山手線が渡る橋・くぐる橋 | − 架道橋 (ガード) ・跨線橋 − |
神田 → 東京 |
4. 上白壁橋 架道橋 |
神田駅の3つのホームを貫く 唯一のガードである。 ともに三角形の第2鍛冶町橋高架橋と 第1鍛冶町橋高架橋に架かる。 |
全 景 (山手線の内側から) 2010.12.7 |
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↑第2鍛冶町橋高架橋 第1鍛冶町橋高架橋↑ |
中央線 2線を A部、京浜東北北行き・第2ホーム・山手2線を B部、第3ホーム(1・2番線)と 京浜東北線南行を C部、 新幹線を D部 とする。 |
A 部分 中央線2線分、開通 :1919年(大正8年) |
近 景 (山手線の内側から) 2010.12.7 | |
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以前は プレート・ガーダー部分が全部覆われていた。 阪神大震災以降に、脱落防止用のワイヤーを取り付けるために、化粧仕上げ材の一部が外されたままで みっともない。 ちなみに ここの塗装は23年間も前のものである。 |
公衆便所 2011.4.1 |
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中央線の下辺り、秋葉原方向を見ている。 ガード下にあるのは珍しい。 上白壁橋架道橋の橋台は両側とも きれいに整備されていて、あまり店舗もない事と、天井部も化粧されているために、A ・ B の区別がつかない。 |
第2ホーム 4番線から 第1ホーム中央線を見る |
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第1ホーム。 秋葉原方向を見ている。 上白壁橋が斜めに横切っているのだが、軌道は砂利に覆われて、位置がわかりにくい。 |
C 部分 : 第3ホーム(1・2番線)と 京浜東北線南行 建設時には3線分あった。 開通 :1956年(昭和31年) |
上を見ても架道橋は見えない 2010.12.7 |
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C部分の丸柱は 左側の店舗内にもう一本ある。 ここ、第1鍛冶町橋高架橋に、フラットスラブの再出現が・・・・。 |
第2ホームから 第3ホーム(C部分)を見る | |
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![]() 鉄板のカバーに名前あり↑ |
D 部分 : 現在 新幹線 2線 |
1956年(昭和31年)11月:山手線・京浜東北線分離時 に東北本線用として2線。 1979年(昭和54年)〜84年の間 : 新幹線工事のために 桁を撤去 1991年(平成3年)11月 : 新幹線 東京駅乗り入れ : |
右が新幹線の桁 (秋葉原方向を見ている) 2010.12.7 | |
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↑ C部分 D部分 ↑ 中央通り ↑ |
山手線の外側から 2010.7.14 |
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すぐ右が 神田駅東口。 |
位 置 (終戦後の様子) |
龍閑川 1947年(昭和22年)7月の空中写真/国土地理院 |
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神田駅 外濠 東京駅 |
■ 上白壁橋 架道橋 データ | |||
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位 置: | 千代田区鍛冶町二丁目 - 内神田三丁目 東京駅より 1K 250M 26 | |
管理番号: | 9 (東北線) | ||
道路名: | 中央通り | ||
線路の数: | 計 8 本 (下記 A〜D は仮の呼び名) | ||
A: 2本: 中央線 B: 3本: 京浜東北線、山手線 C: 1本: 京浜東北線 D: 2本: 東北上越新幹線 D上部 : 東北縦貫線2線 工事中 | |||
支 間: | A: 13m 80 | ||
空 頭: | 高さ制限 : 3. 4 m | ||
竣工年: | A: 1919年(大正8年) 中央線開通 B: 1925年(大正14年) 山手線開通 C: 1955年(昭和30年)頃増線 1979年〜84年(昭和59年)の間に、 新幹線工事で撤去 D: 1991年(平成3年) 新幹線東京乗入れ | ||
備 考: | 竣工時の名称は「上白壁橋」 | ||
名前の由来: | 当時の町名による。 | ||
←1909年(明治42年)測量、1916年(大正5年)修正の地図 大日本帝国陸地測量部 / 国土地理院 販売 江戸時代、周辺は色々な職人が住む町で、鍋町・鍛冶町・紺屋町・大工町・塗師町など、それぞれ職業にちなむ町名が付けられた。 白壁町は鍛冶町を挟んで「上」 と 「下」があるが、周辺の町名と較べて 異質である。 『お江戸の地名の意外な由来/中江克己』によると、壁方棟梁の安間源太郎がこの地を賜って多くの左官職を集めて居住させた、ということである。 「左官町」とせずに「白壁」としたのは、安間のセンスだったのだろうか。 |
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