山手線が渡る橋・くぐる橋  − 架道橋 (ガード) ・跨線橋 −

神田 → 東京
8. 千代田橋 架道橋

第3鍛冶町橋高架橋では4線分、第2・第1鍛冶町橋高架橋では3線分造られた一期工事だが、新石町橋高架橋以南は2線分であった。

              全 景 (山手線の内側から)       2009.12.10
中央線、京浜東北線、山手線で計6線。 少し離れて新幹線。 神田のホームも掛からない状態となる。 古い写真なので東北縦貫線の工事前である。

中央線 2線を 部、京浜東北北行き・山手2線、京浜東北線南行の4線を 部、新幹線を 部 とする。 C部がないのは、旧東北本線が新幹線建設時に完全に撤去されてしまったためで、付近の架道橋と記号を合わせている。


A 部分 中央線2線分、開通 :1919年(大正8年)

              近 景 (山手線の内側から)        2010.2.3
 ↑新石町橋高架橋                      千代田町橋高架橋↑
90年以上が経過している。
手前の桁の右端に「年七正大」の銘板があり、かなり読みやすい。

                 銘板

               中央線竣工当時の千代田橋
『東京市街高架線東京万世橋間建設紀要』鉄道省/1920年発行
山手線の外側から東京駅方向を見ている。

橋台南側 (千代田町橋高架橋)の様子
↑二期工事   ↑ここが一期工事との境目で 隙間はない。


                     神田駅から見た 千代田橋架道橋               2010.12.4
中路閉床式で 桁の上端がバラストと同じであるため、目立たない。 いずれの写真も東京駅方向を見ている。


B 部分 : 京浜東北線北行、山手線2線、京浜東北線南行 計4線
        開通 :1925年(大正14年)11月 山手線環状運転開始

開通当初は 山手線と京浜東北線は2線を共有していて、あとの2線は東北本線だった。

              一期と二期の橋台の隙間         2010.8.18
 中央線2線                          京浜東北線北行き
右側二期工事の高架橋は柱梁形式であるため、架道橋に面した部分でも店舗が入居 営業している。

新幹線ガードの下から
右側は新石町架道橋と連続している(桁は別もの)↑
銘板は1922年(大正11年)、高架橋の竣工は1921年(大正10年)3月なので、関東大震災(大正12年)の揺れを経験している。


D 部分 : 現在 新幹線 2線
1956年(昭和31年)11月:山手線・京浜東北線分離時 に東北本線用として2線。
1979年(昭和54年)〜84年の間 : 新幹線工事のために 桁を撤去
1991年(平成3年)11月 :      新幹線 東京駅乗り入れ :

                  山手線の外側から           2011.6.2
東北縦貫線の工事中。 写っているのは装置全体を移動させる仕組みの部分で、青いトラスの桁と入れ子になった灰色の桁で、尺取り虫のように進む。
左側、建物の陰で見えない部分に、プレキャストのコンクリート桁を釣り込む装置が続いている。


位 置 (終戦後の様子)
龍閑川               1947年(昭和22年)7月の空中写真/国土地理院
       神田駅                外濠                               東京駅

千代田橋 架道橋 データ




1909年(明治42年)測量、1921年(大正10年)修正
大日本帝国陸地測量部 / 国土地理院 販売
位 置: 千代田区鍛冶町二丁目 - 内神田三丁目
  東京駅より 1K 84M 70
管理番号:  7 (東北線)
道路名: 神田金物通り
線路の数: 計 8 本 (下記 A〜D は仮の呼び名)
A: 2線: 中央線
B: 4線: 京浜東北線2線、山手線2線
C:  なし
D: 2線本: 東北上越新幹線
  D上部 : 東北縦貫線2線 工事中
支 間: A部 : 13m 60 、 B部 : 14m 05
空 頭: 高さ制限 : 表示無し
竣工年: A: 1919年(大正8年) 中央線開通
B: 1925年(大正14年) 山手線開通
C: 1955年(昭和30年)頃増線
   1979年〜84年(昭和59年)の間に、
               新幹線工事で撤去
D: 1991年(平成3年) 新幹線東京乗入れ
備 考: 竣工時の名称は「千代田橋」
名前の由来:  当時の町名による。 
「千代田」の意味は永劫に続く田 であり、開通当時は神田区千代田町 であった。

この地であったかどうかは不確かだが、江戸時代から千代田村の名はあり、江戸城の別名が「千代田城」であった。

このため、戦後に神田区と麹町区が合併する時には、「千代田区」とすることで異議な くすんなり決まったようだ。

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