山手線 が 渡る橋 ・ くぐる橋 駒込 → 田端
− 架道橋 (ガード) ・跨線橋 −
番外4. 中里橋跨線橋

山手線に残る唯一の踏切とセットになった跨線橋、踏切ができる前から旧山手貨物に架かっていた陸橋である。山手線のすぐ内側にあるが、湘南新宿ラインがくぐる橋なので番外。(大昔の旧山手線はくぐっていた。)

踏切と中里橋 の全景 (山手線の内側より)
手前が湘南新宿ラインに架かる「中里橋」。

全 景( 改装工事中)
2010.3.8

 超遠景(田端側から 駒込方向を)

 
近 景(田端側から 駒込方向を)

        全 景 (駒込側から田端方向を)    2010.1.21
上の3枚は いずれも塗装工事前のもの。
よくもこれだけ放っておくなぁ というくらいに管理が悪く、錆だらけだった。

山手線の内側から 踏切を見る
2010.11.30
塗装工事後。鋼鉄ボックス梁の下面に道路スラブがある。

塗装前の様子 2010.1.21撮影
竣工年月(昭和29年10月)、桁の製作(昭和29年8月)、橋の名称板

山手線の内側
塗装と併せて、ネットフェンスの付け替えや周辺手摺りも作り直された。これで当分のあいだ、安心。



中里橋 の 歴史

年 月
の部分は推定
1885(明治18)年3月 :日本鉄道品川線開通 単線(品川 - 板橋)
1903(明治36)年4月 :山手線 池袋 - 田端間 開通、単線
1910(明治43)年4月 :池袋 - 田端 複線化
 同 年 11月15日 :駒込駅開業

1921(大正10)年 の地図
豊島区地域地図 第四集/東京近傍1万分1地形図/豊島区立郷土資料館
  中里用水架道橋    第一踏切        中里橋
 築堤・・・・・・・→   同レベル    切取り・・・・・・・→
山手線が複線の状態。駅の手前から1,000分の10の勾配で下り続ける線路は、ほぼ直角に架けられた中里橋の下をくぐる。
まだ、第二中里踏切は無い。

1925(大正14)年3月 :巣鴨 - 田端 複々線化
 ホームが現在の位置(新山手線)に移る
11月 :神田-上野間が完成し、環状運転 が開始される

1930(昭和5)年の地図
豊島区地域地図 第四集/東京近傍1万分1地形図/豊島区立郷土資料館
中里用水架道橋     第一踏切      第二踏切/中里橋
山手線の外側(図の上側)の道が真っすぐに変更され、新設された橋は斜めに架けられている。第二中里踏切ができる。
角度も長さも違ってくるので、1925(大正14)年に新しい桁が架けられたと思われる。
しかし、現在の桁に取り付けられた銘鈑の製作月は、1954(昭和29)年である。このため、理由は不明だがわずか30年ほどで架け替えられ、現在の橋は三代目ということになる。
中里橋が架かる道は駒込側に「第一踏切」、田端側に「富士見橋」があり、ここが無くても回り道をすればなんとかなる。戦争時の金属供出で撤去されたことが考えられるが、どうだろうか? 敗戦9ヶ月前の、1944(昭和19)年11月の空中写真には橋が写っているが、解像度が低いため掲載は見送る。


位 置 (戦後の様子)
1947(昭和22)年8月の空中写真/国土地理院
  駒込駅                        田端駅

中里橋 データ
位 置: 北区中里一丁目
管理番号:  −
線路の数: 2線:湘南新宿ライン
長 さ :
幅 員:
竣工: 初代:1903(明治36)年
二代目:1925(大正14)年
三代目:1954(昭和29)年10月
備 考: 錆は17年間塗装しなかったため。
近くに山手線を跨ぐ都市計画道路があるために、塗装が先延ばしになったのかも知れない。しかしその橋が完成しても、人道橋として利用され続ける可能性は残っている。
名前の由来: 中里に架かる橋

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