山手線が渡る橋・くぐる橋 | - 架道橋 (ガード) ・跨線橋 - |
神田 → 東京 |
18. 外濠 橋梁 |
皇居の外濠に架かる橋ということで、コンクリート構造に花崗岩張り、四隅に親柱が立つ 山手線で最も立派な橋が建設された。 |
全景 (山手線内側から) |
上には高度成長期の産物、安易なルート選定で水辺の景観を潰した 高速道路。 日本橋と同様にここも高速道路を付け替えて、昔の橋の姿を復活させて欲しい。 |
竣工時の姿 |
『東京市街高架線東京万世橋間建設紀要』鉄道省/1920年発行』 より |
動輪をデザインした国鉄のエンブレム | |
円の中にある文字は 竣工年である「年七正大」。 |
工事中の写真 | |
下の図面も、『東京市街高架線東京万世橋間建設紀要』鉄道省/1920年発行』 |
配筋は鉄筋ではなく、形鋼やアングルで作ったアーチ状のラチス梁を並べている。 |
側面図 と 配筋断面図 |
架線の上から!東京駅方向 竣工時の様子 東京側から神田方向 | |
手前は外濠通りに架かる龍閑橋架道橋。 | 鍛冶橋架道橋、千代田町橋高架橋 遠くに外濠橋 |
橋は6線分が造られ、当初は中央線の2線が走った。 |
終戦後 1947年7月24日撮影の空中写真 | 1948年3月29日撮影の空中写真 |
国土地理院/撮影は米軍 6線の状態 新常盤橋 |
共に 親柱本体と影が写っている。 |
1989年(平成元年)の空中写真 |
国土画像情報閲覧機能 CKT-89-3 C6A-31 より |
8線の状態+東北新幹線新設工事中。 親柱の2本の長い影がはっきりと。 |
親 柱 | |
頂部に玉を載せた親柱は 山手線の内側だけが残っていた。(▼の位置) 中央線の重層化工事の時に撤去されてしまい、そのうち一本は東京駅丸の内の左側に保存されていたが、それも 駅舎の復元工事に伴って、工事用通路を確保するために撤去された。 竣工後に元に戻されることを願っている。 高さ 33フィート、なんと 10m06cm。 |
遠 景 (山手線の内側から) |
影 景 (山手線の外側から) |
東北本線の橋と新幹線の桁に遮られて、山手線の外側からはアーチ橋の足元しか見えない。 川面に映るのは、やはり高速道路。 |
C 部分 : 1951年(昭和26年)完成 |
山手線と京浜東北線を完全分離する計画の一環で、すでに確保してあった外側の敷地に2線を増線する工事が 1949年(昭和24年)11月に開始され、呉服橋架道橋から 神田駅寄りの千代田町橋高架橋までが完成した後は、東京駅の引上げ線として使われた。 1956年(昭和31年)に 田町・田端間の全線が増線され、「東京縦貫電車複々線」が一度は完成したのだが、東京駅ホームの数が少なかったために、東京発の東北本線は ほとんどなく、その後も もっぱら東海道線の折り返し、引きあげ線として使われた。 外濠橋は 鉄筋コンクリート造 3径間アーチで新設されたが、現在その姿はどちら側からも 足元しか見えない状態となっている。 |
C部 の 橋梁 |
両サイドは狭く、中央が広い形の三径間アーチとなっている。 左の▲は東京駅側、川の中に建つ2本の橋脚の内 △部分は新幹線の橋脚の陰となっている。 川の奥に影が映る 大きなアーチが初代の外濠橋梁。 |
D 部分 新幹線 : 1990年(平成2年)頃 |
新幹線の橋桁 (山手線の外側) 2011.12.22 |
東京駅方向を見ている。 左側にある橋は 新幹線建設時 1988年(昭和63年)に架け替えられた (新)新常盤橋。 |
位 置 (終戦後の様子) |
龍閑川 1947年(昭和22年)7月の空中写真/国土地理院 |
神田駅 外濠 東京駅 |
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