標準詳細図。 山手線内側の仕上げは何枚かのレンガ積みとなっている。

これは 東京-万世橋間では一般的に山手線の内側には道路があるため、新橋付近のレンガ造と景観を統一するための工夫である。 外側はすぐに東北本線が増設されるので、モルタル仕上げとなっている。

黒門町橋高架橋は中央線と分かれる特殊な立地であるため、恐らく両面共にモルタル仕上げだった。
 
化粧タイル仕上げと補修の様子 (山手線の外側)
レンガではなくタイル張りのようなので、震災後に補修されたものではないだろうか。
 
鍋橋のたもと (山手線の外側)
アーチのガード下が 郵便局として使われている。


B 部分 2線分の竣工時期 :1956年(昭和31年)
            撤去時期 :1989年(昭和64年)頃

上野 東京間の新幹線工事の時に撤去され、今はもう見る事はできない。


C 部分 建造時期 : 1990年(平成2年)頃
 
新幹線の下 (神田方向を見る)
↑神田ふれあい通り
新幹線の高架下は 中央に狭い通路があり、両側に店舗や倉庫が並んでいる。
右側(山手線側)には ところどころ隙間があり、前掲のアーチ下を車庫に使っている様子や 補修の様子などが見える。

山手線の外側 (神田方向を見ている)
街灯には、「KANDA FUREAI DORI St.」の通り名が。


位 置 (終戦後の様子)
1947年(昭和22年)の空中写真/国土地理院
      秋葉原駅        中央線   中央通り                神田駅

黒門町橋高架橋 データ
位 置: 千代田区神田須田町二丁目
管理番号:
道路名:
線路の数: 計 8 線 (下記 A〜C は仮の呼び名)
A: 4線: 京浜東北線、山手線
新B: 2線: 東北縦貫線2線 工事中、
C: 2線: 東北上越新幹線
橋 長: 約 140 m
アーチの数:
竣工年: A: 1924年(大正12年)2月
B: 1956年(昭和31年)2線増線
   1989年(昭和64年)頃新幹線工事で撤去
C: 1990年(平成2年)頃
備 考: A部は 「アーチ形式」の高架橋としては、最後に造られた場所である
名前の由来:  旧町名に由来する。
町名の由来: 一説によると 江戸時代に、現在の上野駅南にある黒門町の住人が、「広小路」拡張工事のために移転を余儀なくされた時に当てられた代替え地で、神田を冠して「神田黒門町」と称したということである。

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