山手線 が 渡る橋 ・くぐる橋
渋 谷 駅
地図については 脚注参照
2012年10月29日 掲載
2012年11月8日 追加・修正

1885年(明治18年)3月 日本鉄道の品川線が開通すると同時に開業した、山手線では歴史ある駅のひとつ。 ただし、駅は現在の湘南新宿ラインのホーム付近だった。

今は高架駅だが初代は地上駅で、渋谷川がすぐそばにあるということは、渋谷の その谷底に位置している事を示している。

これまでの変化・改良は色々とあったが、JR・銀座線・東急・井の頭線などの線路の位置関係は基本的に変わっていない。 しかし 今回の東急東横線の地下化に伴って、山手線の内側(東口)は大きく変わろうとしている。
渋谷マークシティーの岡本太郎

渋谷駅 の 歴史

1885年(明治18年)3月: 日本鉄道 品川 - 赤羽 開通、 渋谷駅開業
開通時の線路勾配図によると、現在の恵比寿駅を過ぎたところから現渋谷駅ホームまで、約 1,130mは水平であった。標高は15.3m。
1905年(明治38年) : 渋谷 - 新宿 複線化
1906年(明治39年) : 大崎 - 渋谷 複線化
複線時の渋谷駅
1916年(大正5年)修正 1万分の1地図/国土地理院
カーソルを載せると 現在の山手線と 埼京線のホーム が表示される。 駅北側の道や大山街道(青山通り)は 踏切であった。
渋谷駅付近は、単線時も複線時も 複数の線路があった。 貨物の取り扱いや 待避線などだろう。 そこが複々線の用地に使われた。
地図サイズ 400 × 297

初代ホームのあった場所
およその位置だが、現在のホームよりも少し低い位置にあったのは確か。
(ホームの長さは赤丸よりも長い。)

1916年(大正5年) : 複々線化工事 開始
1919年(大正8年) または 1921年(大正10年): 恵比寿 - 渋谷間複々線化
前者が正しいようだが 未確認

複々線化完成前の渋谷駅
1921年(大正10年)修正 1万分の1地図/国土地理院
・ 駅は現在の位置に移動済み。築堤上の高架駅となる。
・ 踏切 が廃止され、原宿よりの位置にガード が造られた
・ 宮益坂の踏切も 宮益架道橋となった

この地図では旧線部分が空白となっており、原宿方面の複々線化は まだ完成していない。 渋谷貨物駅までは複々線化 という事だろう。 
地上線だった旧線は、高架化の工事中である。 その間、貨物列車は山手線を使っていたはずだ。

渋谷駅 新駅舎
現在のハチ公前広場だが 立派な駅舎だ。 左後方にホームへの階段屋根と、ホーム上の建屋が見えている。 
この写真は 1923年(大正12年)以後のもので、トロリー式の市電が、宮益架道橋をくぐって 山手線の外側まで延長されている。

 複々線化の工事手順
初代の駅は、建設のしやすさと敷地の確保を優先した地上駅だった。

電車、道路の交通量が増えたために、立体交差化が必須となり、複々線化時に 山手線全体にわたって実行された。 営業しながらの工事には工夫が必要だが、隣に新線を建設するのは 比較的容易である。
用地の確保 : もともと複々線の部分があったが、さらに確保が必要だった。
新しい架道橋部分を先に造って、迂回道路と接続。 この時、旧線部分には仮設の踏切が造られただろう。
踏切 を廃止し、山手線の外側に石垣を積んで 築堤工事。 内側では旧線との差が大きくなると法面確保のため 用地が大きくなる。
新ホーム、駅舎の建設。
新線を使って 複線運転。
旧ホームや線路の撤去。 (前掲地図の状態)
旧線部分を 高架化。

複々線化時に造られた石垣
山手線の外側で渋谷駅方向を見ている。 金網のために見えないが、ここから石垣が始まっている。 駅に向けて 道は下り坂、線路は上り坂。 
複々線化時に造られた石垣の 開始部分 : @
完全に築堤となった石垣 : A
ここでは 高さ 約 2.5 m。
前掲写真の位置
1921年(大正10年)修正 1万分の1地図/国土地理院


1922年(大正11年)7月 : 渋谷 - 原宿間 複々線化
1923年(大正12年)9月 : 関東大震災
1925年(大正14年)11月 : 山手線 環状運転
1927年(昭和2年)8月 : 東急東横線 渋谷駅開業

複々線化後の渋谷駅
1928年(昭和3年)修正測図 1万分の1地図/国土地理院
が 4線状態になった架道橋。 現在 首都高速道路が跨いでいる所で、駒場架道橋の初代にあたりそうだ。 当然のことだが、この昭和初期と現在とでは 街の様子・道路の状況がまったく違う。

移転した直後とは別の駅舎ができている。( 印) ということは、前掲の新駅舎は 10年以下の短命だったということ。

1933年(昭和8年) : 帝都電鉄(現 京王電鉄)井の頭線 開業
               国鉄の線路との絡みは無し
1934年(昭和9年)4月 : 忠犬ハチ公銅像の 除幕式
   同 年     10月 : 東横百貨店(現 東横店東館)竣工
1938年(昭和13年) : 東京高速鉄道 青山六丁目 - 渋谷間 開業
              現在の メトロ銀座線、東横百貨店を増築する形で
              3階部分に地下鉄が建設された
              玉電ビルは3階駅部分まで完成後に工事が中断
1940年(昭和15年)頃 : 山手線外回りホームが増設され、内回り・外回り
              それぞれ専用のホームとした。


 戦後の変化

終戦後の様子
1947年(昭和22年)9月/米軍撮影空中写真/国土地理院
駒場架道橋()は まだ残っている。 山手線は6両編成。
次に 空中写真を拡大して詳細を見る。
駅の西側 詳細
             銀座線               宮益架道橋
1947年(昭和22年)9月/米軍撮影空中写真/国土地理院
1928年(昭和3年)の地図に登場した駅舎 。 玉電ビルは 地下鉄駅部分以外は2階建てで、増築端が写っている。

三代目 駅舎 1953年(昭和28年)撮影
ヒカリエ工事現場に掲示されていたもの
出入り口はハチ公広場側。 後ろには、まだ増築されていない玉電ビル。(完成後の名称は 東急会館)

1954年(昭和29年) : 玉電ビルの上に増築する形で東急会館 完成
                            (現在の 東急東横店 西館)
1955年(昭和30年)頃 : 国鉄と東急電鉄の 跨線連絡橋が造られる
1956年(昭和31年) : 東口向かい側に東急文化会館と跨道橋 完成

国鉄と東急電鉄の 跨線連絡橋
場所は 地下鉄駅のすぐ南側。 リベットが使われた最後の時期の桁。
階段側に付けられた銘板

    3行目に 昭和30年の製作年。

→東急の改札口へ
木造仕上げ部分が いたる所に残っている。


1961年(昭和36年)より : 駒場架道橋 ・渋谷駅 改良工事 開始
国道246号(玉川通り)の拡張に伴って、「駒場架道橋」の架け替え、「首都高速3号線」の架設、渋谷駅構内の線形改良工事など、11年間にもわたる改良工事が行われて、ほぼ 現在の状態となった。

工事は南から北へと行われ、その一環で造られたのが「駒場高架橋」や「宮益高架橋」である。 また 宮益架道橋の桁も1本だけ取り替えられ、22m 1スパンの桁となった。
(「 」内の橋については 今後掲載する 別項を参照)

構内線形改良は、@ ホームの曲線を緩和して電車との隙間を小さくする、A ホームの幅を広げる、B 10両編成対応用にホームの長さを 220mとするためで、主として駅の両側を山手線の外側へ、中央部の一部を山手線の内側に移動した。
この結果、内回り電車の最小半径が 380mだったものが 600mになるなどの改良が行われた。

1969年(昭和44年) : 東急玉川線 廃止
1972年(昭和47年) : 地下鉄半蔵門線の工事開始
工法上の問題から 宮益架道橋は全面掛け替えとなり、山手線外回りの桁に関しては わずか 10年での掛け替えとなった。
                   詳細は 宮益架道橋の項 参照。
1977年(昭和52年)4月 : 二子玉川園 - 渋谷間の 新玉川線開業
1978年(昭和53年)8月 : 地下鉄半蔵門線 渋谷 - 青山一丁目間 開業
                  東急新玉川線と 直通運転開始
1980年(昭和55年) : 貨物の取り扱いを廃止


 近年の変化

1996年(平成8年) : 貨物駅跡地に 埼京線ホームを新設。

山手線ホームの南に位置する 埼京線ホーム
恵比寿方向を見ている。 湘南新宿ライン 15両編成対応のために、ホームは長い。 右奥の二階建て部分が 新南口。

2013年(平成25年)3月 : 東急東横線が地下ホームに移転の予定


駅名 渋谷 の由来

駅が開業した当時1885年(明治18年)の付近の地名による。

しかし、渋谷区の説明板でも 渋谷の由来は定まっていない。

まず、「昔この付近は入り江で、塩谷の里と呼ばれ、その塩谷が渋谷になった」という説がある、と書かれている。 谷といえども 渋谷駅付近の標高は 15m以上有り、縄文海進期でも海は遙かかなたであった。

もうひとつは 金王八幡神社の社伝によるもので、「平安の終わり頃 領主であった河崎重家が、京都の御所に入った賊を捕まえたところ、その賊の名が 渋谷権介盛国 だったことから、渋谷の姓を賜り、以後 重家の領地である谷盛庄が渋谷にかわった」 という説。
盗賊の名前を取るというのは おかしな話だが、こちらのほうが まだ信憑性がある。


この項の参考文献 : 『鉄道ファン』 連載シリーズ / 小野田 滋
  東京鉄道遺産をめぐる 24 / ハチ公が見上げたターミナル 2011年5 ・6月
     同           25 / 駅前広場の思想 2011年7 ・8月
     同           26 / 共同駅とモダニズム建築 2011年10 ・11月 ・12月

脚注、タイトルの地図について : 地図サイズ 299×93
明治42年(1909年)測図 大正5年(1916年)第一回修正測図 1万分の1地図
「三田」に加筆               大日本帝国陸地測量部/国土地理院 発行

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