山手線 が 渡る橋 ・ くぐる橋 | ![]() |
神田 → 東京 | |
タイトル地図については 脚注を参照 | |
5. 第1鍛冶町橋 高架橋 |
2011.6.3 掲載 2015.6.3 耐震改修の様子を追加掲載 |
第1 かじちょうばし こうかきょう。 第1 から 第3 の番号は、東京駅を起点とした「東北本線」の下り方向の順であるが、本ホームページでは山手線を外回り方向に進んでいるので、順番が逆になる。 神田駅の項で紹介した「(仮称)旧南口」は、現在でも「西口」として健在である。本項も ほかと重複する写真が出てくる。 |
第3 鍛冶町橋高架橋 | 第1 鍛冶町橋高架橋 |
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←秋葉原 | 第2 鍛冶町橋高架橋 | 新石町橋高架橋↑ 東京→ |
山手線の内側から以下のような仮称を付けるが、高架橋の東京駅寄りについては、昭和の増線時に取り壊されておらず、そのまま使われているので 「C部」の新設は無い。 |
A部 B部 C部 TX部 |
: 中央線・京浜東北北行きの3線 : 山手線2線、(旧東北本線1線は撤去) : 第三乗降場、京浜東北南行き : 新幹線 (鉄骨連続橋梁型 高架橋) |
: 1919年(大正8年)開通 : 1925年(大正14年) : 1956年(昭和31年) : 1919年(平成3年) |
第1鍛冶町橋高架橋 平面図(改修前) | ||
D部分 ----- C部分 ----- B部分 ----- A部分 3線 ----- |
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D部分 |
----- B部分 ----- A部分 3線 ----- |
:駅構内 | :自由通路 | :事務室 など |
A部分で縦長の壁が残っている所が、1919年(大正8年)開通のオリジナル躯体である。図の下側、中央線下り線では すべて残っている。西口も もとの位置のまま使われている。ただし、震災の被害でどの程度改修されたのかは はっきりしない。 |
A 部分 | 3線分 |
高架橋本体の竣工時期 : 1919年(大正8年)1月頃 現 中央線2線は 同年 3月1日開通 現 京浜東北線部分は 1925年(大正14年)11月開通 |
神田駅 平面図 (第一乗降場) |
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←秋葉原 第2鍛冶町橋高架橋 「第1鍛冶町橋 高架橋」 東京→ |
『東京市街高架線東京万世橋間建設紀要/鉄道省 東京改良事務所/1920年』 |
本ホームページの図の掲載方向に合わせて図面を回転しているため、上下が逆になっている。当時は▼印の位置にある 二ヵ所の入口アーチをくぐって改札口を抜け、そのまま階段を上がっるとホームの端に出た。 高架橋の構造はアーチ【拱橋】ではなく【柱】形式だが、縦に二本の点線があるように、線路と直交方向に 「厚い壁」が設けられており、これを「壁式柱」と呼んでいる。 |
山手線内側の様子 | ||
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↑上白壁橋架道橋 | 新石橋架道橋↑ |
構造は スラブ式 | |
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第1鍛冶町橋 その他の立面図 ・断面図 (部分) |
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『東京市街高架線東京万世橋間建設紀要』鉄道省/1920年発行 |
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西 口:竣工当初は(仮称)南口 2010.12.7. |
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ガードは 新石橋架道橋。大改修工事で、橋台のコーナー飾り石が無くなってしまった。 |
もうすぐ竣工 2015.5.18. |
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大震災による被害 | ||
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タイル張り と レンガ積み | |
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タイル部分 (厚さ 約18mm) | レンガ部分 |
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左のタイルは エッジが尖って真っ直ぐなので、煉瓦とは違うことがわかる。 |
参考図面 一般柱回り詳細図 |
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『東京市街高架線東京万世橋間建設紀要』鉄道省/1920年発行 に加筆 |
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B 部 | : 1925年(大正14年)11月開通 |
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第1鍛冶町橋高架橋 平面図(改修前) | ||
D部分 ----- C部分 ----- B部分 ----- A部分 3線 ----- |
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D部分 |
----- B部分 ----- A部分 3線 ----- |
:駅構内 | :自由通路 | :事務室 など |
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6 線の状態 |
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終戦後 1927年の写真 米軍撮影/国土地理院 |
旧 西口改札内 改札外 2011.6.2. | |
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改札から一段上がるスタイルは、東口や御徒町と同じだったが、大改修工事でフラットになった。RC造だと思っていたこの柱・梁は、鉄骨造だった。 以下が 改修工事時に確認した鉄骨柱部分。 |
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C 部 | 開通時期:1956年(昭和31年)11月 |
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6 線の状態から撤去・新設された部分 |
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1927年の写真に加筆 米軍撮影/国土地理院 |
↓ |
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改修前の フラットスラブ 丸柱 2011.6.2. | |
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麻雀屋看板の柱までは ラーメン構造。 | 左の写真の奥の部分。(東京駅寄り) |
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最奥部、突き当たりを左に抜けられる。 | 新幹線の下から 山手線の内側を見る。 |
駅の大規模改修に伴って、鉄板で囲う耐震補強がなされた。 |
写真のように見えていたのは 計10本だった。 工事中の説明図(上図)と状況からすると、見えない位置にも残っていると判断していたが、改修工事の時に新幹線下の事務室が一時的になくなり、フラットスラブ 4本を確認できた。 |
改修工事時に確認できた フラットスラブ 2012.10.5. | ||
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図面中の 大きな 緑○印 4本のうちの 2本。四角い柱は新幹線の橋脚。 | ||
新幹線建設時に切断された スラブ(矢印) | ||
→ |
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← |
スラブ配筋が切断されたのが見えており、フラットスラブが手前(山手線の外側)に続いていたことが確認できる。 |
TX 部 | 新幹線建設時期:1990年(平成2年)頃 |
旧東北本線の撤去時期:1989年(昭和64年)頃 |
鍛冶町2丁目だけが 新幹線用地の新たな買収に応じなかったため、旧東北本線部分を使わざるをえなかった。このため、第1鍛冶町橋高架橋の東京駅寄りでは、2線分のC部分がすべて撤去されて残っていない(前掲図面の
右側)。 新幹線は鋼鉄製の連続橋梁で建造されたため、ロングスパンで柱の数が少ない。 |
山手線の外側から 2011.4.1. |
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↑ フラットスラブがある路地。 新幹線高架下の建物は、高架橋とは独立した構造である。 |
南 口 2011.6.2. |
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東北縦貫線の「二階建て」高架工事が進行中の時の写真。 この後 南口周辺も改造された。 |
位 置 (終戦後の様子) |
龍閑川 1947年(昭和22年)7月の空中写真/国土地理院 |
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神田駅 外濠 東京駅 |
■ 第1鍛冶町橋高架橋 データ | |||
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位 置: | 千代田区鍛冶町二丁目 | |
管理番号: | − | ||
道路名: | − | ||
線路の数: | 計8線(下記 A〜D は仮の呼び名) | ||
A:3線:中央線、京浜東北線北行き B:2線: 山手線 C:1線: 京浜東北線南行き TX: 2線: 新幹線 | |||
橋 長: | 山手線の外側で 約 95 m | ||
スパンの数: | 山手線の内側で 10 | ||
竣工年: | A: 1919年(大正8年)1月頃 B: 1925年(大正14年) 計6線に C: 1956年(昭和31年)2線増線 C: 1989年(昭和64年)頃 一部を除き、新幹線のために撤去 TX: 1990年(平成2年)頃 新幹線高架橋 | ||
備 考: | |||
名前の由来: | 旧町名に由来する。 | ||
町名の由来: | 江戸時代 幕府御用の鍛冶方棟梁(かじかたとうりょう)だった 高井伊織の屋敷があり、周辺に鍛冶職人などが集まっていたため。 | ||
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