山手線 が 渡る橋 ・ くぐる橋 | ![]() |
神田 → 東京 | |
タイトル地図については 脚注を参照 |
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おもに 第2鍛冶町橋高架橋 および 第1鍛冶町橋高架橋 |
− 鉄骨造だった 神田駅 − |
2010.12.14 神田駅 掲載 2013.12.1 トピックスの 掲載 2015.6.17 駅改造に伴って全面リニューアル 2015.7.7 鉄骨造は 戦後の工事だった |
東北縦貫線の工事に伴って2013年から行われている駅の大改装によって、これまでRC造だと思っていた神田駅構内(第2および 第1鍛冶町橋高架橋の一部)が 純鉄骨の柱・梁構造であることがわかり、それが戦後の 山手線・京浜東北分離時の工事だったことが判明したため、あらためて神田駅の成り立ちを考察した。以前掲載していた「鉄骨造のトピックス」は、別ページで「平成の大改修」として掲載する。 |
いくつかの高架橋と、内容が重複する。 現状と異なる写真のタイトルは 青くした。 |
旧 西口改札内の鉄骨の様子 2013.9.16. |
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改装工事の途中の様子。この時点で、柱や 線路と直交方向の ハンチ付きの鉄骨梁は、すでに補強済みである。 |
本項は非常に長くなるため、以下にその構成を示す。 |
■ 混構造の神田駅高架橋 : 構造の種類と位置 | |
■ 神田駅 建設の歴史 | |
・ | 一期工事 |
・ | 二期工事、震災とその被害 |
・ | 震災後の改修 : 山手線環状運転開始 |
・ | 三期工事 : 山手線・京浜東北線 分離運転開始 |
鉄骨柱の改修手順 | |
・ | 四期工事 : 東北新幹線の東京駅乗り入れ |
・ | 五期工事 : 上野 - 東京ライン |
混構造の神田駅高架橋 |
神田駅は独立した駅舎が無く、施設および店舗などはすべて高架橋内 または高架下にある。神田駅では 様々な「構造形式」が採用されて、それが今でも使われている。はじめに その様子を色分けしておこう。 |
なお、ベースの図面は改修工事現場に掲示されていたもので、縦横比は正確ではない。また ホームページの進行方向に合わせて、元図を180度回転して使用している。 |
一 ○ ○ ○ 一 一 |
:新幹線、鉄骨連続高架橋 :RC造 ラーメン構造 :RC造 フラットスラブ :純鉄骨 ラーメン構造(印の無い柱も 恐らく鉄骨造) :二期工事の壁式柱による高架橋。残っているのは 一部のみ。 :一期工事の壁式柱による高架橋。残っているのは主に中央線の下り |
在来線の架道橋を載せる「橋台」は すべて RC造。 無印の柱は未確認 | |
本項では フラットスラブについての説明は省いているので、詳しくは 第1鍛冶町町橋 高架橋 C部 や 第1御徒町高架橋 C部 を参照されたい。 |
これほどまでの複雑な混構造となったのは、明治時代の甲武鉄道に始まって、新幹線までの 四度にわたる増線の歴史があるためだ。 |
神田駅 の 建設の歴史 |
1883年(明治16年): 日本鉄道 上野 - 熊谷間 開通 |
1889年(明治22年): 甲武鉄道 新宿 - 立川間 開業 |
1904年(明治37年): 御茶の水まで 延伸開業 |
1908年(明治41年): 昌平橋まで 延伸開業 |
1912年(明治45年): 萬世橋まで 延伸開業。昌平橋駅を廃止 |
1914年(大正4年)11月:東京 - 萬世橋間高架線 着工、 一期工事 |
1919年(大正8年)3月: 萬世橋 - 東京間 延伸開業 現在の中央線の形となる |
3月1日 神田駅 開業(甲武線2線、島式ホーム 1面) |
山手線 「のの字運転」 開始 |
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.第一期:1919年3月開通 の範囲. | RC造、壁式柱 および 橋台 |
一期工事はその報告書『東京市街高架線東京万世橋間建設紀要』に図面があるので、すべて「壁式柱」で造られたことがはっきりしている。上図の赤い「網掛け部分」はその後に改築されて、独立柱となっている。 |
一期工事 北口の様子 |
工事中の写真 (ホームは奥の▼部分) |
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東京方向を見ている。ホーム上屋はまだできていない。▼印の下に見えるアーチが 大通りからの入口(旧北口)。アーチは現在も残っており、内部は店舗として使われている。 |
神田駅 一期工事 平面図 |
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東京市街高架線東京万世橋間建設紀要/1920年 より (前掲写真 および 以下の3枚の写真、立面図とも)改札口の名称は 当時のもの |
旧 北口 竣工当時の写真 |
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改札口の中(前掲平面図内の▲印)から秋葉原方向を見ている。この上部にホームは無く、明かり採りのためにトップライトが設けられている。 |
改修工事中に、このトップライト部分を確認することができた。 |
100年以上前の躯体 2013.7.20. |
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前掲写真の改札のあたり。 開口部の多くは塞がれている。なお、下部構造の柱は新しいものに代えられている。 |
旧入口横の 広告スペース 2010.12.4. |
![]() 旧 北口 ↑ |
神田大通橋ガード下、RC造だがレンガ仕上げの橋台。 今回の改修工事で凹んだ広告スペースはリニューアルされたが、ガラスで密閉したために内部結露が起こり、努力が台無しになっている。 |
.2010.12.4 旧北口 入り口 アーチ | 第2鍛冶町高架橋 秋葉原側橋台部分 |
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![]() 中央付近に左写真の 旧入口アーチがある |
神田大通架道橋の下で 東京方向を見ている。右写真の左端までが 1919年(大正8年)までに造られた 第一期工事3線分の範囲である。躯体はコンクリートだが、入口部分は石積み風にデザインされている。 オリジナルでは花崗岩が使われていたが、震災の被害を受けて、コンクリートで現在の状態に修復された、という事も考えられる。 この上部が第一ホームの端部だが、そこにも面影が・・・。 |
中央線ホーム 北端の様子 2010.12.4. |
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当初は 中央線の2つの架道橋の間には鉄板が無く、アーチが見えていた。▼部分を拡大してみると、積石造風の丸い加工が残っている。花崗岩のように見えるが、近付けないので 確認はできない。 |
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現在は、中央線快速を12両とするためのホームの延長工事が行われ、この部分はホームの床下となっている。 |
一期工事 南口の様子 |
初代 南口 と 神田駅ホーム上家 | |
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秋葉原方向を見ている。 3線分の高架橋が造られ、2線が敷かれたのがわかる。北側と同じデザインのアーチ型の入口があるが、南側の方が北口よりも立派な造りだった。こちらにもトップライトがあり、ガラス屋根が写っている。 |
初代南口の改修工事前の姿 2010.12.7. | |
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第1鍛冶町橋 高架橋 東京駅側の橋台![]() |
西口として現役。アーチの上部に架かるのは、後から延長されたプラットフォーム。 旧北口と同様に 左右に「広告スペース」の凹みも残されていたが、これらの昔をイメージさせる姿は リニューアル工事で隠されてしまった。 |
前掲写真右の 旧広告スペース 2015.5.18. |
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第一鍛冶町橋高架橋 西側立面図 (山手線の内側) |
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壁式柱にコンクリートスラブ単床を乗せている。この構造体は おもに中央線下り(平面図 下側)に残っており、耐震補強もなされて使い続けられる。 |
通路部に見えていた建設当初の橋台 2010.12.21. |
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次の平面図の ▲部分。 |
神田駅 平面図 再掲 |
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高架橋の構造体はこれまでの地震には耐えたが、今回、鉄板で挟んだり 中間部に梁を付け足すなどの耐震補強を行っている。 営業中のテナントに、一度退去してもらわないと工事できないのでなかなか進まず、2020年になってもまだ続いているた。 |
耐震補強の様子 2015.5.18. |
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二階建てとして使っていた店舗は、それができなくなりそうだ。 |
神田駅 の 建設の歴史 つづき、二期工事 |
1920年(大正9年)2月: 東京 - 上野間 高架線 着工 |
1921年(大正10年)3月:神田駅を含む第二工区の高架橋工事 着工 |
1922年(大正11年)11月:第二工区高架橋 完成 6線分となる |
1922年(大正12年)3月 : 架道橋 架設工事 その1 竣工 |
1923年(大正12年)1月〜4月:第二乗降場 上家新設工事 |
同 年 5月 : 軌道工事 その1 完成 |
( 神田駅は 震災前にホーム上屋まで完成していた ) |
第二期:1923年4月までに増設 の範囲 | |
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二期工事では、一期工事と同じ構造の「壁柱形式」で建造された。 |
工事の報告書『東京市街高架線東京上野間建設概要』/1925 によると「基礎は一期工事の時に施行済みだった」こともあって、第二期も「壁柱形式」で造られた。三期工事開始時 1953(昭和28)年 の状態が、国鉄の技術報である『東工』9 - 6 (1958) に載っている。 |
新南口 | |
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緑線内は二期工事の範囲、『東工』に加筆(向きを合わせるために 図を180度回転している) |
柱梁形式となっているのは現在の東口周辺のみだったため、改札外の東西方向の動線はよいとしても、南北方向(線路に平行方向)の動線が少なく、それぞれ二箇所の改札は 乗車口と降車口に分かれていた。改札内で一段上がった、東西方向の通路が混雑を極めていたと思われる。 |
1923年(大正12年)9月: 関東大震災 神田駅は火災に見舞われ、構内は焼失し ホーム上屋は崩壊した |
震災の被害状況 |
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『関東大地震震害調査報告 掲載写真』第二巻 鉄道/土木学会より |
南から駅を見ているが、完成したはずの 第二ホーム、旧南口上部まで延長された中央線の第一ホーム(上図 ▼)の上家ともに、完全に無くなっている。 |
北口 の被害状況 |
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『関東大地震震害調査報告 掲載写真』第二巻 鉄道/土木学会より |
光が左側から差し込んでいるので、「一期工事」に掲載した北口である。構内が焼け落ちたことがよくわかる。左側からだけでなく、上からも光が差し込んでいる。つまり、震災の時にはこの上にホームが無かったことを示している。 南側は震災前に延長工事が済んでいたが、北側は震災後に延長され、大通り架道橋の手前までとなったようだ。 (次の写真は完成後の様子) |
環状運転開始時の神田駅から秋葉原方向を見る |
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『省線電車史綱要』より |
左側が延長された第一乗降場、右は新設された第二乗降場。 |
二期工事でのホームの延長 | |
緑の濃い網掛けが、二期工事および震災後に延長された第一乗降場。長さは約9両分となったが、屋根が架けられたのは7両分だった。第二ホームには6両分の屋根が架けられた。環状運転開始時が何両編成だったのかは未確認。 |
延長された第一ホームの北側(右側) 2015.6.12. | ||
← 東 京 |
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→ 秋葉原 |
南方向、東京駅方向を見ている。▲から左側の 穴が開いている部分が元々のホーム。右側が延長された部分で、垂直の壁となっている。 震災の被害のため、第一乗降場のオリジナル上屋・第二ホームの新設上家ともに残っておらず、すべて震災後の改修工事によるもの。2面とも、震災からほぼ2年後に開業した御徒町駅と同じデザインの、鉄骨柱・アングルトラス梁構造で造り直された。 |
第一ホーム(中央線 5・6番線)上屋の様子 2010.9.24. | |
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第二ホーム(3・4番線) |
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W型の屋根。下部をアーチにした リベット止めのアングルトラス。ターンバックルでつなぐ タイ・ビームや水平ブレースなど、御徒町駅と完全に同じデザインである。 |
神田駅 の 建設の歴史 つづき |
1923年(大正12年)9月: 関東大震災 神田駅は火災に見舞われ、構内は焼失し ホーム上屋は崩壊した |
同年9月 〜 1925年(大正14年)10月: 約 二年間 未完成工区・部分の工事 および 被害部分の補修工事 躯体のダメージは少なかったため、補修して使われた。 |
1925年(大正14年)11月 : 東京 - 上野間 開通 |
山手線 ”環状運転” 開始 |
・ 神田駅は2面のホーム、線路は東北本線と山手線を加えて 6線となった ・ 品川までだった京浜電車(京浜東北線)は、上野まで延長。 ただし、線路は山手線との共用 |
大正に造られたこの状態が、戦後まで続く。 |
参考:終戦後 1947年(昭和22年)7月 6線の状態 |
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米軍撮影 /国土地理院 |
この形は「通過する」東北本線が 直線 となっており、理想的な線形だった。この状態を考えて、当初から中央線のホームを大きく膨らませて計画し、すでに東側(写真では上側)に、8線化に向けた用地買収が済んでいるているところは、さすがに「将来を見据えた国鉄の計画」である。 しかし、東北新幹線までは想定できなかった。実現は不可能なことだが、直線部の二階に新幹線を通せれば最高だった。 |
環状運転開始時の神田駅から秋葉原方向を見る(再掲) |
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『省線電車史綱要』より |
進入する中央線東京行き、右の列車は東京駅発東北本線か。増設ホームの屋根の上から撮影したものと思われる。▼は 1919年(大正8年)、▲は 1925年(大正14年)頃に建てられた架線柱。 |
10年前の姿 2013.11.26. |
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屋根には登れないので ホームから。東北本線だった位置には 山手線外回り電車が走っている。 ふたつのホームの間に立っていた T型の架線柱が撤去されたぐらいで、100年近くを経た割には大きな変化はなく、当時の架線柱▼、▲も残っている。街の様子や新幹線の新設に較べるとほとんど変わっていないと言える。 マイナーチェンジは、左側 第一ホームの端部にホーム事務所が建てられた事、第二ホームの屋根が延長された事、ホームのレベルが嵩上げされた事など。 |
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もうひとつ、架道橋に合わせて斜めだった第二ホーム端部に、三角形が付け足されて整形されている。 |
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現在は、中央線快速を12両とするために事務所はなくなり、ホームも延長されている。 |
1931年(昭和6年) 11月: 地下鉄神田駅が開業 |
国鉄神田駅とは第2鍛冶町橋高架橋内から階段で連絡 |
地下鉄へ下りる階段 | 階段の場所 山手線の内側から 北口↓ |
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以前は高架橋の「地中梁」のために、階段下部で頭がぶつかるような状態だったが、改良工事で改善された。階段は 登り用・下り用の2本がある。 |
山手線 と 京浜東北線 分離運転開始 |
1953年(昭和28年)12月: 第三期工事 着工 |
1956年(昭和31年)11月: 一期・二期工事部分の大改造、壁柱 → 鉄骨柱 第三ホームと2線増線が開業、8線となる |
第三期:1956年11月までに増設 の範囲 | |
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湾曲した形の 東京方面への第三ホームを設けるために、第二期に建設した一部の取り壊した。また3年の期間を掛けて、第一期・第二期工事の大部分を改修した(水色の網掛け部分)。 緩いカーブの線形で、ラーメン構造だと次々と梁の角度が変わるため、第一鍛冶町高架橋部分では全面的に「フラットスラブ構造」が採用された。現在残っているのは1線分のさらに一部だけで、京浜東北線南行きが使っている。 本項では フラットスラブについての説明は省いているので、詳しくは 第1鍛冶町町橋 高架橋 C部 を参照されたい。 神田駅が 恐ろしいまでの混構造となったのは、建設と改修、震災被害や一部取り壊しを繰り返した結果だったのだ。 |
1966年(昭和41年): 10両編成用にホームを延長 第一・第二ホームともに 南側に伸ばす |
8線、その後ホームが延長された状態 |
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国土画像情報 CKT-74-15/C28A/国土交通省 |
旧東北本線部分の1線は取り外され、部分的に線形を膨らませた幅の広いホームを設けた。第三期で東側に新設されたのは、京浜東北線南行き と東北本線の2線で
計3線。 2回目の増線だが、「長期計画に優れた国鉄」なので、東側の敷地は早い時期に買収済みだった。(終戦後の写真 参照) |
第三期 鉄骨工事の詳細 |
30年間もの長い間、「壁式柱」で不便だった構内を「柱式」にする改良工事には、丸3年を費やした。営業を続けながら、ホームや軌道を載せているコンクリート平板を「仮受け」してから、壁式柱を
鉄骨柱に置き換えるという気の遠くなるような工事。 国鉄の技術報である『東工』6 - 9 (1958) に、高山・今泉 両氏による詳しい報告がある。壁式柱を鉄骨に置き換える工事の概略手順は 以下の通り。 |
手順 | 参考図 | |
1. | ホームを仮受けする柱の 基礎と、仮受け柱用の 基礎コンクリートを打つ |
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2. | ホームを仮受けするため の鉄骨を建てる 仮受け鉄骨(梁)を組み 立てる |
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3. | 壁柱の両脇に 仮受け鉄骨 を引き上げる |
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4. | 仮受け鉄骨の柱を組み 込み、ジャッキアップ して床版を受ける |
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5. | 壁式橋脚および基礎の 一部を取り壊す |
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6. | 鉄骨柱を受ける基礎を打つ 本鉄骨の梁をリベット締め で組む |
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7. | 組んだ鉄骨の梁を引き上げる | |
8. | 柱下部をたてつけ、 中間部で接続する |
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9. | 仮設鉄骨を撤去する | |
10. | 鉄骨保護のために、柱はコンクリート打ち 梁はラスモルタル塗りを行う | |
『東工』6 - 9 (1958) 報告書の図に加筆 |
鉄骨詳細図 |
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柱 梁ともに、中間部のリベットが多い部分で接続している。 |
新幹線の建設 : 四期工事 |
1982年(昭和57年): 東北・上越新幹線 大宮以北開通 |
1985年(昭和60年): 新幹線 上野地下駅乗り入れ |
旧東北本線部分を撤去し、新幹線の高架橋を新設する。 |
1991年(平成3年)6月: 新幹線 東京駅乗り入れ |
第四期 東北新幹線 および 第六期 東北縦貫線 の工事範囲 |
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神田駅付近では 3度目の用地買収には応じてくれなかった。 やむなく 旧東北本線2線を取り壊して新幹線を通した。 |
上野−東京ライン 工事 : 五期工事 |
上野 - 東京間を結び、宇都宮線(東北本線)・高崎線・常磐線 3線と 東海道本線とを直通運転することによって 乗り換えをなくし、通勤ラッシュを緩和する狙いがある。 従来の東北本線を使うのが基本だが、神田駅付近では新幹線の建設時に使ってしまったため、新幹線の柱に高架橋を継ぎ足して 二階建て(三階建て)となった。 東北本線などと東海道線をつないで直通運転することは、昔からの ” 悲願 ” であり、国鉄時代から 将来計画がしっかりしている JRは、10年以上前の新幹線建設時に、今回の荷重も見込んで設計していたのである。 |
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タイトルの地図について : 地図サイズ 299×90 |
昭和5年(1930年)測図、 昭和31年(1956年)第2回修正測図 1万分の1地図「日本橋」に加筆 地理調査所/国土地理院 発行 |
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